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第十九章 潜入

「ここに致しましょう」

 海藻の茂みに騎乗してきたイルカを待機させると、ニーナと二人の兵士は甲冑を外した。三人はレレスクの王宮の侍女のお仕着せを着ている。裾の長い薄水色の巻きスカートと同色のブラウスだ。甲冑を取り、その上から大きな三角のストールを頭から羽織って首に巻いた。

 ニーナに同行するよう選ばれたのはユリウスとクルトという戦士だった。ユリウスは細身で金髪、女顔で切れ長の目をしている。クルトは小柄で丸顔だが、額や頬にかかる巻き毛が可愛らしく、少々童顔のため化粧を施せば女性として充分通用した。

 長いスカートの下にはレイピアを隠し持った。ニーナとユリウスの足の大腿部には、剣を挟むためにベルトを巻きつけてある。短剣(ダガー)の名手であるクルトは両足に短剣を挟む鞘付きベルトを四本取り付けた。ニーナは手首のリストバンドに隠し針を仕込んである。

 抱えた漁籠(びく)に似た籠には、小さな海蛇が何匹も入れられている。事前に蛇に睡眠薬を飲ませてあり、酒として生き血を飲んだ際に薬も一緒に回るという寸法だ。

 ニーナは涼しい顔をしてレレスクの城門に向かってゆく。今は深更、夜中の十二時(じゅうにとき)に近い。城門には当直の衛兵が二人しか立っていない。

 先に立ち、ニーナは優雅に兵に向かってお辞儀をした。

「お役目ご苦労様でございます」

「こんな時間に何の使いだ?」

 三人の服装を見て、外へ使いにやられた侍女が帰ってきたのだと衛兵は理解した。

「奥で小さな宴会を開いておりまして、お酒が足らないようでしたので、仕入れに行って参りました。ヌアク王子様は人使いが荒くて嫌になりますわ。何もこのような夜更けに買い出しを申しつけなくてもよろしいのではございません?」

 ヌアク王子はロトー王の五男坊。酒好きで有名だ。このようなことは別段珍しくもないらしく、衛兵はふむふむと頷いて、はきはきとものを言うニーナの顔を見た。

「きれいな娘だな。そいつを奥へ運んだら今日は上がりか?もしよければ戻ってきて少し話をしていかんか?」

「まあ、こちらのお役目はどうなさいますの?」

 ころころと笑ってニーナは尋ねた。

「もう数分で交代だ。あんたが戻ってくる頃にはちょうどいいだろうよ。あんただって十二時で交代だろう?」

「よろしいですわ。ではこれをお持ちになって。差し上げます」

 ニーナは手にしていた蛇酒を一匹衛兵に差し出した。

「これはまた…。いい酒だな。とても生きがよい。ヌアク様はいつもこんなにいいものを口にされているのか。羨ましい限りだ。おまけに、側仕えの侍女もこうした綺麗どころだと」

 まあ、嬉しいこととを、とニーナはユリウスとクルトを振り返って愛想を振りまくよう笑顔で求めた。多少ぎこちなくはあったが、二人とも口元を押さえてほほほ…と笑い、では後ほどご一緒に、と言ってその場を後にした。

 夜中のこと故、城内は人気がない。歩哨が立っているのでまるきりないというわけではないが、閑散としていた。


 目指すフィメイルの塔まで三人は見咎められることなく行き着くことができた。

 口実に使ったヌアク王子の居室はこの塔とは方向が違うので同じ言い訳はできない。塔の衛兵への差し入れと称して蛇酒を持ち込んだ。

 出入口は最下層にある。

 ニーナは塔の見張り番の衛兵に酒を差し出した。

「ヌアク王子様より下賜されました蛇酒でございます。本日小宴会を催しておりましたところ、蛇酒の数を間違え、大量に残ってしまいましたので、当直の者にでも振る舞えとのお言葉でした。どうか皆様でひと口ずつお回し飲みを」

 預けて行っては仕事中のこと、真面目な兵なら交代後に貰おうとするだろう。ヌアク王子は浪費家だがケチ、とも聞いている。気まぐれの性質故に、下々に対する待遇にもむらがあり、激しい。この辺の作り話が何とも不思議に尤もらしかった。

「今、飲めと?」

 案の定、衛兵も尋ねる。

「はい、ひと口ぐらいなら何も問題はあるまいと」

「ささ。どうぞおひとつ」

 横でユリウスも、それらしく今ひとりの衛兵に蛇酒を渡す。彼の声は男にしては高めであり、女として口を開いてもあまり問題はなかった。クルトは蛇酒の籠を抱え持つ係だ。

「ヌアク様もたまにはありがたいことをなさいます。お気が変わって没収にならぬうちに、お味をみられた方が賢明ですわ」

「それもそうだな。…ではひとつ貰おうか。直に交代だしな」

「運がよろしかったですわね。次の方の分まで蛇酒があるかどうかわかりませんもの」

「ハハハ…。次は誰と交代だったかな⁉︎…ああ、クリンだ。さぞかし羨ましがるだろうよ。…おお、いい酒だな。さすがに」

「衛兵さま。どうか次の方には内緒にしてくださいませね。矛先が私たちに向くのは嫌ですから」

「何の。もうひと口くれたら黙っていてやってもいいぞ」

「まあ、意外に策士でいらっしゃいますのね。よろしいですわ。どうぞお好きなだけ」

 自分から潰れるようなことを申し出てくれてしめた、とニーナは心の中で舌を出す。

 仕事とは言え、夜中の見張りは退屈なものだ。ぼんやりしていれば眠気にも襲われる。何事かあっても困るが、なければないでゆっくりと時間は流れる。衛兵にとっては格好の暇つぶし―それも王子推奨の―であったのだ。

