表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/42

第9話 食の頂点

挿絵(By みてみん)



 氷見子(ひみこ)が必死に制止してくる淡雪(あわゆき)をも押しのけようとした時。


 後方でガタリと音が鳴った。先ほどからテーブル席でシュネーバルを楽しく堪能していた二人の老齢の男性のうち、かつてドイツにいたというポロシャツ姿の男性が、チェアから立ち上がっている。



「あのー。私も、ドイツ菓子を侮辱されるのはちょっと(いや)ですね。あなた、それ食べてましたよね。美味(おい)しかったでしょう」


「……黙ってろ、ジジイ。ほんとに美味(うま)けりゃもっと売れてる」



 有薗(ありぞの)はギロリと老人を一瞥して顎で払うと、再び淡雪に威圧的な目を向ける。老人は苦笑して、首をすくめる。


「やれやれ、これから売れる味が分からないとは。……そちらのお嬢様お二人、お取り込み中のところ申し訳ないが、ちょっと」



 ポロシャツ姿の男性は、ちょいちょいと四本の指で手招きをして見せた。淡雪は有薗にぺこりと首で挨拶をし、氷見子は鼻を鳴らしながら有薗にわざと肩をぶつけ、その老齢の男性の前に移る。有薗は大きく舌打ちした。


 ポロシャツの男性は淡雪と氷見子に名刺を差し出す。



<ベッカライ・シュトレームング 代表取締役 戸井田慶三>



と書かれてある。



「え、シュトレームング……、あの用賀(ようが)の?」



 驚いた声を上げたのは、地元出身の氷見子だった。ベッカライというのはベーカリーのドイツ語。つまりドイツパンの店である。ベッカライ・シュトレームングは等々力の北西、世田谷区用賀にある人気のパン屋さんで、氷見子も昔から何度か足を運んだことがある。


 戸井田(といだ)慶三(けいぞう)と名乗った老人は、にこやかに話す。



「おお、うちをご存知でしたか。そうです、用賀でドイツパンの店をやってます。うちは毎年クリスマスシーズンになると、期間限定でシュトーレンを出してましてね。数年前までは何度かシュネーバルも出してたんですよ。でも、なかなか理想の味にならず、シュトーレンほど売れなくてね。ここのところ作ってなかったんです。しかし、ここのシュネーバルは悔しいが、うちでできなかった理想的な味だ。いいですねえ」


「あ、ありがとうございます……!」



 淡雪の顔にパッと笑みが咲き戻る。嬉しくて氷見子を見ると、この店に認められることの凄さを表すかのように、目を見開いてうなずいている。


 戸井田は続けた。



「淡雪さん……でしたね。実は一度店に戻って検討しようと思ってたんですが、この味ではその必要もないでしょう。うちのシュトレームングに卸してもらう、というのはできませんかな」


「それって……」



 氷見子が淡雪の肩越しに身を乗り出して訊く。



「ええ。シュトレームングにこのエルフィのシュネーバルを置かせてもらえないか、というご提案です。もちろん、当店を見に来られて、お二人が納得されてからでも構いません」


「よ……、よろしいんですか。ぜひ、詳しいお話を聞かせてください」



 淡雪は満面の笑みで自分の名刺を渡し、ペコペコとお礼の首を振る。氷見子も気づけば自分にここ数日で一番の笑顔が浮かんでいた。淡雪の肩をポンポンと叩きながら、淡雪を讃える。


 しばらく呆然と見ていた有薗が、クックッと下卑(げび)た笑いを漏らし始める。



洋菓子店(パティスリー)の世界はフランスが最高峰だが、パン屋(ブーランジェリー)の世界もまたフランスが頂点。ドイツ菓子とドイツパン……。亜流同士のコラボというわけか。笑えるな」



 名門ホテルのフレンチ部門を歩んできた有薗は、極度のフランス至上主義であった。一般的に世界三大料理といえば東洋の中華料理、中東のトルコ料理、そして西洋のフランス料理。有薗にとって、ヨーロッパの食の文化の頂点はフランスにあり、それ以外の欧州諸国の食文化はその追随に過ぎないと考えている。デザートはもちろん、パン部門(ブーランジェ)(しか)り。


 氷見子は歯噛みした。まさに淡雪と出会うまでの自分も似たような考え方だったからだ。有薗の偏見はかつての自分と同じだ。有薗に対してよりも、そんな自分に対して情けない気持ちになる。


 戸井田も淡雪もそんなことは言われ慣れてきたのか、苦笑している。


 パンパンと手についた粉くずをはたく音が、戸井田の後ろで鳴った。



「パティスリーとブーランジェリーの世界は、フランスが最高峰……。僕はそんな話は、聞いたことがないけどねえ」



 先ほどから戸井田と一緒にシュネーバルを堪能していた、ストラスブールにいたというネルシャツの銀髪の男性だった。


 その男性にも反発の言葉をぶつけようとした有薗は、その男性がこちらを向くと顔色がみるみるうちに変わっていく。



「あんた……、いや、あなたは……」



 有薗の焦燥の様子を見て、戸井田は目を細める。淡雪は不思議に思って氷見子の顔を見ると、氷見子もまた唖然としていた。



「嘘だろ……」



 そのネルシャツの男性はゆっくりとチェアから立ち上がった。




(つづく)





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