異世界転移返し②
王女は夢を見ていた。
彼女は夢の中で、婚約者で最愛の皇子との逢瀬を楽しんでいた。
広い庭園の真ん中にポツンと植えられた樹木の木陰で、二人は寄り添って座っていた。
何を話しているのかはわからないが、とにかく楽しい時間を過ごしており、二人とも満面の笑みでお互いを見つめあっていた。
すると、皇子が急に立ち上がり王女に話を切り出した。
「王女殿下、大切な話があるんだ。聞いてくれるかい?」
いたずらっ子のような顔で聞いてくる皇子に、バランスを崩しかけた王女はやはり笑顔で先を促した。
「ええ、どうぞ。一体どんな話なのでしょうね?」
――実は…
皇子が王女の背後に目配せをしながら言った。
「婚約を破棄してほしいんだ。僕は真実の愛に気づいてしまったんだ」
甘くとろけるような笑顔で爆弾発言をした皇子に、王女はぎょっとする。
そこに間髪をいれずに背後の木の後ろから人影が現れて皇子の隣に飛び込んできた。
「ごめんなさい王女様!でも、私たち本気なんです!」
人影の正体は着飾った女だった。
頭の中が真っ白になる。
「そういうわけだから、王女――――――王女、王女!おうじょおおおおお!」
そこで目が覚めた。
重いまぶたをなんとか持ち上げると、目の前に司教の顔が飛び込んできた。
「王女、無事でしたか!全く目を覚まさないので一時はどうなるかと思いましたぞ!」
「ごめんなさい……とても悪い夢を見ていたみたい」
安堵の表情を浮かべる司教を一瞥すると、王女は身を起こした。
そして、視界に飛び込んでくる景色を眺め、まだ夢の中にいるのではないかと疑った。
確か、気絶してしまうまでは、自分達は洞窟を人工的にくりぬいたドームの中にいたはずである。
つまり、岩と土に覆われた空間にいたのだ。
決して上下左右が金属らしき白い壁で覆われた立方体の空間にいたわけではない。
「ここは……どこですか?」
周囲を見回してみると、儀式参加者は皆無事なようであるが、その表情は一様に固い。
「私共も、異世界の扉に触れたときに意識を失ってしまいまして……目を覚ませたときはここにおりました。」
一人の魔術師が皆を代表して報告したが、その時になって王女は改めて実感させられてしまった。
自分達は、異世界に来てしまったのだと。
このままでは、残り少ないリソースを
その絶望感に押し潰されてしまいそうになるが、自分は誇り高き王族である。
今回の任務に参加してくれた者たちをまとめてこの状況を打破しなければならない。
震えそうになる体を両腕で必死に押さえ込んでの次善策を模索する。
「……それで、出られないのですか?」
さらに質問を重ねると、今度は司教が答えてくれた。
「実は、王女が目覚めるまでに扉がないかを探ったのですが、何やら面妖な術が施されているらしく発見することができませんでした。あそこに見える鏡に何かないかと破壊も含めて試してみましたが、この空間では魔術が一切使えないようで……その…極聖石も奪われてしまったようです……」
その報告にハッとして自分の頭に手をやったが、儀式に使った冠はそこになかった。腕飾りも両腕から消失していた。
その先は言わなくてもわかってしまう。
司教が指し示した鏡は四方を囲む壁の一面を覆っていたが傷一つ付いていなかった。
「なるほど、わかりました。我々がこの人工的な空間に閉じ込められているということは、閉じ込めたものがいるということ。その正体はわかりませんが、いつか姿を現すでしょう。ならば、私たちはそれまで無駄な体力を消耗させずに魔力の回復を第一に考えましょう。そして、いつか不埒者たちが現れたときに少しでもこちらが有利になるように策を練りましょう!」
とにかく、今は余計なことを考えてパニックに陥ることだけは避けたい。
毅然とした態度で皆に告げると、困惑していた面々の表情が引き締まったものに変わった。
さすがは各国の最精鋭である。各々、壁の材質を調べたり、敵が現れた場合の対応策などを議論し始めた。
