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第九章 好敵手

 早くも太尉の地位にあった一平が大佐に昇進したのはそれから一週間ほど後のことだった。

 先日行われた武道会の成績が功を奏したのだ。

 基本的に、ひとつの部門で優勝すると一階級上がる仕組みになっていた。一平は三部門を制覇しているので三階級の特進だ。もっと出場して一気に階級を上げるチャンスだったのだが、あまり気持ちが分散しても逆効果だし、力配分の調節も難しい。出場した全ての部門で優勝するのはできないとしても、得意と思える三部門で一番を取れたのは喜ばしかった。

 大佐ということは、最高位の大将まであと三階級だ。青の剣の守人はその大将を兼ねる。青科の教授陣に守人候補性として推薦してもらうためには、少将以上の階級を獲得していなければならないので、何とか早いうちに少将までにはなっておきたい。守人を定める試験日は明日にでも公示されるかもしれないのだ。

 

 この武道会で一平は好敵手を得た。

 時は一週間ほど前に遡る。

 武道会の大剣戦では、誰も一平には及びもつかなかったが、中剣戦は参加者も多いし実力も拮抗していた。

 中剣戦の上位に残った六人は特に強かった。

 武道会には一般人も参加することができるが、ほとんどは青科の学生か軍人で占められていた。そのため顔見知りも多く、各々の実力のほどにも普段からお目にかかっている者の方が多い。手続きの時、エントリーした顔ぶれを眺め渡して、一平の頭の中に様々な情報と対戦のイメージが湧き上がった。

 だが作戦を立てられない相手が一人いた。

 明るい栗色の髪と琥珀色の目をした背の高い男だ。その男が人目を引くのは、身に付けたマントが赤い色をしているからだった。

 トリトニアで赤のマントを着ることのできる者はたった一人しかいない。

 国王であり、赤の剣の守人であるオスカー三世だ。真紅のマントは赤の剣の守人専用の色であり、他の人間が着用することはご法度なのだ。同じ赤でも赤橙や朱、茶色がかったものなどは許されているが、王に遠慮をするせいか身に付けようとするものは滅多にいない。

 それを、その男は堂々と身に纏っているのだ。

 目を凝らしてよく見れば紫がかっている。赤紫と臙脂の中間のような色合いだった。海に出た当初一平が着ていた父の形見のマントが臙脂色だったせいか、何か懐かしい気がした。どこかで見たことがあるような…。

 男の出身を聞いて納得した。

 隣国ジーの出であるという。面立ちが、あの南の海の果てで会ったキャプターに似ているのだ。

 細面でくっきりとしたつくりで、鼻も高い。ジーではよく見かけるタイプの顔だ。栗色の髪はまっすぐで長く、左寄りの七三に分けたものを右側でひと括りにし、その先も三箇所ほど纏めて広がらないようにしている。背が高いので手足も長く、マントも人より長い。どこからどこまで長いことづくめの男だった。

 腰に下げた中剣は年代物のようだがよく手入れがされており、先祖代々受け継がれてきたものであることを伺わせた。


 トーナメントの行われる順番はまず体術、そして武具の軽量なものから始められた。一番最後が大剣戦である。どこの催しでも、クライマックスは迫力と見応えのあるものを持ってくると相場は決まっている。一平にとっては、一番体力を消耗する体術戦と大剣戦が最初と最後に離れているのは都合がよかった。

 初めて出場した体術戦にはかなりの気合が入っていた。トリトニアには一平のようなガタイの者は多くはなかったが、軍という特殊な団体の中にはそれなりにいるものである。

 師のミカエラは当然一平の身幅を上回っていたし、剣術よりも体術に長けた身体を作ることに懸命になっている者もいた。そもそも一平は、大きく見えはしても岩のような大男というわけではない。中には見苦しいほど筋肉が盛り上がって瘤のようになっている者もいるが、一平は違った。骨格が太くしっかりしているので頑丈であり、鍛錬によって必要なところに必要な量の筋肉がついているのだ。脂肪の燃焼率はすこぶるよく、余計な脂肪が付いていないので敏捷性に富み、また、若さと心掛けとで健康な艶と潤いのある肌をも合わせ持っている。気痩せするのも、頭と胴との釣り合いがよいために八頭身で背が高く見えるからだ。それと爽やかで甘い顔立ちも一因している。

 天性の勘に、ミラに叩き込まれた肉弾戦術の技、そして己の鍛錬の結果として、一平は自分より大きな男たちを次々と捩じ伏せていった。

 槍戦では父の偉大さを思い知った。一平の父のラサールはかつてこの武道会で七年連続優勝を果たしたのだと、オスカーやミカエラから聞いていた。ラサールの操槍術は、狙いが正確で一撃必殺だったと語り草になっていると言う。

