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第十七章 軍議

 レレスクの民は猛々しい一族だと聞いている。男は勇ましくて腕自慢が多く、女は情熱的でしっかり者だと言う。すなわち、好戦的でなおかつ自信家揃いであり、軍隊としても力があるということだ。体格もどっしりとして、精悍な者が多い。

 一方トリトニアは、どちらかと言えば優男の方が多い。ガタイがいいと言われる一平でさえも、筋肉が発達してはいるが身体のバランスがよいため、重量感があるとは言えないのだ。それを補っているのは磨き抜かれた技術だった。武道会が毎年開かれるのも、平和にどっぷりと浸かって、せっかく身に付けた技術を埋もれさせることのないようにという計らいあってのことだ。特に剣の扱いにかけては、トリトニアは傑出していた。もしもポセイドニアにオリンピックに匹敵する競技会があったとしたら、剣術部門でメダルを取るのはトリトニアの人々であっただろう。

 しかしここ何十年間、トリトニアはレレスクと交戦状態になったことはない。レレスクに限らず他の国々ともそうだが、優秀なる先達のおかげで、トリトニアは各国より信頼を得、充実した国力を保ってきた。

 戦以外の分野でトリトニア軍は様々な任務をこなしてきたが、その主たる任務は妖物退治であり、組織を挙げての対人戦は経験がない者がほとんどである。隊を率いる一平にしてからがそうであった。

 レレスクの方は気性の激しい国民性のせいもあり、ヘキサリアなど近隣国と何度か戦になっている。体格も腕力もキャリアにおいてもトリトニアより勝っているのだ。まともにぶつかっては勝ち目がない。しかもこちらは王女を人質に取られている。迂闊に手を出すことができないのだ。

 この不利な状況に、なぜ王は自分などを指揮官に選んだのだろうと一平は思う。急遽昇進させてまで。トリトニアにはミカエラという現守人の猛将がいると言うのに、それを差し置いて…。

 もちろん一平が現場に近い位置にいたと言うのは第一の要因だった。ミカエラは今、トリリトンを挟んでレレスクとは正反対の位置にあるペンタクスを、国史として訪れている。

 一平に白羽の矢が立ったもう一つの要因は、もちろん彼と王女の間柄にある。最愛の人である王女を救うためならどんな困難な仕事であろうとも一平はやり遂げてくれるであろうという、期待と確信だ。

 オスカーは動けない。

 いつもそうだ。

 パールが行方不明になった時も、普通の父親のように死に物狂いで探しに行くことすらできなかった。オスカーが、王位に就いて何より不自由だと思うのはそのことだ。

 窮地を救ってくれた勇者に、今一度望みを託したのだ。


 とは言え。一平は総指揮を執るのは今回で二度目という、甚だ経験不足の若造だ。武術の腕は確かで人間性は申し分ないが、一国を担う組織を動かすために采配を振るうのは初めてと言ってよい。危険な賭けではあったが、背に腹は換えられない。ミカエラより早く動くことができてかつ力のある者は、オスカーには一平以外に考えられなかった。

 彼はいずれ国の三大柱のひとつになるつもりで修錬を積んでいる。軍の動かし方も理論上はわかっている。戦略のフォーメーションも、模擬訓練では練習を重ねている。苦境を敢えて己に課すという、人のしそうもない決断を下す豪胆さを、あの優しい眼差しの下に隠し持っている。ここで怖気づくようなら、この任務をひとりの軍人としてこなせないようなら、青の剣の守人に立候補する資格はないと、オスカーは考えていた。厳しいようだが。

 それでも八割、九割はやってくれるとオスカーは信じていた。

 彼にできないのなら、他の誰にもできはしないだろう。残念ながら今のトリトニアでは。青科の教授ですら、一平は苦もなく打ち負かしてしまうのだから…。

 一平にとってはいい迷惑…ではあるはずがなかった。

 パールが拐かされて、黙って指を咥えて見ているなどということは一平には考えられないし、できない相談だった。むしろ本望だ。この命令が下されなかったら、単身レレスクに乗り込んで行ったに違いないのだ。

 それをさせないために、オスカーは一平を総大将に任命したのかもしれなかった。一盗賊に攫われたのとは訳が違うのだ。曲がりなりにもひとつの国家が相手なのだから。一平ひとりの判断で攻撃を仕掛けたり要求を飲んだりしては、後々国に大きな迷惑を掛けることになりかねない。何と言っても、一平はまだ十七歳。個人で動けば血気に逸って先走った行動をしてしまわないとも限らない。パールを助ける為なら己の命さえ犠牲にすることを厭わないことがわかっていたから、オスカーは一平に鎖をつけたのだ。パールはもちろん大切だが、次代のトリトニアを担うべく育てている男を、今失うわけにはいかなかった。

