第二十章 身代わり
少しでも身体を休めておこうと思い、ニーナは寝台に横になる。
奇襲を成功させるためには状況を平穏に保っておく必要があった。そのためにニーナは残ったのだ。レレスクの油断を誘い、決起の成功を見極めて脱出する手筈だ。一平とはそう約束している。
室内を見回して状況の把握に努める。
貴賓室は豪華ではあったが牢だった。窓はあってもそこから出ることができない造りになっている。
調度品は悪くない。囚人が気晴らしできるような道具もいくつか置いてある。やはり主に高貴な人質を囲うための場所なのだ。
寝台もやけに大きい。三人は楽に寝られそうだ。どう見ても一人用ではない。
元々が妾妃の部屋だったのだと聞いているが、妾妃も結局は王の囚人だったのだろうとニーナは思った。ロトー王は文武に優れているらしいが、だからといって人格的に優れているとは言い切れない。世の男の例に漏れず女には目がないようだと推察できる。
捕らえられたパールが何の手出しもされなかったのは奇跡だったかもしれない。
だが待てよ、とニーナは振り返る。
確かガラリアのガラティスも、パールを捕らえたもののすぐ解放したという話だった。おそらくあまりに子どもっぽいのでその気が起こらなかったのだろうが、今はその頃よりも確実に女らしさを増しているはずだ。一平にはああ言ったが、ニーナの目から見ても、時折うっとりするほどの芳しさを匂わせることがある。
そのことにロトー王も気がついていたのだということは、間もなくニーナの知るところとなった。
夜半を回った頃、室内に足を踏み入れた者がある。
レレスクの王、ロトーだった。
―来た―
戦いが始まる、とニーナは覚悟した。
「気分はいかがかね。王女、パールティア」
馴れ馴れしく、王は人質を呼び捨てにした。
「色々とご苦労だったな」
怯えているふりを装い、ニーナは答えない。
「そなたが懸命に尽くしてくれたおかげだ。今のところ他の地からの発症の報告もない。おかげでやっとそなたと懇ろになる時間が取れたよ。長らく待たせたな」
(バールはおまえなど待ってはいないわ。愚か者)
ニーナは心の中で毒づいた。
声を発せぬほど怯えている王女をよく見ようと、ロトーは寝台に歩み寄った。
「休んでいたのか?では、少しは気力も回復したろう。涙は止まったかね?」
―パールを泣かせたのね⁉︎許さない…―
ロトーの言葉からパールへの仕打ちを推し量る。
「わしがなぜここに来たのか不思議かね?案ずるな、わしはそなたを慰めに来たのだ。何も悪意があってそなたを閉じ込めているわけではない。休養をとってもらいたいからだ」
ロトーはニーナの横に来た。肩を抱き、顔を寄せてくる。
「施術は疲れたろう。わしの仕事も激務が多くてな。気持ちが疲れる。疲れを取るには発散するのが一番だ。異性の身体で慰めてもらうのがな。ぐっすり眠れるよう、わしがたっぷり可愛がってやろう」
言葉の終わらぬうちからロトーはニーナの身体を触り始めた。びくりと身を引くニーナを逃すまいと、肩に置かれた手に力が入る。
「…噂とは当てにならぬものよの。トリトニアの王女はまるで子どもと聞いていたが…」
ロトーはニーナの顔を覗き込む。
「昼間でないのが残念だな。さぞ美しかろうに」
今は真夜中なので当然真っ暗だ。海人の彼らにはそれでも特別な力で物の判別はできるが、色だけは光がなければわからない。
「…お許しを…。ご勘弁ください。私には言い交わした男性が…」
「知っているさ。勇者とかもてはやされている若造だろう。なに、まだ結婚していないのならそう義理立てすることもない。抱かれたことはないのだろうが?」
「そんな…滅相もない…」
ニーナはあくまで淑やかな王家の娘を装って応対する。
「わしが教えてやるさ。どうやったら男は喜ぶのかをな。新婚の床で夫を喜ばせてやれるぞ。感謝するがいい」
滅茶苦茶自分勝手な理屈だった。ニーナが怯えたふりをし、必死に許しを乞うても、ロトーは前言を撤回するつもりはないようだった。
ニーナは逃げられない。逃げる気もない。
彼女は演じた。
何も知らない生娘が、女として開花させられてゆくさまを。
王女と信じたニーナを征服し、満足したロトーはそのまま寝台で鼾をかいていた。
その横で、ニーナはじっとまんじりともしないで闇を見つめている。
覚悟をしてここへ来たとは言え、ニーナにとっては初めての経験だった。ロトーのしたことを思い出すと、今頃になって怖気が走った。ぶるっと身震いして自分の身体を抱き抱えたニーナの肌に、それを打ち消すような感覚が蘇る。
ニーナのことをパールだと思い込んだ一平の手の熱さ、唇の柔らかさだ。薄物を剥ぎ取った動作はがむしゃらで荒っぽかったが、一平の愛撫は優しくて切なかった。全身全霊で相手のことを思っているのが感じられた。自分の欲望を優先するロトーのそれとは雲泥の差があった。
どうせ汚されてしまうのなら、あの男に汚された方がよかったと、ニーナは思ってはっとした。
そんなはずはない。あんな奴は大嫌いだ。
誘ったのは罠だった。パールを守るためではあったが、これ幸いと食いついてきたら、うんと蔑んでやるつもりだった。しかし一平はニーナの思い通りにはならなかった。パールへの強い愛が、薬の力をも退けた。
邪魔者であるはずのニーナが敵陣から生きて帰ってくることを大真面目に説得した。また覗いてやると言ったのに、見せつけてやるから構わないと言って笑った。
誠実で優しくて、大胆不敵で寛容な男。
―だから、嫌いだ―
馬鹿で軽率でくだらない男だったら、さっさと追い払ってやれるのに。バールの前から消えてもらうのなんか容易いことなのに。できた男だからそれができない。
あの男がバールの心を捉えて離さないのを指を咥えて見ていることしかできないのが悔しかった。
でも、一平にもできないことがある。
今のニーナがしていることがそうだ。
パールの身代わりになる。バールに振りかかる災難を代わりに受け止める。そうすることによってパールを守る。
―間に合ってよかった―
こんなろくでもない男にパールを好きなようにされないで済んで。事前にすり替わることができなかったら、パールの心はこの世に留まっていなかったかもしれない。
ところでこれから自分はどうしよう?
