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用意していた夕食は、ほとんど昼食みたいな時間の朝食になる。
椅子の上で目を覚ましたケイティは眠る二人を置いてシャワーを浴び、台所に向かうと少し食事を足して準備を整える。台所でずっとまとわりついているアンには勿論気づかない。仕事に行く時間もあったので、ひとまずネロを起こした。
「うー…ママ……アン…」
「どうなの?具合は?」
「うん。なんか」
「なんか!?」
「生まれ変わったみたいな感じ」
パッチリと目を開け、上半身を起こして伸びをし、ネロがベッドから立ち上がった。
二人は互いの目線の高さに驚く。
「あ、背が…」
「やった!本当に大きくなってる~!」
わーい!と喜ぶネロがジャンプして、ケイティとは違う方向でハイタッチをしている。
「どこに向かってハイタッチしてるの?」
差し出した両手が空しい母の手をきゃははと笑いながら掴んでブンブン振って、ネロはケイティの胸に飛び込んだ。
「すごいよ、父さんは」
「………とうさん?」
「そう!!父さん!!」
ネロが床に転がっている男を見ている。ケイティは怪訝な顔で息子の額に手を当てたが、全く熱はない。どこをどうやったら父になった?
「あのおじさんは、私、昨日初めて会ったんだからね?」
「知ってるよ」
「おじさんはお子さんを探しているそうよ」
「アンだよ。家にしばらくいたんだ。見えないかな、ここにいるんだよ?この子」
「……やっぱりネロおかしいわ、お医者様に行った方が」
「おじさんではないが、見せてやろう」
床に転がっている男から突然声がして、長い指からぱちんと音がするとネロと手を繋いでいる小さな男の子がボワワンと現れる。
「ママ!!!」
ケイティは理解が追いつかず気が遠くなりかけた。
「大丈夫か?」
ふ、と気が付けばレンブラントが肩を支えて後ろに立っている。この状況で大丈夫でいられる人がいたら連れてきてほしい。
「ケイティ~!アンだよぉ」
小さくて瞳がなんだかおかしい、だけど可愛い生き物がケイティのスカートをぎゅーっと握って身体を摺り寄せてきている。
「あ…アン…?」
「ねぇねぇ、抱っこしてぇ」
「こら、アン!」
後ろから注意するレンブラントの声が聞こえるが、ケイティは小さな身体を抱き上げてやった。アンはうっとりした顔でケイティの胸に頬をすりすりしている。
「昨日僕、ケイティに紐を渡したでしょう?」
「紐…」
ケイティはアンを抱いたまま振り向いて、確かに昨晩髪を結ってやったレンブラントを見上げる。
「あの」
「うん?」
「本当に、ネロの病気は治ったのですか?」
「初めから病気じゃない…魔術師に見せれば早かったんだろうが。だがもう魔力が起因する体調不良は起こらない」
「魔術師…魔力?」
「ああ。どこの領地にも一人か二人いるだろう」
「占い師のこと?」
「いやまじないではなく、魔術師だ。魔力がほとんどない者ばかりだが、腕の有る魔術師なら調整はできるだろ」
ケイティは首を傾げる。
「ずぅっと昔に、紙で作った飛行機を隣の領地まで飛ばしたり、蕾を自由自在に咲かせるおばあさんがいるって聞いたことがあるけど…そういうののことですか?」
「はは。それだ。だけど内容はまるで子供だましだが…」
時々イーサンや遠方の魔物を使って世情を知るようにはしていたが、あいつらは興味のあることしか報告しない。薄々気が付いてはいたが、かなり情報に偏りがある。流行りの飯やエロい踊り子、姫にご令嬢の話や誰がどんな悪だくみをしているのかは随分と拾ってくるのだが、そう言えば魔術師の話題など一度も出たことがなかった。
三百年ぶりに見た世界は夜でも明るく火も容易く扱え、皆が清潔で不便な様子もない。道は整備されて食べ物も豊かにある。魔術など必要がなくなっていても不思議はなかった。身をもって学習したが、必要なのはお金である。もう魔術師も魔法使いも需要のない世界なのかもしれない。
「ママ、お腹すいた」
「あ、そう…そう、ご飯を食べましょう?その、ええとお名前は」
「レンブラントだ」
「レンブラントさんも、一緒に」
おやつしか食べないというアンは、ケイティの横に置いてもらった椅子で砂糖の付いたパンの耳を嬉しそうに齧る。
くず野菜のスープとチーズを挟んだ硬いパン、ピクルスに自家製のマスタード、申し訳程度の薄いハムと玉子、茸の炒め物。ケイティは複雑な気持ちでレンブラントに食事を促す。
信じ切る気持ちがまだ持てないが、真実ネロが元気になったのであればこんな貧相な食事でもてなすなどありえない。本当なら給料日にでも招いてお酒や肉、デザートをたくさん用意してもっと美しい料理を…ボロ家でそんなちぐはぐな料理も想像さえできないが。
確かに背は伸びていたし、本人の様子も全く悪そうではない。良さそうだった。かと言って誰が信じられる?