 そう考えれば、オスカーのしたことは一平にとっては枷になる。軍隊を動かすなど、まどろっこしくて邪魔なだけだ。

 ―堪えてくれ―とオスカーは祈った。

 この苦境を撥ね除けることができれば、おぬしはこの上なく成長する。押しも押されもせぬ、青の剣の守人として誰もが認める存在になれる、と。

 無事パールを連れ帰ったら、すぐにでも式を挙げさせてやっても構わないとさえ思った。

 今回狙われたのはパールの『癒しの力』だが、若い娘であるパールは、操という狼どもには格好の餌でもあると言うことを、オスカーは改めて認識していた。できることなら綺麗なままで好きな男の元へと嫁がせてやりたいと思うのは、親として当然の気持ちであった。今後もこのようなことが起こるかもしれない。手遅れにならないうちに、一日でも早く…。

 一平に手を出すなと釘を刺したのは失敗だったか、と思い悩むオスカーであった。

 ―頼むぞ。一平どの―

 レレスクの魂胆はわかっていた。

 和平か開戦か、こちらで選べと口では言っているが、バールを返す気がないのは明白だ。

 ならば、和平はあり得ない。

 ウートとも相談し、オスカーは開戦を決意した。

 無血開城し、人質を奪回できればそれに越したことはないが、こちらの不利を逆手に取るためには奇襲が一番と考え、間諜を得意とするニーナを使者としてキルアに送り込んだ。

 パールの『影』でもあるニーナは、一平にとって大きな力となろう。

 パールのことを一番に思う二人だからこそ適任なのだと、オスカーは彼らを配属した。


 奇襲を掛けるためには向こうの状況把握が不可欠になる。主だった指揮官を集め、軍議が行われていた。

「姫さまが監禁されているのはここ。城門を入って右側の奥にありますフィメイルの塔です。ロトー王の妾妃ために建てられたもので、最上階がその時々の妾妃の自室になります。ロトー王の別宅と言って然るべきものなので造りは申し分なく、警備にも念が入っています。空座のときには諸外国からの大切な女性客をもてなすための貴賓室としても使われるほど豪華だそうです。姫さまがこちらに通されるのはレレスクとしては当然の流れであると思われます」

 円陣の中央に布石をしながら、ニーナが偵察の報告をしていた。

「妾の部屋に大事な客を泊めるなど、トリトニアでは考えられん」

 第一分隊長に任ぜられたバッカスが苦々しげに頬を歪めた。

「まこと、レレスクのすることはわかりませんな。我々とは価値観がまるで違う」

 相槌を打ったのは第三分隊長のトレアンだった。

 第二分隊長のソルトークも黙っていられずに補足する。

「だからこのような暴挙ができるのだろうよ。妖物としては珍しく害のないチラコッタをわざわざ凶暴にして、我が国の国民を危険に陥れるとは言語道断だ」

「それもうちの姫さまを手に入れるためだけにというのだから信じられん。人の命を一体何と心得ているのか」

 そう言ったのは第五分隊長のグレッグであった。

「絶対に許すわけにはいかないな。姫さまのおかげでキルアは落ち着いたが、また休む間もなくカイザーで姫さまをこき使っているという話ではないか」

 第四分隊長のオニキスが言った。

 グレックも言う。

「姫さまはそうお丈夫ではないのに、大丈夫なのか?」

「黒死の病の方も一応区切りがついて、休息のために城に連れて行ったようにございます。潜伏期間があるので新たな患者が出ないとも限りません。その間の措置かと。姫さま自ら休ませてくれと申し出る可能性は薄いので、よほど具合が悪そうに見えたのか、もしくは、考えたくはありありませんが、お倒れになったのかも…」

 ニーナの言葉に一平がはっと目を瞠いた。それも危惧していたことのひとつだ。

「ですが、お倒れになって伏せっておられる方がむしろよろしいかとも思います」

「姫さまの御身柄第一でないか。何を言うのだ、ニーナどの」

 バッカスが声を荒げた。

「もちろんその通りでございます。私どもの任務は姫さまをレレスクから無事取り戻すことですから。ですが、無事という意味には二通りございますれば」

「むう…」

 五体満足な元気な姿でと言うのがひとつ。五体満足であっても、レレスクの者により純潔を奪われていれば無事とは言い難いということだ。居並ぶ面々には、わざわざ言わなくてもわかっていた。一平の心情を慮り、ニーナは言葉を選ぶよう細心の注意を払っていた。