 二人の衛兵はすぐに睡魔に襲われた。ニーナ持参の薬の効き目は大したものだ。

 不審に思う間もなく、衛兵たちは揃って眠りに就いた。


 手信号でオーケーサインを出し、三人の侵入者は塔に入り込む。眠り込んだ兵たちは目立たぬような場所に移したが、他人の仕業とはわからぬように蛇酒をそばに置いて泥酔したようにカムフラージュした。念のためユリウスが塔の下に残る。この上には貴賓室の前室の前に衛兵が二人いるはずだが、こちらも二人いれば同数である。引けは取らないはずだ。

 貴賓室は最上階だ。

 といっても、地上のように階段があるわけではない。区切られた床はあるが、そこへ至るまではいくつかに区切られた円筒の真ん中に穴が空いているので、そこを通り抜けるだけでよい。最上階だけはその穴は塞がれている。その手前に前室があり、衛兵が二人控えているのだった。

 前室の手前でニーナは声を掛けた。

「申し、恐れ入ります。ヌアク王子様からのお使いで蛇酒を差し入れに参りました」

「何?差し入れ?」

 衛兵が顔を出す。

「我ら衛兵にか?ヌアク様が?」

「はい。宴会の余り物ですが、回して飲んでよいとのことで。滅多にないことですので早速召し上がっていただきたいのですが…」

 と言いつつも、ニーナはなかなか酒を出そうとしない。

「最下層でも振る舞ってきたのですが、どうも度を越してしまったようで。お弱かったのでしょうか。潰れてしまっておりますので、ご介助をお願いしたく思いまして…」

「酔い潰れているだと?勤務中だというのに全く何をしている⁉︎」

 衛兵たちは、額から角が生えんばかりに語気を荒らげて塔を降りて行った。

「クルト。ここをお願いします。姫さまが支度をして出てくるまで時間を稼いでください」

「了解した」

 クルトの応えを聞くや、ニーナは塔の上部へ行くべく水を蹴った。


 前室の奥に豪華な貴賓室がある。そこだけは帳ではなく金属の扉が嵌められていた。

 まず中に衛兵はいないと思われるが、扉に耳をつけ、中を窺った。静かなのを確認して、ニーナはそっと扉を押し開いた。

 微かに声がする。

 歌声だ。歌詞はない。ハミングと言っていい。パールが奏でているのだ。

 年端もゆかぬ子守りの少女が、背負った赤ん坊を寝かしつけるために歌う子守唄―生活のために遊ぶのを我慢して子守りを余儀なくされる少女の紡ぎ出す歌は哀愁を帯びている―今のパールの歌にはそれと似たような響きがあった。患者を治そうと一生懸命尽くす時の癒しの歌とは本質的に異なっていた。

 寝台の上にぼんやりと横になっているパールの後ろ姿は寂しげで、哀愁が漂っていた。

 こんなパールは見たことがない、とニーナは思った。

 まさか、危惧していたことが行われてしまったのだろうか?

 思わずそう考えてしまうほど、パールの背中からは哀しい思い、切ない思い、絶望的な思いが立ち上がってくる。

 不意に歌が止み、ため息が漏れる。

「…一平ちゃん…」

 パールの呟きがニーナの胸を刺す。

(…どうあっても、一平さまなのね…)

(私がどんなに命をかけて愛しても、あなたの心は私の上にはない。完璧に、あの人のものになってしまったのね…)

(あの人がここまで来れなくても?あなたを救い出しに来たのがこの私でも?それでもあなたは一平さまを待ち続けるの?それほど、信じているの?)

