第十章 漫才四重奏(カルテット)
闘技場の一室の扉を一平は引き開けた。
そこには既にあの男がやってきていた。
弾き飛ばされた一平のレイピアを受け止めてパールを救ってくれた男―ジーのナシアスが。
「…待たせてしまったかな?」
ナシアスの顔を見るなり一平は尋ねた。
待ちくたびれたとも、そうでもないともとれる笑顔を男は返す。
「人が多くて参った。呼び出しておきながら申し訳ない」
用事の終わる一平を門の外で待っていたパールとニーナの二人に辿り着くまでに、思った以上の時間を要してしまったのだ。
「…尋ね人は見つかったのか」
「ああ。…入ってくれ、パール。ニーナも」
帳の外で控えていた二人に声をかけて招き入れた。
まずパールが、その後からニーナがしずしずと入室した。
成人しているとは思えないほどあどけない顔立ちの少女と、それよりは背も高く洗練された立ち居振る舞いの侍女と思しき美少女。
ナシアスは思わず目を奪われた。ニーナの美しさ―いや、身体から発せられる剣吞で発止とした隙のない雰囲気に。
一平はパールの後ろに立ち、その肩に両手を置いて紹介した。
「ナシアス。パールだ。オレが求婚している女性だ。レイピア戦の時には命を救ってもらった。あの時飛んで行った剣の先にいたのはパールと…ここにいるニーナだった。二人を守っていただき、本当に感謝している。彼女たちにも直に礼を言わせてやってくれ」
一平が話し終わるとすぐにパールも口を開いた。
「お初にお目にかかります。パールティアと申します。危ないところを助けていただいてありがとうございます。ナシアスさまが助けてくださらなかったらパールは今ここにはおりません。あの世か、お医師さまの下で意識不明になっていたと思います。そうしたら、一平ちゃんがあとふたつ優勝するのを見ることもできませんでした。本当にありがとうございました」
そう言ってお辞儀する少女は見た目よりずっとしっかりして気品がある。
だが、その後でこの少女の求婚者は頬を歪めている。
気がつくと、もうひとりの少女も無理をして笑いを堪えているようだった。
パールの挨拶は無難できちんとしたものだったが、すまして言っている割には、途中で『一平ちゃん』などと言葉の使い方を間違えて言ってしまっていた。そして、彼の優勝を見れなかったら嘆いていた、とまで。―そこへ話が行くのかよ⁉︎―と、一平は照れ臭く、ニーナは一平が恥ずかしがっているのが面白い。
ナシアスにはそんな事情はわからない。が、先ほど非常にとりすまして見えた美少女が、笑うところっと雰囲気を変えることに気がついて、この少女の心からの笑顔を見てみたいと思う気持ちがふつふつと湧き上がってきた。
その当の少女も口を開く。
「私もどうやらあなたさまに命を救われたようでございます。あの時私は姫さまをお守りすることを言いつかっておりました。私が死んでもよい覚悟で庇い、お守りしましたが、そのことで私も無防備になりました。私の背にレイピアが突き刺さらなかったのは、偏にあなたさまのおかげです。すぐにお礼をと思いましたのに気がつけば見当たらず、今になったことをお許しください」
「これはまたご丁寧な…」
この少女は、さっきの少女のことを『姫さま』と言ったが、どう見てもこちらの方が品も教養もある。ナシアスは思った。加えて美人だし…とも。
そして一平は恐縮していた。
「オレはニーナにも謝りたい。もちろんパールにもだ。オレのせいであんなことになって…」
「それは先ほどもお聞きしましわ。もうおっしゃらないで」
一平の言葉を遮ってニーナが冷たいほどに突っ撥ねる。それに勢いを得たようにパールも言い募った。
「そうだよ。一平ちゃんはわざとやったんじゃないのに、何回も謝らなくていいよ」
「しかし…」
一平は残念で仕方がないのだ。あんなことを自分がしでかすなど『危ないからダメだ』などと忠告する以前の問題だ。
「やはり、武道会の観戦などさせるのではなかった。いや、オレが出場しなければよかったのか…」
「そうじゃないったら!」パールが怒っている。「一平ちゃんが出なかったら他の誰かが優勝するんだよ⁉︎そんなのやだもん、パール。…あ、もしかして…、わざとやったんじゃないよね?こんなに危ないんだって、パールにわからせるために…」
「怒るぞ」
明らかにそれは言い過ぎ、パールの失言というものだった。さすがのニーナも、あーあとため息を吐いてお行儀の悪さを嘆いてみせた。
「…ごめんなさい…」
パールも悪気があって言ったのではないのだが、一平が怒っているのですぐ謝った。
「あんたたちは…どういう関係なんだ?」
このやりとりを傍観していたナシアスがついに口を開いた。自分に礼を言いたいと言って集まってきたのではないのか?この連中は。いつの間にやら一平とかいう戦士の吊し上げ会になっていはしないか?