「いくら色好みのロトーでも伏せっている姫さまに手は出しかねましょうし、迂闊に己のものとして姫さまの精神状態に支障を来たしては、後々の施術に悪影響を及ぼします。姫さまの力が欲しいのならば、今そのような行為に及ぶことは避けねばなりません。少なくとも黒死の病がきちんと収まるまでは、そういう意味で姫さまはご無事でいられるでしょう」


 一平は黙ってニーナの言葉を聞いている。一平が一番心配しているのはそのことだ。一平にしてみればパールは今狼の群れの中にいるのだ。何がきっかけでその狼たちが牙を剥くかわからない。

「そこでひとつ提案があります」

「提案?」

 ニーナの意外な言葉に、思わず一平は目を上げた。

「黒死の病が発生した村の隣に、クロックという村があります。そちらでも患者が出たと言う情報を流すのです。当然ロトーはクロックに姫さまを差し向けるよう計らうでしょう。本物の病人が出ればよし、出なくてもそうすることで時間稼ぎができます。また、姫さまを救い出すチャンスも生まれようかと」

「それは有効かもしれないな。だが、嘘とばれれば我らの仕業と疑われようぞ。それと、できればオレはこちらの人間を感染地近くに派遣させたくはない。万が一病を貰えば、トリトニアに持ち帰ることになる」

 一平は支持する一方で懸念を露わにした。

「姫さまがおられれば大丈夫なのではありませんか?」

 オニキスが問う。

「そうですとも。事実、カイザーの黒死病は姫さまが収めたのでしょう?」

 グレッグも同調し、一平が疑問に答える。

「未だ経過観察の域を出てはいないそうだ。断言はできない。普通の風邪や怪我とは違うのだ。どこまでパールの力が効果を上げるのか、確証はまだないと言ってよい」

 一兵士を任に就かせるにしても、人一人の命だ。軽んじることはできない。アーサーからの忠告も一平の心に大きなウェイトを占めている。

「ではどうでしょう。もう五十アリエル離れた所で噂を流しては。中央に届くまで日数はかかりましょうが、罹患の確率はぐんと低くなります」

「ふむ、そうだな。カトフ辺りが妥当なところかもしれない。施術に来るのは姫さまなのだから、偽の患者であっても問題はないのでは?」

 トレアンとソルトークが別案を検討し始めた。

 それはどうだろう。一平には甚だ疑問だ。パールは素直すぎる。トリトニア軍の末端の兵士の顔まで見知っているわけではない。兵がパールにこっそり事実を伝えるにしても、おそらくパールは見張られているだろうから、あくまで患者としての接し方しかできないだろう。意外や賢い娘ではあるが、彼女はあまりにも簡単に人を信じすぎる。いいも悪いも。


「その状態でバールに患者がトリトニア軍による工作だと気づかせるのは期待できないな。すぐそばまで助けが来ているから信じて待て、と伝えてやりたいところだが、それも難しいだろう」

「では、どうすれば…」

 一平はニヤリと笑った。

「別に悟らせる必要はない。要はパールをロトー王の手の届かない所に連れ出せばよいのだ。助けが来ると知ることも、うまく隠しおおせずに逆効果となるかもしれないしな」

「そういうものですか?」

 オニキスは不思議そうだ。だが、この上司はパールティア姫の性質を誰より詳しく知っている。間違いはないだろう。

「カトフには―カイザーより五十アリエル南西にある村だが―第五分隊に行ってもらおう。患者役にレレスク系の顔立ちの者を選んでくれ。胸に黒斑が出るのが初期症状だそうだから、うまくカモフラージュしろ。軍医のスミトナによく言っておけ」

 一平は断を下した。

「第五分隊は別働隊とする。レレスクが引っ掛からず徒労に終わるかもしれん。が、隙あらば躊躇せず王女を奪還しろ」

「はっ」

 グレッグがぴしっと承る。

「残りの者はレレスク城に攻め上る」

 皆の面に緊張が走る。

「レレスク軍の実力は我らより上と心得ろ。打ち破るには不意を突くしかない。安閑としている時間は我らにはないと思え。まず第一にしなければならないのが王女の奪還だ。塔を攻め込む際に大人数を投入する。非武装の女子どもには手を出すな。彼らを相手にしている余裕も我らにはない。武装の軍人のみを屠れ。殺らなければ自分が殺られることを心してかかれ。城の制圧までできればよし、できなくても王女を取り返せば上出来と見て撤退する。各隊長の指示を聞き漏らすな。フォーメーションは…」