 そして次のレイピア戦では己の不思議なさを実感する羽目になった。

 まだレイピアに取り組み始めてそれほどの月日は経たない。当然優勝には及びもつかないだろうことは覚悟していた。それでも一平は勘の良さを活かして身軽に立ち回る。しかしレイピアにはレイピアに有利な体格、素質というものがある。女性の参加者も思ったより多かったし、あまりにも小柄で華奢な相手を真剣に攻撃する気になれないこともあった。その上、終いに一平はとんでもない失敗をやらかしてしまったのである。


 レイピア戦の第一人者と言われている選手と対戦した時のことだ。目にも止まらぬ早業で攻撃を繰り返してくる相手に、一平は遂に己のレイピアを弾き飛ばされた。重量の軽いレイピアは一平の手を離れ、そのままくるくると回りながら頭上へと飛んで行った。くるくるとは言っても、それから避けるのがやっとというくらいにはスピードはあった。

(しまった!)

 一平は焦った。危惧していたことを自分が起こしてしまった。しかも、よりによってパールのいる上層部へと、剣は進路をとっている。

(ニーナ!)

 頼む!避けてくれ!パールの視界からあの剣を遮ってくれと、一平は必死の思いを飛ばした。

 ああんっ、と悔しがるパールをぐいと引き寄せ、ニーナはパールに覆い被さる。

 きゃ、と小さな悲鳴を上げるパールを抱えながら、ニーナは自分の身体に痛みが走るのを待った。だが予測した時間にそれはやってこない。かと言って、他の誰かが断末魔の叫びを上げる様子もない。

 恐る恐る振り向いて顔を上げると、目の前に男が浮いていた。伸ばされた手には細身の剣が握られている。

 周りからおおっというどよめきが起こる。男は左手を上げて闘技場に合図をすると、柄を先にして持ち主へと投げ返した。 

 成り行きを恐怖の眼差しで見守っていた一平だが、我に返ると剣の行方を追っていた。到底間に合うはずもなかったが、一平は迷わず闘技場から観客席へと水を蹴って飛び出していたので難なく掴むことができた。

 レイピアの柄を捉え、下向きに下ろして救世主を見上げる。あの男だった。ジーから来たという噂の、細長い選手。

 気をつけろよ、という表情を一平に投げ掛け、男は観客席に戻って行った。

 一平は剣を鞘に収めると深々とお辞儀をした。一平にとっては、実に救い主だった。誰より大切な人を、一平はこの手で傷つけるところだったのだから。

 一平は無闇やたらと人に声をかける質ではない。

 興味を持ったとは言え、このことがなければ、武道会が終わるまで一平の方から声を掛けたりはしなかっただろう。

 レイピア戦が終わった後、当然のことながら一平はこの男を探し回った。まずパールたちの観覧席に行き、失態を詫びてニーナに詰られてからさっきの男の行方を訊く。

 ニーナも一言礼を言いたかったらしいが、その男は現れた時と同様瞬く間に姿を消していた。ニーナの方も突然のことにびっくりして腰を抜かしているパールをそのままにしておくこともできず、不本意ながら礼節を欠いてしまったとこぼした。

「そうか…。まあいいか。選手のようだったから、この後闘技場に登場するだろう。すまないが、おまえたちも気をつけていてくれ。オレも礼を言いたい」

 そう言って選手の控え室へ戻って行った一平だったが、思わぬところで手を合わせる成り行きになっていた。


 それは中剣の決勝戦だった。

 トーナメントの組み方によっては、実力が二番手の者が決勝に進めるとは限らない。そして中剣は出場者が多いため、控え室は対戦のブロックごとに分けられていた。一平がその男に再会したのは何と決勝戦の舞台の上だったのである。

 一平は目を丸くし、一瞬、対戦のことを忘れた。

 男の方も一平のことが誰だかわかったようである。もちろん、闘技場に登場する時に名を呼ばれるので、どこの誰と対戦するのかぐらいはわかるが、一平の方は相手の名を知らない。顔を見て初めて気がつくことになる。だが向こうにはわかっていた。一平の名は珍しいし、もう既に三つの部門に出場して優勝をひとつ攫っている。まさかジーまで一平の名が鳴り響いていることはないだろうが、ここトリトニアでは結構な有名人なのである。ジーから来たばかりだとしても、武道会の行われるトリリトンまで来る間に某かの噂を耳にしていたとも考えられる。

