第4話 女性客
「なんで氷見子さんが、深夜に私の家で寝転んでるのかなあ」
「いいじゃん。遅くまでがんばってるんだから、ごろごろさせろー」
「氷見子さんのお家、そんなに遠くないでしょ」
「一秒でも近いほうが助かるんだよ。従業員には優しくしろ」
「もうっ」
先にシャワーを浴び終え、床に敷いた布団にスポブラ姿で寝転びながら気持ち良さげに欠伸する氷見子を見て、淡雪はシングルベッドに腰を下ろして溜め息をつく。今まで一人で暮らしてきた部屋が一気に狭く感じる。
淡雪は世田谷区等々力にエルフィを開店した当初は、その二階にある居住スペースに寝泊まりしていたが、客足が伸びスタッフが増えてくると、二階は事務所と倉庫として使うようになった。淡雪は徒歩で三分ほどの場所にワンルームマンションを借り、新たな一人暮らしを始める。
父の死で勘当が解けた氷見子は世田谷区中町の実家暮らしで、その実家はエルフィの店舗からは徒歩で十五分ほど、自転車だと五分もかからない距離である。しかし、連日深夜遅くまで淡雪と新作菓子の試作に明け暮れる氷見子は、その数分の差を面倒がって、いつしか淡雪のワンルームに転がり込んでいた。氷見子にとってはそれほど淡雪と一緒にいるのが苦ではない、いや心地良いということなのだろう。
入浴から上がり長い髪を梳かしている淡雪。普段は団子状にまとめているから、髪を下ろしている淡雪の姿は、氷見子の目には新鮮に映る。やっぱり淡雪はその辺の普通の女の子なんだなと、改めて感じる。
氷見子が眠りにつこうと寝返りを打つと、カラーボックスに並べられた食品関連の本やドイツの観光本の前に、写真立てが置かれてあるのが目に入る。二人の朗らかな笑顔の青年に挟まれ、ピースサインで笑う淡雪。まだ中学生ぐらいの幼い頃の写真のようだ。氷見子はその三人の写真を見入る。
「へえ。こうやって改めて見ると、あの松風くんってやっぱりちょいイケメンだよな。それで、もう一人の爽やかメガネイケメンは誰。こっちが淡雪の元カレなのか?」
「もう、あまり部屋の中のものをじろじろ見ないでよー。恥ずかしいからっ。それはお兄ちゃんだよ、私の。お兄ちゃんと松風くんは幼稚園から高校までずっと同じで、三人でよく遊んでたの」
「九州男児ってこんなに爽やかなのかよ。みんな西郷隆盛みたいな、おいどんでごわすって感じじゃないんだな」
「西郷隆盛は薩摩藩だから鹿児島でしょ。私たちは長崎だってば。明日も早いから、もうおしまいおしまい」
髪を梳かし終えた淡雪は、照れながらその写真立てをパタンと伏せると、照明を全て消してシングルベッドに潜り込んだ。
淡雪の恥ずかしがる姿は愛らしいが、氷見子には顔では照れ笑いを見せる淡雪の心が、過去の話に触れるたびにさらに厚い氷に覆われていくのが見え、それが気になって仕方がなかった。
その二日後。閉店間際。
高校生たちの部活帰りの常連たちも次々に帰り、淡雪がアルバイトの霜山六花と閉店の準備を進めていると、一人の若い女性がエルフィに入店してきた。
「いらっしゃいませ」
挨拶を発した淡雪と、その女性客はすぐに目が合った。
長く美しいブラウンの髪、タイトなグレーニットにブルーのパンツスーツ。手には手入れの行き届いたビジネスバッグ。一見して有能なビジネスウーマンと分かる格好である。キリッとした目元に、鼻筋の通る高い鼻。男性の多くが振り向きそうな美貌を持つ、強く存在感を放つ女性客であった。
その女性は淡雪の目を見つけるや、その視線を淡雪から離さないままツカツカと周り混んで、カウンター奥まで入り込んできた。
「あ、あの、お客さま?」
淡雪は驚きながらも、自分の横で精算作業をしている六花に何か危害がないようにと、手を広げて六花を護る。女性は厳しい表情で言葉を放つ。
「あなたが、白瀬淡雪」
「はい、白瀬淡雪は私です。お客さま、できればカウンターの外で……」
「あなた、松風の何?」
ヒールの高いパンプスを履き長身に見えるその女性客は、淡雪を見下ろしながら冷たい形相で尋ねる。淡雪は六花を背中に隠して身構える。
「松風……くんのことですか? お客さまはどのような……」
淡雪が問い返すと、何が怒りに触れたのか、女性客はいっそう眉を釣り上げる。横目でカウンターの上を見て、シュネーバルを切断するための鉄製のナイフを手にして、再び淡雪を睨みつけた。
(つづく)