「お待ちください」

 細かい指示に入ろうとした一平をニーナのきりりとした声が遮った。


「何だ、ニーナ」

「罠は罠として、姫さまをこっそり盗み出しましょう」

「そうしたいのは山々だが⁉︎」

「私が参ります」

「何⁉︎」

「少人数で行って姫さまをお救いします。その後総攻撃をかけられませ」

「それができればそうしている」

 一平は苦い顔で不機嫌そうに言った。

「お聞きくださいませ」

「………」

「私は…姫さまの『影』でございます」

「ニーナ」

 それを今ここで口にしてしまっていいのかと、一平は咎めの口調で言った。

「身代わりに…なりとうございます」

 その場がざわめいた。

「お二人ほど私にお貸しくださいませ。女性のふりをして忍び込みますので、できるだけ華奢でお顔立ちの優しい方を」

「女装して潜入すると?」

 バッカスが尋ねた。

「はい、姫さまの所へ辿り着きましたら、衣服を取り替えて私が塔に残ります。お二人の兵にはこの天幕まで姫さまをお連れしてもらわなければなりません。なるべく腕の立つ方…大剣や中剣など目立った武具の使い手ではなく、武器を隠しやすいので、レイピアや短剣使いの方をお願いします」

「それはいい!」

 フックが手を打った。同時に一定は叫んでいた。

「馬鹿な!」と。

「ちょっと見にはよく似ておられるし、ニーナどのは武術にも秀でていると聞く。適役ではありませんか」

「いかん!それではニーナが囚われの身となってしまうではないか」

「私でしたら大丈夫ですわ。自分の身は自分で守れます」

 止める一平の言葉をニーナは一蹴した。

「そうは言っても女の細腕ではないか」

 ニーナは一見したところ、いかにも華奢で女性らしく見える。トレアンはニーナの言葉を強がりと見て言った。

「おみくびりなさいますな。私はこれでも…そこにいる勇者どのと手合わせを願ったことがありますが、引けは取りませんでした」

「なんと!」

「無礼な!」

「そんなばかなことがあるものか」


 分隊長たちは、この不遜な言を聞いて色めき立った。彼らは既に一平の数々の秀でた実績に一目置いている。今年の武道会では三部門の優勝をさらった自分たちの指揮官を軽んじられたと柳眉を逆立てた。

「一平どの、何とか言ってやってくだされ」

 仰がれて一平は仕方なく言ってのける。

「ニーナの言うのは事実だ。レイピアに関してはオレは彼女の足元にも及ばない」

「そんな…」

 呆気に取られる武将たちの間に疑念と感嘆の眼差しが飛び交う。

「しかし、どうやって潜入するつもりだ?警備は手薄ではないとニーナどのは言われたばかりだが…」

 一番に我に返ったフレックが言う。

「そこはそれ、女には女の戦い方があります」

 ニヤリとニーナが口の端で笑う。

 兵を労うふりをして一服盛り、堂々と正面から侵入すると言うのである。そのため女顔の兵士をニーナは所望したのだ。

 誰より自分が助けに行きたい一平は、残念そうに身を引いている。顔はともかく、一平の図体はどう取り繕ったとしても女には見えぬ。

「下戸もいるかも知れんぞ。その時はどうする?」

「そのためにもついてきていただきたいのですわ。姫さまを連れ出す間、少々手間がかかります。その間だけでも食い止められる方を」

「ニーナの脱出はどうする?」

 苦虫を噛み潰したような顔で一平は問い詰めた。

「そのくらい、お茶の子さいさいですわ。私ひとりなら」

 言い過ぎでなく、やり遂げてしまうところが恐ろしい。確かにいろんな技術を兼ね備えた女性だ。

「姫さまが無事ならば遠慮なく攻撃を仕掛けられますでしょ?」

 総大将に任命された一平に臆せず進言する。

 夜が明ける前に隙をついて先制攻撃を仕掛けるのが一番なのだ。パールが捕らえられているため決行することができない。敵はそれを充分承知している。人質がいる間は安全なのだと、高を括って油断している。そこを一気に突くことができれば勝利は目の前だった。

 一平のみならず、それはここにいる誰もが一番望んでいることだった。

 決定は下された。

 ニーナと二人の兵士の手にトリトニア軍の命運が託された。

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