約束の三時まではまだ少し時間がある。
脱出する方策を決めなければならない。
タイミングが微妙だった。
ロトー王は眠っている。今抜け出して三時まで目を覚まさなければ何も問題はないが、鼾を掻いているということは決して眠りは深くない。二度と気づかれることのないように寝首を掻くというのがベストなのだが、レイピアも手首のリストバンドも怪しまれぬように外してあった。女の細腕では締め殺すことは不可能だろう。
うまい方法はないかと、ニーナはロトーを見下ろした。
寝台を抜け出し、手早くドレスを身に付ける。
その気配にロトーが目を覚ました。
「…何をしている。まだ夜は長いぞ」
こっちへ来いと手招きする。
ニーナは従わない。
ロトーは眉を顰めて起き上がる。
躙り寄り、ぐいと引っ張る。
ニーナは抵抗した。
「なぜ拒む?先ほどあんなに…」
下世話な言葉がロトーの口から出る。
―こんな男のすることに反応してしまった自分の身体が厭わしい―
世を儚む王女の目をして、ニーナはロトーを睨み付けた。
ニーナの挑戦的な目つきは彼に獰猛な気持ちを抱かせる。
先程とは異なり、ロトーは荒々しい獣と化した。
ロトーを操りながらニーナは思った。本当に、間に合ってよかったと。
じきに三時だが、ロトーが部屋を出ていく気配はない。
それではこのままだ。もう二度とパールに会うのは叶わないかもしれない。
(もうパールは天幕に着いているかしら?)
(あなたのことだから…きっと一平さまに泣きながら抱きついて…キスと抱擁で宥めてもらっているんでしょうね…)
(私がしてあげたかったわ…)
「パール…」
いつしかニーナは呟いていた。
ロトーに聞こえるとは思わなかったが、ロトーは動きを止めた。
こんな時、自分自身の名前を呼ぶのは明らかに変だ。
もしや…と、疑問が浮かぶ。
組み敷いている女の姿をよく見ようとする。
捉えた時の王女の姿を思い出す。似ているが違うと思い至る。
ロトーは言った。
「貴様、王女ではないな⁉︎」
「……」
「迂闊だったわ…」
「…遅いわ。…大体、気高い王女ともあろう者が、こんなにあっさりと征服者の蹂躙を許すと思うの?主人に対する冒涜だわ」
「うぬ…」
ロトーはギリギリと歯噛みする。
「王女でないなら用はない。少々勿体ない気もするが、ここで成敗してくれる!……であえ!」
ロトーは外の小姓に向かって叫び、寝台の脇に置いていた剣を取った。
ニーナは帯剣していない。
しかし、動きは敏捷だ。ひらりと寝台の上から抜け出し、得物となりそうなものを探す。引き裂かれたドレスが目に入ったが、パールとすり替えたもののため、武器はそこに隠されていない。
必要なかったのだ。元々パールを逃がせればよかっただけで、自分の身を守る手段など考えなかった。パールのふりをしたまま死んだってよかったのだ。
だがロトーは見破った。ロトーだけでなく、他の者にも知れた。パールがずっと遠くへ落ち延びていればよいが、もしものことを考えると時間稼ぎがしたい。
総攻撃を仕掛けるはずの刻限にはまだ間がある。今城内慌ただしくさせて警戒を強めさせてはせっかくの奇襲の計画がぱあになる。
机の上に的当ての矢を見つけてニーナは飛びついた。
(一平さま、早くして!)
神に祈るより先に総大将に祈った。




