誇り~運命に生きる少女~
私立城斎女学院高等部の掲示板。そこに貼られているであろう記事を前に、女生徒たちがざわめいている。
虚ろな表情で登校した黄緑寺風薫がその前にやってくると、彼女たちが一斉にそちらに顔を向けた。その様子に、思わず風薫も立ち止まる。
「あ、風薫さん…!」
「本当なんですか、あれ…」
「…?一体、何のこと…?」
少女たちが、彼女に記事を見せるためであるかのように少しその場から下がる。その開けた場所から飛び込んできた記事に、風薫は目を見開いた。
『生徒会長 禁断の愛』
横書きに大きく書かれた見出しの下には、自室であろう豪華な部屋で、風薫ととある男性が抱き合っている写真が載せられている。
誰がこんなことを、という怒りや、なぜこんな写真が、という疑問も、何もかも心に浮かばなかった。ただただ、昨日のあの悪夢のような出来事がまざまざと蘇ってきて、その場に立ち尽くすことしかできなかったのだ。
—―――――
「風薫」
ネグリジェ姿で自室のベッドに座って休んでいると、7つ年上の兄・秀行が訪ねてきた。
「お兄様…!どうかされたのですか?」
穏やかな笑みを浮かべて立ち上がり、兄を迎えようとしたが、様子がおかしいことに気付きふと立ち止まる。秀行は閉めた扉の前で俯いたまま、動こうとしないのだ。
「…お兄様…?」
その言葉が彼の耳にとどいたかどうかは分からない。だが、直後に彼はくっと顔をあげ、何かを決意したようでありながらどこか異様な表情で妹へと素早く近づき、そして—――彼女をきつく、抱き締めた。
「お兄様…?!一体…」
「風薫。愛してる…!」
「…?!」
兄の突然の行動に、妹は戸惑いを隠せなかった。
「急に、どうされたのですか…?私もお兄様のことはお慕い…」
「僕は、お前を一人の女として愛しているんだ。」
「何、を…。私達は、兄妹ではありませんか!」
「僕はお前の兄じゃない。」
「…!」
「考えてもごらんよ。お父様はO型で、君はAB…。君がお父様の娘であるはずないじゃないか。賢い君なら、とっくに気付いていたはずだろ…?」
「……」
…そう、知っていた。血液型なんか気にするまでもなく、いつの頃からか。自分がこの由緒ある黄緑寺家の本当の娘ではないこと、そして、目の前の男性が、血の繋がった兄ではないことも…。…それでも。
「それでも私は、貴方のことをずっと、兄として慕ってきました!」
しばらく俯いていた顔を上げ、風薫は毅然と言い放った。
「……嘘だね。」
「…!」
「君も本当は、僕のことを一人の男として愛している。そうだろう…?」
これまでよりも重みのある声で、秀行は妹の耳に囁く。
恐怖にも似た表情を浮かべていた風薫。しかし、そこでふっとあることに気付いた。
(これは…妖気…?)
よく見ると、秀行の両の瞳は濁って何も映していないかのようである。
(もしや、魔物に操られて…)
そこまで思いあたると、力の限り兄の腕を振りほどき、彼から離れようとする。だが、途中で自らのネグリジェにつまずき、ベッドに倒れこんでしまった。急いで起き上がろうとするも、その前に兄がおおいかぶさり、彼女の両手を片手で押さえつけた。
「風薫…!」
兄が妹に口付けを迫る。風薫はぎゅっと目をつぶった。
風薫のわずかに動く指先が、偶然にも彼女の守護色である黄緑色をした枕カバーに触れた。その瞬間、二人の間に円を描くかのような風が巻き起こり、秀行を吹き飛ばした。
「お兄様!」
風薫は今度は枕カバーをしっかりと掴み、風をコントロールして兄が壁にぶつかる寸前に目に見えぬクッションを作り出して衝撃を和らげた。
「…!」
風に守られたものの、吹き飛ばされた秀行は倒れたまま動かない。
「お兄、様…?」
風薫は心配しながらも、恐る恐る兄に近づく。
「……っ…。…?僕は…」
「お兄様!」
目を覚ました兄が正気に戻ったことを即座に感じ取り、風薫は彼の元へと駆け寄った。
「お兄様、大丈夫ですか?!」
「風薫…?僕は一体…」
秀行はしばらく心ここにあらずといった感じであったが、ふと我に返ったように目を見開いた。
「…!僕は…何てことを…。すまない、風薫…!」
申し訳なさそうに頭を下げる秀行。その様子に、風薫は安心して笑みを浮かべた。
「いいえ…。お兄様はお疲れだったのでしょう。私は大丈夫です。」
やはり魔物に操られていただけのようだ。先ほどの風の影響か、もう妖気は消えている。でなければ、あんなこと…。
「…だけれど、」
秀行はそう呟くと、真剣な表情で妹を見つめた。
「だけれど、君に対する気持ちは本当だ。ずっと昔から、君のことが好きだったんだ、風薫…。」
「…!」
穏やかな表情から一変、風薫は一気に顔をこわばらせる。これ以上、声を出すことができなかった。
そんな彼女を辛そうに見ながら、秀行は立ち上がった。
「本当に、すまない…。でも、いつまでも我慢していられないんだ…。どうか、分かってほしい。じゃあ…。」
それだけ言い残し、彼は部屋から出て行った。広い部屋に再び一人となった風薫は、まだ動けずにいた。彼女の身体には、彼の温もりが残されていた。
――――――
前から怪しいと思っていた、と彼女を責めたてる者、なんて不純な…と気味悪がる者、どうしたらいいか分からず困惑している者…。あらゆる態度や声に、風薫は全くの無反応だった。
「いい加減にしな!」
よく通る低い声がして、少女達は一斉に口を閉じた。
「おかしいと思わないか…?誰がどうやったら黄緑寺家に潜入してこんな写真が撮れるっていうんだ。…でたらめにいちいち過剰な反応を示すもんじゃない。」
女生徒達の憧れの的である男装の少女・橙野火翔は厳しい口調でそう告げると、風薫に近づいてそっと肩に手を置いた。
「大丈夫か、風薫…。」
戦友でもある彼女の優しさのおかげか、風薫は少し落ち着いてきたようだ。
「…ありがとう、火翔…」
両手で肩に置かれた手をゆっくりと下ろす。そして、決意を秘めた眼差しで、静かに口を開いた。その瞳には、正直揺れがあった。
「『真相』が、そんなに大事かしら…?それよりも私は、これまで積み上げてきた『事実』を大切にしたい…」
それだけ言い残し、風薫はその場から立ち去った。
…私は、黄緑寺の娘。たとえ血は受け継いでいなくても、ここに生まれ、そしてここで生きていくことが私の運命。黄緑寺の名に恥じぬよう、努力してきた。名門の城斎女学院で生徒会長に選ばれたのも、その表れの一つ。
そう…私は、黄緑寺の娘であることに、誇りをもって生きていかねばならないのです。私を本当の娘のように育ててくれた、お父様のためにも。ですから、貴方の気持ちに応えることはできません、お兄様…。
誇りの戦士たる少女は、自らを運命に縛り付け、生きていこうとするのであった。…心の奥底に眠る気持ちには蓋をして。