プロローグ
世界は、静かに繋がっていない。
東の海に沈む月を追えば、次に出会うのは西の空に昇る太陽。
夜と昼は手を繋がず、ただ隣り合っているだけだった。
メイは、そんな風に、繋がらない世界をひとつずつ歩いていた。
――終わりのない回廊を、名前もない風を受けながら。
風の中に、あの香りを感じた気がした。
白く、小さく、鈴のように揺れる花。
どこで見たのかも、誰といたのかも思い出せない。けれど、確かに“あった”と胸が知っていた。
消えてしまったのではない。
たった一つだけ、置き去りにしてきてしまったもの。
メイは、それを探している。
――いや、本当は、自分が誰だったのかを探しているのかもしれない。
「……ねえ、バルド。私はどこに向かってるんだろう」
「メイの歩く先だ。それ以上でも、それ以下でもない」
頬を撫でる冷たい金属。
メイの顔を覆う仮面が、返事をした。
仮面の名はバルド。
どの世界でも姿を変え、彼女の道連れであり続けるもの。
メイは、仮面越しに小さく息を吐く。
いつから旅を始めたのかも、思い出せなくなった。
気づけば、目の前にはいつも“扉”があった。
扉は一つずつ開き、彼女を別の世界へと連れていく。
行き先は選べない。
ただ扉がある――それだけが旅の合図だった。
メイは腰に提げた小さな懐中時計を取り出した。
針は、逆さまに動いている。
時を戻すように、次の世界の「滞在時間」を刻んでいる。
最短で一日、最長でも十二日。
針が“0”を指した時、滞在は終わる。
それは予告もなくやってきて、何も言わず、彼女を次の扉へ導く。
――まるで夢が終わるみたいに。
メイは目の前に立つ扉へと視線を移す。
古びた木製のその扉には、何の装飾もなかった。
けれど、それがどんな世界へ続いているのか、彼女には分かっていた。
分からない、ということだけが分かっていた。
「さて。今日は、どんな夢を見ようかな」
メイは扉に手をかけた。
ひとつ息を吸い込んで、そして――
――カチリ。
微かな音とともに、扉が静かに開いた。
その先に、また別の世界が待っている。
知らない匂い、知らない空の色、知らない言葉、そして、知らない顔。
けれど、かすかに漂う白い花の記憶だけが、彼女の中に、ずっと咲き続けていた。
仮面と共に歩きながら、メイは、次の旅へ足を踏み出した。