第4話 二人の違い
それまでは余裕の表情だった氷見子だったが、そこからは焦燥の連続であった。シュネーバルを揚げても揚げても、淡雪が作ったシュネーバルの味とは微妙に違うのである。額に浮かぶ冷や汗を拭う氷見子。
淡雪は氷見子の作ったシュネーバルを美味しそうに頬張っている。
「さすが氷見子さん。すっごく美味しいですよ。私が作ったものと、ほとんど同じに仕上がっています」
「そうだよ。ほとんど同じなんだ。でも、なぜか同じ食感にならない。歯触りが微妙に違うというか」
「そんなー。お客様には分からないぐらい、ほぼ同じですよ。このままお店に並べても、全然大丈夫です」
「そんなことは分かってる。でも許せないんだ。あたしが寸分の差もない同じものを作れてない、それも淡雪の作ったもののほうが、あたしのより僅かでも上ってことがよ」
氷見子は思わず白瀬淡雪の胸ぐらをつかむ。しかし怒りが向いている相手は明らかに淡雪ではない。自分自身である。それに気づいた氷見子は「……悪ぃ」とつぶやいて淡雪の襟から手を離した。
諦めた氷見子は、素直に淡雪に実演してもらうことにした。スマホをストップウォッチ代わりにして揚げる時間を計測。しかし、淡雪はキッチンタイマーをセットはするものの、揚げる時間は一定ではなく毎回かなり誤差があった。明らかに時間を正確に計っていない。
「おい。揚げ時間が各個まちまちじゃねえか。何でそれで、どれもあの食感に仕上がるんだよ。どうやって計ってんだ」
「うーん。今だよーっていう瞬間が見えるというか」
「ふざけてんのか」
「だって、氷見子さんも人の凍った心が見えるんですよね? シュネーバルの中にも見えるでしょ。凍ってる心が。それが解けきった瞬間にフライヤーから上げてるんです」
「シュネーバルは物体なんだから、心なんてないだろ」
「ありますよう。生地を冷蔵庫で寝かせた後だから、こんなに凍えてるんだから美味しく作ってほしいよって。その心が氷の形に見えてて」
「はあ?」
「フライヤーでこんがり揚がるうちにその氷が解けていって、ちょうどそれが解けきった時に、今だよーっていう感じの音が聞こえて。美味しくしてあげたいから、私もそれに応えてあげて」
「何を言ってんだ、おまえは……」
氷見子は淡雪の説明に唖然とする。
銀座あたりの天ぷら屋の名店の名人は、気泡の音で揚がり具合を判別するという話を聞くが、それと同じことだろうか。いや、それぐらいのことは氷見子にだってある程度は分かる。それを超える領域の話だ。
確かに自分は、人の心が凍っている様子が、その人の中に氷の形で見える。しかし、それはあくまで人間の中だけだ。犬や猫の中に見たことがなく、ましてや生物ではない無機物の中では考えられない。これまで何千何万と作ってきた洋菓子の中で、気持ちが見えたり声が聞こえたりしたことなどない。あり得ない。
氷見子は考える。
淡雪には自分と同じように、人の中に凍った心が見えるという。しかし、淡雪と自分とでは何かが違う。何が違うのか。
一つ気づいた。菓子にも心が見えるという淡雪は「美味しくしてあげたい」と言った。菓子に心なんてあるわけがないと思っている自分は、「美味しくしてあげたい」と思って菓子を美味しく作ろうとしたことがあるだろうか。菓子は自分を表現する場だとしか思っていなかったのではないか。
「淡雪、ひとつ聞いていいか」
「ひとつと言わず、いくつでも」
「人の凍った心が見えたら、どうしてんの。まさか、それを解かしてあげられる特殊能力も持ってるのか」
「持ってないですよ。私にはそれを解かしてあげられる力はないです。見えるだけ。だからせめて、少しでも凍った心を解かしてあげるお手伝いができたらな、って思います。お節介な性格とでも言いますか」
「そっか……。それが、あたしとの大きな違いなんだろうな」
氷見子は苦笑する。
「あたしは他人の凍った心が見えても、何とも思わない。鬱陶しいだけでむしろ関わり合いたくないと思ってる。淡雪はそこが違うから、菓子にも心が見える変態になれるんだろうな」
「変態って、ひどいー」
淡雪は頬を膨らませた。そのいじらしさに、氷見子はつい噴き出す。
「淡雪……私の凍ってる心ってのも、解けるものかな」
(つづく)