「…見苦しいところを…」
照れ臭そうに一平は頭を掻いた。
「隠し立てするほどのことではないので敢えて話しておくが、この子はパール。このトリトニアの王女でパールティアと言う。こっちのしっかり者はニーナ。パールの侍女で…幼馴染みでもある。二人とも…表向きは立派に振る舞えても、内実はこんなものなんだ。オレも人のことは言えないが」
「外では勇者さまでも、しょっちゅう私に苛められていますものね」
「そうなの?」
パールがニーナの言葉にびっくりする。
しまった、とニーナは『冗談よ』と取り繕う。
冗談で済ますな、と言いたいところを一平はぐっと堪えた。互いに敵愾心を燃やしていることはパールには気づかせてはならなかった。
「トリトニアの王女さまが漫才トリオの一員だとは知らなかったな」
ナシアスが面白そうに呟いた。
「漫才?」
パールはそれは何かと首を傾げる。
「面白いことを言って人を笑わす芸をする人のことですわ」
説明するニーナに一平は毒づいた。
「呑気に説明している場合か?おまえのせいだろうか」
「私?私は本当のことを申し上げただけです」
ニーナはツンとして一平の抗議を退けた。そのニーナにナシアスが言った。
「あんたはこいつの侍女でもあるってわけじゃないんだ⁉︎」
この高飛車な態度はどう見ても主に対して向けるものではない。
「私は姫さまの侍女です。一平さまはパールのいい人ですから姫さまに準じますが、私にとっては姫さまのお言葉が至高命令ですわ」
「それにしちゃあ、口が過ぎないか?尤も、その『姫さま』に対しても呼び捨て状態のようだが」
しまった、とニーナまたしても舌打ちした。そう言えばさっき、『パールのいい人」と口を滑らせたような気がする。
「そ…それだけ親密なんだよ。…一緒に育ったようなものなんだから…」
一平が慌てて取り繕った。まさか王女の『影』であることを明かすわけにはいかないのだ。これもトップシークレットのひとつなのだから。
「お嬢さんにゃ、いい人はいないのかい?」
唐突な質問をナシアスはした。
思わず一平もドキリとする。
「…必要、ありませんもの」
当のニーナは冷静なものだ。
「そいつはよかった」
ナシアスは嬉しそうに微笑んだ。そうして笑うとなかなか愛嬌があり、魅力的だ。
だが、受け応え自体は意外だ。三人は目を瞠った。
「あんたに惚れたよ。ジーに来てオレの女にならないか?」
パールはキャッと、嬉しそうに頬を染め、ニーナは目が点になっている。
「どうだい?」
「……」
「…聞いてるかい?あんた⁉︎」
男は屈んでニーナの顔を覗き込んだ。
ニーナは黙って男の顔を見る。まじまじと。
いい返事をもらえるという自信があるのか、男の顔からは笑みが消えない。
そして男は顔を傾げた。瞼を半分伏せてニーナに口づけをを迫った。
―ピシャリ―
頬の鳴る音がナシアスの顔の左側で起こる。
「おからかいも大概になさいませ」
声の主は半眼で冷たい視線を浴びせていた。
「ひでえなぁ、何も引っぱたくことはないだろう…」
ナシアスは情けなさそうに叩かれた頬を擦った。
「未婚の女性の唇を一体何と心得ていらっしゃる⁉︎」
まるで年季の入った堅物女教師だ。
その心得るべきもので、何度も唇を奪われたことがある一平は心の中で毒づいた。―よく言うよ…―と。
「ニーナったら…」
珍しくもパールの方がニーナを宥める側に回っている。目の前で告白のシーンを見たパールは、これからニーナのロマンスが始まるとウキウキしたところだったのだ。
それをいきなりの平手打ち。
パールにしてみれば、いつも自分にくっついていなければならないニーナには、自分以上に自由がない。恋人だっていないみたいだし、こんなによくしてもらっているのに自分だけ幸せでいいのだろうかと、一種の罪悪感めいたものを普段から感じていたのだ。せっかくこれでニーナにも幸せが…と思ったところだったのに…。
パールは残念そうにこぼした。
「命の恩人なのに…」
「それとこれとは話が別ですわ」ニーナは背の高い男を見上げて、ぐいと胸を反らした。「ナシアスさま。私のことはともかく、パールを守る一端を担っていただいたことは感謝の極みです。けれど、先程のお話は謹んで辞退させていただきます。私、あなたのことはどうあっても好きになれそうもありませんし、男の方と結婚する気はありませんから」
「へえ…」
あまりにもきっぱりと言い切られ、ナシアスは却って嬉しそうだった。
「オレはすごく気に入ったんだがな。どうしてもだめかい?」
「二言はありません!」
「ニーナったら、そんなふうに言わなくても…。もうちょっと考えてあげたら?」
「ほら。あんたの姫さまもこう言ってるぜ。従わなくていいのかい?ご命令だよ」
男はかなりこの状況を楽しんでいる。一平は妙に感心した。好きだという感情をこうもストレートに、しかも臆せず体当たりでぶつけられるとは…。一平にはなかなかできなかったことだ。
一方でパールは男の言葉に慌てていた。
「…パール、そんなつもりじゃ…」
