第7話 運命の客
数日後。後から思えば、エルフィの運命が好転に動くことになる日のことである。
その平日は朝から近場の主婦が何人か来店した。いつも夕方に入り浸っている部活帰りの高校生たちから噂を聞いたその母親たちのようだ。
次第にお店のことが地域に知れ渡ってきていることが、淡雪にも氷見子にも実感できていた。今の時間は等々力第一高校でお勉強に励んでいる霜山六花に、二人は深く感謝する。
昼過ぎのこと。カランカランとドアベルが成り、六十歳前後と思われる二人の男性が仲良く店に入ってきた。一人はポロシャツ、もう一人はネルシャツと、共にラフな服装である。
「ほう、シュネーバル、懐かしいですねえ」
「私も実物を見たのは、何年ぶりですかな」
二人の白髪の男性はまるで子どものように無邪気にショーケースの中を覗き込み、楽しそうに指差しながら選んでいる。淡雪はカウンターから微笑んで接客する。
「いらっしゃいませ。ドイツへはご旅行だったんですか?」
「ああ、いや、ちょっと一時期アウクスブルクに住んでいたことがあってね。その時にちょくちょく食べたんだ」
「わぁ、ステキ。バイエルン州ですものね」
ポロシャツの白髪の男性が、目を輝かせる淡雪を見て照れる。今度はネルシャツの銀髪の男性が割って入る。
「彼がいたのはドイツだけどね、僕はフランスのストラスブールってとこにいたんだよ。その時はドイツにも時々足を運んでたんだよね」
「まぁ、ストラスブール。国境のそばの街ですよね。いいなぁ」
淡雪の羨望の視線に、その男性も心を射抜かれたのか浮かれている様子。二人は思い思いのシュネーバルを選んでいって、カフェスペースで和気藹々と楽しいコーヒータイムを過ごしている。夕方の若い高校生が陣取っているテーブル席も明るくて微笑ましいが、上品なおじさまたちの憩いの場としての雰囲気も良いものだ。
ドイツ帰りとフランス帰りの二人の楽しそうな様子を見て、淡雪はまるで自分と氷見子のようだと感じた。自分たちも年をとってもあんな風に、楽しくお菓子を分かち合える関係でいれたらいいなと思った。
しばらくして、またドアベルが鳴って扉が開いた。
「いらっしゃいま……せ……」
淡雪の明るい挨拶の言葉が、語尾で震えた。カーキ色のジャンバーを着たそのお客は、顔にマスクほどの大きなガーゼを顔面の中央にテープで貼っている痛々しい姿だった。見た感じ五十代の男性だろうか。
淡雪の声の異変に気づいて、奥の厨房から氷見子がアコーディオンカーテンの端から店内を覗き込んだが、その客の顔を見て目を見開く。
(げっ……、有薗じゃねーか。誰だよ、あいつにここのこと伝えた奴)
氷見子は舌打ちをする。親しかったパレドロイ東京の元同僚の三人ほどにはエルフィのことを伝えてあったから、その中の誰かが漏らしたんだなとすぐに直感した。伝えるんじゃなかった。
有薗は淡雪に、冷たい視線を向けて注文を伝える。
「姉ちゃん。柊氷見子が作ったものはどれ」
「え、氷見子さんのお知り合いの方ですか。えっと、今日はプレーンのシュネーバル以外はどれも大体、氷見子さんが心を込めて作ったものです」
「ほう……。じゃあ、そこのチョコのやつと、ホワイトチョコのやつ。あとアイスコーヒー。店内で食う」
「かしこまりました。お持ちしますので、お好きな席で……」
淡雪の言葉の途中で、有薗はさっさとカウンター席へ移って、ドシンと音を立ててチェアに腰を下ろした。淡雪は恐る恐る商品を用意する。
氷見子はその異様な雰囲気を見かねて、アコーディオンカーテンを勢いよく開けて姿を見せた。淡雪に手を出したり暴言を吐いたりしたら絶対に許さない、という強い視線。有薗がギロリと氷見子の顔を見る。
「柊……。やはりいたか。こんなところに」
「なんだよ、あんた。店の文句を言いに来たんなら帰れよ」
「おまえの菓子を食ったら帰るよ」
「歯も折れて無くなって、味分かんねえだろ」
「誰のせいだ。前歯はなくても奥歯と肝心の舌はある。おまえの作るものがどれほどつまらないかぐらいは分かるよ」
氷見子と有薗は冷ややかなれど強く睨み合った。
淡雪はオロオロしながらも、有薗の前にトレイを運んでくる。
そこには氷見子が一から作った、チョコがけのシュヴァルツ・シュネーバル、ホワイトチョコを絡めたヴァイス・シュネーバルがバスケット皿の上に並べられていた。
有薗はそれを見下ろし、不気味に口角を上げた。
シュヴァルツ・シュネーバルを片手に取った有薗は、その手に握力を込めた。シュネーバルはポロポロと砕けて包み紙の上に落ちていく。
「な、何しやがんだっ」
氷見子が逆上の声をあげて有薗につかみかかろうとした。
(つづく)