 今更何を女々しいことを、とニーナは己の物思いを無理矢理追い払おうとした。

 そんなことはもうとうにわかりきっていることではないか。あの男がここに来ないのは、一平の本意ではない。立場や役職や作戦内容や、部下からの信頼に縛られて、あの男は動けないのだ。自分はその代わり。ニーナは一平の手足だ。あくまでも、一平の指揮の下で作戦に参加していると、パールには思わせるつもりだった。

 萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、ニーナは室内のパールに向かって声を発した。

「パール… 」

 珊瑚色の髪が揺らいだ。上半身を起こし、振り返る。


「…ニーナ?…」

 パールの視界に女性の姿が飛び込む。レレスクの侍女の姿だが、それは紛れもなくパールの影であり親友のニーナであった。パールの瞳に歓喜の色が現れた。

 ニーナはほっと胸を撫で下ろす。この目が力づくで蹂躙された者のものであるはずがない。パールは無事だった。無傷だった。

 パールは身を翻す。ニーナに向かって泳ぎ来る。

 パールはニーナに抱きついた。ニーナが優しく受け止める。

「ニーナ。ニーナどうしたの?どうしてここに来たの?見張りの人たちはどうしたの?」

 矢継ぎ早の質問を浴びせるパールを目で制し、ニーナは言う。

「一平さまの元へ帰りましょう。さあ、私の服と取り替えて」

「?」

 服を取り替える必要性をパールは思いつけない。

「一平ちゃんが来ているの?どこに?」

「城より十アリエル西で天幕を張っています。三時後には三アリエルまで進軍するでしょう。レレスクとは既に開戦の運びとなっており、一平さまは総大将に任ぜられました。一平さまはこの城を落とさなければならないのです。パールが巻き込まれないように、一平さまは私を派遣しました。衛兵に一服盛ってきたので、今のうちに戻りましょう」

「レレスクを攻めるの?一平ちゃんが?トリトニアが?」

「今回のやり口には陛下もご立腹です。キルアの人々はレレスクの企みによって危険に陥れられたのですから」

 パールの問いに答えながら、ニーナはパールのドレスを脱がせている。

「どうして?なぜそんな…」

「彼らの望みはパール、あなたの力を手に入れることよ」

「パールの…力⁉︎」

「そう。レレスクはあなたの癒しの力が欲しい。けれど陛下はうんと言わなかった」

 だから無理矢理連れて来られたのだとパールは溜飲を下す。パールが成り行きを理解したのを見てとると、ニーナは自分の着ているものを脱いだ。侍女のお仕着せをパールに着せ、自分はパールの着ていたレモン色のドレスを着た。

 パールはレモン色が好きだった。薄暗い海の中では一際目立つ、明るい色。海上の眩しい太陽の輝きを、その色はパールに思い起こさせる。


 ニーナはパールを貴賓室から連れ出した。クルトがいる。

「この者はクルト。塔の下にはユリウスという兵士がいます。侍女の格好をしていますが、一平さまの部下です。ここから天幕まであなたを誘導してもらいますから、指示に従ってくださいませね」

 ニーナは二人の兵士を紹介して手順を語ると、クルトに「頼んだわよ」と振り返る。

「では参りましょう、姫さま。衛兵は眠らせてありますが、お声を立てぬように。我らが前後でお守りしますからご安心を」

 パールは神妙に頷くが、クルトがニーナのことに言及しないのに気がついて後ろを振り返った。

 先ほどまでの自分と瓜二つの姿をしたニーナがパールを見つめていた。

「ニーナ⁉︎」

 不思議そうに呼び掛けるパールにニーナが静かに微笑む。

「ニーナは一緒に帰らないの?」

 彼女に同道するつもりがないことを感じ取ってパールは尋ねる。

「私は後から参ります」

「後から…って…」

「大丈夫。私ひとりの方が脱出は容易なの」

 自分の身代わりに残るのだとパールは理解し、そして青ざめた。

「だめだよ!」ニーナの元へ再び取って返した。「ニーナも一緒に帰ろうよ。ばれたら酷い目に遭うっちゃうよ⁉︎パールのためにそんなことしないでよ」

 自分のせいで他人を危険に晒す―いくら脳天気なパールにもそれはわかった。彼女はニーナに追い縋る。

「パールったら何を勘違いしているの?これは私の仕事なのよ。パールのために、なんてそんなことじゃないわ。足の遅いあなたの安全を確保するためには、影の私があなたになりきって時間を稼ぐしかないの。もう作戦は動き出しているの。台無しにしないで。あなたが言う通りに従ってくれないと、一平さまの采配が根底から崩れることになるのよ」

 わざと冷たく、ニーナは言い放つ。感情に任せて愚を犯すなと、有無を言わさぬ口調がパールの劣等感を呼び覚ました。

 自分が未熟なためにニーナや一平に迷惑を掛けると言われては、従わざるを得ない。反論することはしてはならない。何よりもパールは一平に迷惑を掛けたくなかった。ニーナはどう言えばパールを思った方向に動かすことができるのか、さすがによく心得ていた。伊達に十年以上影を勤めていたわけではない。

「……」

 悄然とするパールをニーナは促した。塔の出口へと。

「… 三時までには脱出するから。心配しないで祈っててちょうだい」

 ニーナが気休めを言う。

「本当に、気をつけてね、ニーナ。怪我したりしないでね」

「大丈夫よ。それにもし怪我をしてもパールに治してもらえるもの。心強いわ」

 そう言ってにこりと笑うニーナと、心配げな表情を崩せないパールとは、そうしてみると全く似ていない。歳さえかなり隔たっているように見える。

『影』とは不思議なものだなと、その場に居合わせたクルトは思っていた。


 

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