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「おいハチ、アンはどこ行った?」
「知りませぬ!」
古城の地下、わらわらと寄り集まって菓子を食べる小さな式魔に尋ねるが、返ってきた答えは主人を敬わない素っ気なさである。
「知らぬとはどういうことだ。菓子の時間にまでいないとは…おかしいじゃないか」
「知りませぬと言えば、知りませぬ!」
今日はアンも大好物の異国から転送させた餡包なのに。レンブラントはダイニングテーブルのクロスを捲って覗き込んだり、巨大ソファのクッションをどけてみたり、重たいビロードのカーテンを揺らしたりしてアンを探す。
「どこにもいない!ハイ、お前知らないのか」
「ひふぁなぁぁい」
こちらも餡包を頬張るのに必死で聞いているのかも怪しい返事である。
アン(1)、ハイ(2)、サム(3)、フィア(4)、パンチ(5)、シィタ(6)、チル(7)、ハチ(8)、ネイフン(9)の九人兄弟の式魔はレンブラントが約三百年かけて作り上げた装置のパーツである。瞳孔が縦一本の金の瞳、青白い肌に黒々とした髪、背丈は一ミリも狂わず九十センチ。全体的に丸っこく見た目には愛くるしいが、中身は強い力に溢れた魔だ。
アンを除いた八人が、式魔用の丸いローテーブルに置かれた菓子に夢中で食らいついている。
「庭にいるのか…んー…呼びかけてもうんともすんとも言わないな。回線切ってる?」
「そうだよね~。朝に虫捕りしようってシィタ呼んだけど、返事なかった」
「虫捕りなんて、あいつはもう飽きてるだろ」
アンは一番最初に作ったから、もう二百五十歳は超えている。呑気に虫を捕ってちぎって解体するより、最近は異国の激辛クッキングに嵌っていたはずだった。
「厨房にいるとか?」
「チル知ってるよぉ」
ごっくんと飲み終えたチルが呑気な声を出す。
「なんだと? 早く言え、それを!どこにいるんだ」
「それは知らないけどぉ、アンは夜中におしっこ行くって部屋を出て行ったっきり帰ってきてない」
え?
レンブラントはぎくりとする。
「おい…ちょっとまてよ…そしたらアンは夜中から今までずーっと居ないってことか?しかもお前ら『おしっこ』なんて出ないだろーが」
そんな機能つけてない。
本当は何も食べなくてもこの世の中に魔素がある限り生きていける。菓子だって暇だから食べているだけだ。いやに皆必死で食べてはいるのだが。
それからレンブラントは城の地下も上の階も式魔達と探してまわったが、やっぱりアンはどこにもいなかった。
「レン~、僕…ねむたい」
ネイフンがふらふらと寄ってきて抱っこをせがむ。
ネイフンはまだ出来上がったばかりで生まれて間もない。体力がなかった。
レンブラントが温度のない小さな体を抱き上げ、寝床まで歩きながらポンポンするうち寝てしまう。
最も部屋の出口に近い九番目の小さなベッドにネイフンを転がすと、レンブラントは一番奥の古いベッドへと近づき手のひらを当てる。
アン…なぜいなくなった?二百五十年も一緒に居て、お前がいなくなるなんて一大事じゃないか。
手のひらから微かに視える思いはアンの焦りと苛立ちと…
「イーサン」
小さな声で呼ぶと、レンブラントの周囲に漂っていた黒い靄が大きな犬になる。
「どうした」
朗らかに犬が喋った。しかしいくら朗らかだろうが、その犬は全く絵面的に可愛くない。いつ嚙み殺されるか不安になる鋭利な歯と涎の滴る口元、尖り切って濁った目。
「アンが出て行ったのを知っていたのか」
「ああ。最初はブルってたが、案外楽しそうに出て行ったぞ」
「なんで止めなかった」
「頼まれてない。アイツは出て行きたくて行った」
「そーれーはーそーうーだーがー!俺がこの三百年以上、ネイフンを作るまでコツコツやってきたの、お前だって知ってるだろ!?やっともう終わりが見えてきたんだぞ?ネイフンが他の式魔達みたいに体力が付いたら、後は俺が十番目になって、全員装置にぶち込めば完成だ!なのに…なのにアンがいなくなるなんて…また一体作るとか…げぇ」
「はん。意味なし装置な」
「意味なし言うな」
「愚かな王も死に、子孫と言っても最早三百年も経った。誰もお前のことなど覚えちゃいない。王城から最後の使者が来たのは一体何百年前だ?そんな装置が出来上がったからって何になる」
無駄や無意味が大好きな魔物の癖に真っ当なことを言う。イーサンはそういう奴だった。耳にタコができるくらい聞いたセリフは聞き流し、レンブラントは小さなベッドに腰かけて頬杖をつく。
「アンは最初に作ったから、他の奴らと比べると、時間もかかったし、ちょっとだけ上手く作れてない部分もある…だけど…だからこそ特別だ。ハイとサムを作る最初の工程だってアンも一緒に手伝ってくれた」
最初に手伝うと直ぐに飽きて虫捕りをしていたが。
「レンブラント。アンの悲しみに触れたんだろう?」
美しい男が手のひらをじっと見つめる。視えたのは焦りと苛立ちと、悲しみ。
「何が悲しいって言うんだ。菓子でも取られたか」
「回線は切っているが、街の方にいるな。式魔はお前自身でもあるんだ。追えるだろう」
「街か」
この世界と別れる前に久しぶりに人里を見ておくのも良いかもしれない。
「分かった、では俺はアンを探しに行ってくる。ネイフンを頼んでいいか」
「ああ」
魔法使いは重たい扉を押す。茶色い革のサンダルが陽の光の道を踏んだ。
こうしてレンブラントは約三百年ぶりに古城を出た。