もちろん冗談だ。ナシアスはニーナをからかっているのだ。本気でパールがニーナに命令を下したと思っているわけではない。他の二人の目から見れば明白なことだが、その辺の機微にはパールは疎い。
「こんな軽薄な男の言うことをまともに受け取ってはだめよ、パール」侍女とは思えぬ口を利いてから、ニーナは一平に視線を移した。「一平さま。もう下がらせていただきましょう。また改めて王宮にご招待し、陛下にお引き合わせした方がよろしいかと思いますわ。それまでにその無礼千万な口の利き方を直しておくよう、一平さまの方からおっしゃっておいてくださいまし」
「あ…ああ…」
ニーナの言うことは至極尤もだ。一平もたじたじである。
「先に御門まで行っておりますわ。ごめんくださいまし」
ぴしゃりと言い放ち、さ、行きましょうとパールを急き立てていく。
恩人のもてなしの不始末の収拾を押し付けられ、一平はため息を吐いた。
「…気に入った!…」
ナシアスが満足そうに言う。
一平は困ったように眉尻を下げ、男を見た。
「…あんたも、やりすぎだよ…」
ニーナの向こうっ気の強さは、しみじみ身に染みている。よせばいいのに、と言外に言った。
「悪いことは言わない。諦めな。相手が悪いよ。一筋縄じゃ行かないぜ」
「オレはじゃじゃ馬ならしが趣味なんだ」
ナシアスの返答に一平はげんなりする。悪趣味な…と。あのニーナと連れ添うなど一平には恐ろしくて考えられない。一生やり込められ、女房に頭が上がらない生活になるぞと、本気で思っていた。人の恋路を邪魔する気はなかったが、ニーナだけはやめておいた方がいいと、ナシアスのためにそう思った。
「彼女は結婚しないよ」
「なぜだ?不倫でもしてるのか?」
理由を知っている一平の言葉からは真実の匂いが漂っていたのだろう。ナシアスはいい線を突いてきた。不倫とは言わないが、横恋慕ぐらいは当て嵌まるかもしれない。許されざる恋、という意味では同じだった。だがそれを話すわけにはいかないのだ。
「いや…。今のニーナはパールを守ることしか頭にないから…」
そう取り繕う。
「仕事第一ってか?それほどの姫さんかね?あのお嬢ちゃんが…」
「パールを見くびるなよ。あんたは…知らないだけだ…」
一平の目つきが鋭くなる。パールのことを見下されて首筋がチクチクとささくれ立った。
「こいつは失礼した。あんたの宝物だったな。だがオレから見りゃ、あんたの好みこそわからんね。確かに充分可愛らしいが…」
「オレのことはどうでもいい。あんたのために言ってるんだ。ニーナはよした方がいい」
「だからその理由を言えよ」
「さっき言った」
「仕事第一ってやつか?それだけで?」
「違う。あんたもあの彼女の性格が少しはわかったろう?オレですら苛められてるんだ。絶対、結婚には向かない」
一平だから苛められているのだと、自覚がないから言える台詞である。
「よっぽど怖い目に遭ってるんだな。…面白そうじゃんか」
「…物好きな…」
本音である。
「あんたに言われたかないな。トリトニアで一番の物好きのくせに」
「なっ…⁉︎」
思ってもみないことを言われて一平は言葉を失う。
「有名だぜ。幼魚にプロポーズした偉丈夫の勇者の話は」
―そういうことか―と、一平も納得する。
「あんたの噂を聞いてな。オレは来たんだよ、武道会に。あんたと立ち会いたいがために」
「⁉︎」
「実力試しだが…まさか決勝でやれるとは思わなかったね。望みが叶った上にいい女とも出会えた。最高の旅になったな、今回は」
空を見つめながらナシアスは言う。
「本気なのか⁉︎」
一平は目を瞠いた。軽さの中から真実が浮上する。
「オレは嘘は言わねえよ」
「……」
「見返りと言っちゃあなんだが…またあいつに会えるよう取り計らっちゃくれないか。あんたの手引きだなんて言わないからさ」
ナシアスは一平の肩に腕を回しかけて馴れ馴れしそうに言う。
「あんた…他人には嘘を吐かせても平気なんだな」
面白い男だと思った。今まで一平の周りにはいなかったタイプだ。
「命の恩人さんですから」
―どこからそういう話になる⁉︎―
一平は面食らう。
だが一平は言った。
「わかった…。陛下に話をして場を設ける。その後オレと稽古をすることにしてそこへニーナを呼ぼう。後は自分でうまくやってくれ。あんたの連絡先は?」
少しぐらい力になってやってもいいか、と思った。
それに万万が一ふたりがくっつけば、一平はもうニーナに付き纏われることはなくなるのだ。最悪のいじめ、『覗き』からも解放されるかもしれない。
(…そんなはずないか…)
自嘲しながらも一平はナシアスの逗留先を頭に刻んだ。
ナシアスが問う。
「ひとつ訊くけどな。まさかあいつ、女専門じゃないだろうな?」
「え⁉︎」
「男の方とは結婚しないって、言っていた…」
何て勘のいい奴だ、と一平は感服した。でもまさかその通りだとは言えない。
「よしてくれ…」
やってられない、と頭を抱えるふりをして、お茶を濁した。