 闘技場の両端に向かい合い、はじめの礼をしてから中央に踏み出して抜き身の剣を合わせる。胸に一物ある一平の落ち着きのない表情を目の前にして、男がフッと笑う。

「…話は後にしようぜ。一平さんよ」

「!」

「余計なことを考えて力を出し切れなかったなんて言うい訳のつく優勝なんて、こっちも願い下げだからな」

 自信に満ち溢れ、だがユーモアと平等の精神の垣間見える挨拶を、男は言って寄越した。

「オレは正々堂々とあんたに勝ちたい」

「…よかろう…」

 一平は気を取り直した。そうだ。考え事をしながらなど、勝負に挑んでいる人間に対して失礼ではないかと。

「参る!」

「おう!」

 さすがに決勝戦だった。互いに激戦区を潜り抜けてきただけあって、実力は伯仲していた。大剣使いの一平には中剣はおもちゃのようなものだ。手軽く扱える。流れるような剣捌きを、苦もなく作り出すことができる。それでいて狙いは過たず、一撃も力強い。

 対するジーの男は非常に切れのある剣の振り方をした。素早く、鋭利だ。手足の長さは間合いを詰めるのに有利であり、また剣を振っている時は想像以上に長く見えるのだ。

 一平はその日対戦した誰よりも、この男が優れていると思った。

 制限時間ギリギリで、一平の剣が男の喉元を捉えた。

「…降参だ…」

 男が呟く。

「一本!勝者、一平!」

「わあああーーっ」

 今日既に何度も聞いた歓声が降り注ぐ。一平は剣を戻し、負けた男もそうする。審判の指示で再び向かい合い、終了の握手を交わす。

「ありがとう」

 爽快な気分の下、一平は言った。

「何に対する礼だい?」

 面白そうに、男は問う。試合の後、礼を言い合う習慣は確かにあった。だが、目の前の男はその一言に幾つもの意味が込められているように感じたのだ。

「素晴らしい立ち会いに。あんたの伎倆に」一平は一旦言葉を切る。「そして…オレの大事な人を守ってくれたことに」

 そう言って膝まづき、握った手を半回転させて、相手の手の甲に口づけた。

 審判や観客も驚いたが、一番驚いたのはキスされた本人である。

 一平の方は大真面目であった。それほどに、一平にとってこの男の行為は絶賛に値するものだったのだ。

 男を下から見上げながら一平は言った。

「これが終わったら、あんたにもぜひ会ってもらいたい。パールに。あんたが命を救った、オレの一番大切な女性に」


 男の名はナシアスといった。

 ナシアスは大剣戦にはエントリーしていないと言うので、一平は待ち合わせの場所を指定した。帰りはパールとも一緒に帰城する予定であった。が、いきなり王宮に招待するのは気の毒だと思ったので、一平は闘技場の一室を借り受けた。武道会は軍の兵舎のある施設の闘技場で行われていたのである。急なことではあったが、一平が名を告げると、軍の施設の管理者は快く部屋を開けてくれた。

 体剣戦の参加者は、何とたったの五人しかいなかった。それも一平よりもキャリアの少ない、だが体格はいい少年とか、やたら振り回すだけのうどの大木のような男とか、見るからに棚ぼた狙いとわかるいかにもひ弱そうなうらなりとかだ。いくらなんでもこれでは張り合いがなさすぎる。本気で辞退しようかと、一平が一瞬考えたのも無理はなかった。ましだったのはただ一人、何と青科で大剣を教授しているボイス尊師だった。

 青科で大剣を学んでいる者は一平の知っているだけでもこの倍はいるはずである。だが、去年までならともかく今年は一平がエントリーすると聞き、まず優勝するのは無理。そう考えて参加を見合わせてしまった者が多かったのだ。

 甚だ残念ではあったが、ボイス尊師との一戦は手応えがあった。学生たちの不甲斐なさに一発奮起を諮ろうとわざとエントリーしたのだが、裏目に出た。余計に萎縮させてしまった。一平との手合わせにも負けてしまった。これを見てもう一人の教授が飛び入り参加を申し出た。青科の大剣の筆頭教授であるゴルデルだ。

 勘弁してくれよと言いたい一平だが、その一方で嬉しいことも確かだった。手応えのある相手と一人でも多く渡り合いたい気持ちはいつも持っていた。尊師と手合わせをする機会もあるようでいてなかなか回ってこないものだ。それを今日は二人もの尊師と手合わせをし、あろうことか二人共を一平は倒してしまったのである。文句なしの優勝だった。

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