「……すごい!」
思案にふけっていたケイティの向かいで、男は口を半開きにして食卓を見る。
「食事だ!食事をするって感じだ!見ろ、アン!」
「アンはお砂糖のパンだから!」
「どういうこと?」
レンブラントは目を輝かせてテーブルに並んだ皿を眺めた。ネロが首を傾げる。確かに目の前にはネロが知っているいつもの食事より品数や量が多い。
「城では俺以外に食事をする者がいないからな。始めはコックがいたんだが、その内ウロウロする魔物達を怖がって逃げてしまった。だから作る奴もいない…それで長らく適当な物ばかり食べていた」
「適当なのってどんなの?」
「魔鳥の卵は一度食べるとひと月くらい何も食べなくても良いから、大体はその卵だな。もう用意するのも食べるのも面倒くさい」
「マチョウ…?それは美味しいのですか?」
「味なんか気にしたことがないなぁ。割ってかき混ぜて飲んだら菓子を食べて、その後口をゆすぐ。あとは城の裏に仕掛けた罠に時々動物がかかるから、外で適当に炙って食べたり。イーサンが見つけてきた異国の妙な料理を取り寄せて食べたりもするか」
ケイティは想像して顔を顰めるが、ネロは楽しそうである。
「異国の料理を?僕、食べたことないや。どうやって取り寄せるの?」
「集めた悪意を丸めて送るんだ。そうすると交換で異国の魔物が転送してくれる」
「わぁ。魔力って便利だね!」
「アンは激辛料理が大好き!作るのも上手だよ!」
「アンはご飯食べないんでしょ?」
「面白いから時々食べる!食べたらチカチカするの」
ネロに向かってきゃははと笑うアンに、レンブラントは首を振る。
「コイツの激辛料理は匂いだけで汗が出る。食いもんじゃない」
「こんな小さいのに、そんな辛い料理を?」
目を丸くするケイティにレンブラントがアンの本当の歳を告げると暫く固まった。
「ま…まぁ、とにかく食べてください。ごちそうとは言えませんが」
三人がいただきますと頷き合って、食事を始める。
ケイティはレンブラントという男の言葉の端々から出てくる『城』だの『コック』だのが気になって仕方ない。昨日は極貧の男だと思っていたが、普段は妙な卵だけとはいえとんでもなく口の肥えた人間かもしれなかった。食べさせる料理がこれではますます恥ずかしいことになる…
だけど様子を見ていると、レンブラントは一心不乱にご飯を食べた。
「んまい!」
とか
「んー!」
とか時々嬉しそうな顔をする。
ホッとしてケイティも食事を始めた。
だけど彼女にとってはひどく現実味のない時間だった。自分は夢を見ているのではないだろうか。長年夢見たネロの治癒がまるで事故のように突然叶うなど、逆に夢にも見たことがない。魔術だの魔物だの…瞳のおかしな可愛い子供、滑稽な話ばかりする浮世離れした男。それを突然父と呼び出す息子。何もかもが理解の範疇を超えている。
未知の手品を使われているという疑いから脱出できない。
だから色々と気にはなったが、深く尋ねる気持ちになれなかった。どうせすぐにお別れだ。自慢ではないが、ネロをお腹に宿して以来、誰かを当てにしたことはない。確かに背は伸びたけれど、時を経ねば病気はわからない。ひとまずはこれまでと変わらない生活を続けようと思う。
働かなくては。
そう思った瞬間、仕上げねばならなかった造花を思い出した。
急に息を吸って口を開けたケイティに皆がびくりとする。
「ケイティ~?」
「どうしたの、母さん」
「…あ、ごめんなさい。ちょっとうっかり、しなくちゃいけない仕事をやってないって思い出したから」
時計を見ると仕事に行くまでということもあり、時間がなかった。
食事を途中で終えて、そそくさと小さな机に出していた花弁や葉といった造花のパーツと接着剤を並べて座り込む。
「あ、ママ…内職のお花?」
「そうそう。今日が締め切りだったのに、すっかり忘れちゃってたわ」
ごめんなさい、ゆっくり食べてね、と声をかけた時にはすぐ後ろからレンブラントが机を覗き込んでいた。
「何をするんだ?」
「内職の仕事です。これが見本で、同じものを十五本作るんです」
「同じ?」
「ええ」
「ふむ。趣味じゃなく、仕事なんだな?」
「そうです。空いた時間を使えるから、掛け持ちするにはちょうどいい仕事で」
答えた側からまたぱちんと指の音がして、テーブルの上には十五本の造花が出来上がっていた。
「食事をしよう、ケイティ」
「………」
レンブラントが、口をあけて机を見るケイティの腕をつつく。
だけどケイティは動かない…動けない。
「ケイティ?大丈夫か?……ふむ」
レンブラントはケイティをお姫様抱っこして食事のテーブルまで連れてくる。
「あ~!レン、ずるいんだ」
「いいだろ。お前は抱っこされる側。俺はする側だ!」
「ネロ…ネロ…造花が、い、一瞬で…」
ケイティはまだ白い顔をして造花を指差して、ネロも興奮したように頷いている。
「俺は無から有は難しいが、元から有るなら大概のことはできるんだ」
「アンもできるよ、ケイティ!」
「すごいね!!僕もやってみたい!」
「えっと、えっと、じゃあネロ、これは?」
きゃっきゃとアンが楽しそうにパンの耳を宙に浮かせてネロの口元に運んでいき、ネロがケタケタ笑って食いつく。ケイティはクラクラした。夢なのこれは?
「造花はしない方が良かった?元に戻そうか?」
すぐ横でレンブラントの声が聞こえる。ケイティが顔を見ると、少し悲しそうに見えて慌てて首を振った。
「まさか、そんな!すごく、すごく助かりました、ちょっと驚きすぎて…ごめんなさい」
そうだ、礼を言うのが先だった。ケイティはありがとう、と心から感謝を伝える。これは目の前で形になった真実だったのだから。
レンブラントがはにかんで、ケイティを椅子に降ろす。そうして耳元で小さな声で言った。
「……ケイティは綺麗だ」
「へ?」
「長らく色んな人間を見てきたが、一番、綺麗だ」
目が点になるケイティの髪にひとつキスを落として、レンブラントはまたご機嫌で席に戻り、食事を再開した。




