第3話 松風
翌日には淡雪の体調は万全に戻っており、閉店後はまた氷見子と六花が興味津々で淡雪に食いつく。
「なあなあ淡雪。昨日のあのスーツの彼、淡雪の元カレか何かか?」
「だから、お隣りに住んでた幼馴染だってば。私のお兄ちゃんの同級生。お隣りとは家族ぐるみの付き合いだったから、恋愛とかの関係じゃないよ。……って、あれ?」
淡雪は二人を見て言葉を失う。恋愛関係じゃないと知って、二人とも、この話への興味が五割以下に激減しているような悲しそうな顔をしている。どこに行っても女子は恋バナが聞きたいものなのだろう。
終業後のお疲れ様の印として振る舞われるコーヒーとシュネーバルをみんなで囲みながら、淡雪は彼のことを二人に教えた。
昨日のスーツの男、赤瀬松風は淡雪の実家の隣りにあるお茶屋さん、赤瀬茶舗の次男である。赤瀬茶舗といえば長崎市内の茶道家ならば必ず関わると言われる、江戸時代中期から続く老舗の茶商だ。
「ちょっと待て、淡雪。おまえの実家、九州の長崎なのかよ」
淡雪の話を遮って、氷見子が訊く。
「あ、うん……。そっか、言っちゃった」
淡雪が頭を掻いた。
淡雪はあまり自分の過去のことを語りたがらない。氷見子は淡雪が九州の出身ということだけは聞いていた。エルフィのオープンの地を等々力と定めたのは坂がある街が好きだからと言っていたが、坂の多い長崎の地を懐古してのことだったのかと、氷見子は納得する。
赤瀬松風は淡雪の三つ年上。同級生の兄と一緒によく遊んだ仲である。赤瀬茶舗の次男坊で、七つ離れた兄・和敬がいる。長男の和敬の名は、茶道の精神を表す四字熟語である和敬清寂から取られている。次男の松風の名は、茶道で釜の湯が沸く音を表す言葉だ。兄弟の名を見れば、いかに親がお茶を愛しているかが分かる。
父親は既に他界しているが、赤瀬茶舗は兄の和敬が継いでいる。和敬は幼い頃からお茶も家業も好きで、茶師の道を極めている。父の死に伴って社長となったが、長崎一の繁華街である浜町に和カフェを開いて絶品の抹茶パフェが人気になるなど、経営センスもある。美丈夫で人柄も良く、長崎の事業者団体の間では既に青年部の中心的存在になりつつある。
対して次男の松風は、兄ほどは茶への興味はなかった。立派な後継者候補の兄がいるから、呑気なものだ。成績は良かったから東京の有名大学に入学し、卒業後は大手飲料メーカーに入社した。緑茶のペットボトルの販売力も大きな企業なので、そこで営業を学べばそのうち兄の事業にも役立つことがあるかな、と思ったのだという。東京本社や関東圏内の営業所で働いてはいたが、淡雪が東京に来てから再会したのは昨日が初めてのことである。
「おい、淡雪」
また話の途中で、氷見子が横槍を入れてきた。
「え、なに、氷見子さん」
「おまえ絶対、松風くんのことが好きだろ」
「なんでそうなるの。お隣りの幼馴染だってば。氷見子さんたちが、松風くんがどういう人なのか聞くから、順を追って話してるだけなのに」
「いや、ここから恋愛話にもならないなら、そんな転職志願の次男坊の話なんて別にどうでもいいわ。むしろお茶を極めてるイケメンお兄さまのほうが興味あるけどね」
「和敬さんは奥さんいて、もうお子さん二人もいるから……」
「既婚者の子持ちかぁぁ。やっぱ良い男は空いてないもんだなー」
氷見子は頭を押さえて天を仰ぐ。それを見た六花は笑いが止まらない。この人は大して男性なんて興味がない。ただ恋バナが好きなだけなんだと。
いくら追求しても、淡雪はあの赤瀬松風には恋愛感情はなく、ただの仲の良い間柄なのだという。それが分かると、恋バナ大好きな氷見子のテンションも急降下してきて、閉店後女子会は早急にお開きに向かった。
六花も恋バナではなかったことは残念だったが、普段は淡雪が自身のことを話さないから、長崎の出身だったこと、年上のお友達がいることなどを知ることができて、淡雪により近づくことができて嬉しく思っている。
淡雪は松風に突き放すようなことを言ったが、内心は心配だった。
松風が働いている飲料メーカーは誰もが知る大手企業で、就職活動中の大学生の人気ランキングでも必ず上位にランクインしているほどの一流企業。誰もが羨む企業であり、給料の額もかなりのものだろう。
それを捨ててまで転職を考え、しかも淡雪にわざわざそれを伝えに来たというのは、よほどのことかもしれない。
そして何より、その松風の中に見える心がとても分厚い氷に覆われていたことが、淡雪の心を妙に騒がせた。
(つづく)