『――境界侵犯者に告げます。これより【異世界法】に基づく非特異的次元干渉及び不法越境行為に関する尋問を開始いたします。』
壁の中からそんな声が聞こえた。
驚いて壁を探ってみるも、除き穴の類いの物は見つからない。
『――今からそちらの部屋に尋問官をそちらに送ります。今回の越境行為に関する詳細を尋問いたします。願わくば敵対行動はご遠慮願いたい。そちらのために』
そして、こちらの返事を待つことなく、鏡の嵌められた壁の真正面に広がる白い壁に人が二人ほどすれ違えるほどの穴が開いた。穴の先は暗く、何が待ち構えているのかわからない。
王女を取り囲むように取り巻いていた魔術師たちがそのまま王女を背にかばうように反転し、どこから不埒物が現れても対応できるように緊張した視線を走らせる。
ちょうど開いた穴の真正面に立っていた魔術師が緊張のあまり自制心を失い一歩足を踏み出した。
「おまちください!まずは状況を把握するためにも会談の機会はこちらも望むところです…」
王女血の気が引いて紫色になった唇を噛みしめながら、何者かの登場を待つ姿勢を示した。
そんな気丈にふるまう王女を見て、魔術師たちは心の均衡をなんとか取り戻して王女を護る。
たっぷりと3分程度経過したころに、穴の入り口に音もなく人影が現れた。
その容姿を目の当たりにした司教が王女の隣で目を見開きゴクリと唾を飲み込んだ。
「あれは……ホン……ジン」
隣にいる王女も聞き取れないほどの小声で何か確信めいたことをつぶやく司教に眼を向けると、いくらか立ち直ったらしい司教がその場を代表して闖入者に声を掛けた。
「そちらが何者かお尋ねしても.…?」
王女は改めて部屋に入ってきた人物を観察する。
この世界の人類が自分たちと同じような特徴を備えているのであれば、どうやら女性のようだ。
上下黒一色のタイトな装束を纏ったそのいで立ちは、引き締まっているが出るところは出る体系となっており、社交界に出れば華に例えられること間違いなしの柔らかさを内包していた。
ただ、ヘボ族とは顔の作りが異なるため、そのような機会は訪れないであろう。
しかし、その風貌はガチ帝国の中でも最精鋭と呼ばれ、魔王ヤスと同族であるラースキ族と似通っている気がした。濃密な魔力の気配とたった一人でヘボ族の精鋭10人の目の前に現れたことから憶測すると相当の手あdれであることもうかがえた。
とはいえ、王女が前線に出ることはないため直見たことはなく、彼らを目撃した戦場画家の描いた姿絵を新聞で見たことがある程度のため、自信はなかった。
また、前線からもたらされる情報によると、ラースキ族は一方的にヘボ族を憎んでいるらしく、相まみえれば躊躇することなくヘボ族を攻撃してくるらしいことから、容姿は近いが異なる人種なのかもしれない。
彼女が視線には憎しみのような感情はなく、ガラス玉のように無機質で感情を感じさせない。
まるで、自分が虫けら扱いでもされているようにも感じられる視線を浴びせながら、彼女は口を開いた。
「まずは貴様らから名乗れ」
とても素っ気なく、興味のなさそうな声色で紡がれた言葉に一同は逡巡する。
まずは安心した。先ほどの壁から聞こえる声からもわかってはいたが、お互いの言語は通じるらしい。
コミュニケーションをとることができるのであれば自分たちを取り巻く状況の整理にも役立てることができるであろう。
それとともに不安も大きくなる。儀式がガチ帝国の妨害に遭い、自分たちがガチ帝国の勢力圏にとらわれた可能性が上がったからである。
だが、妨害に遭っていたとすればこちらの所属や身分は既に知られているはずである。
そして、目の前の女の素っ気ない態度。
まだ、判断できるほどの情報は揃わない。
司教も同じことを考えたのか、女の質問に答えた。
「我々はヘボ族国家連合に所属する多国籍の特別外交使節団である。私は使節団の次席を務めるオラヌカ教司教イデクと申す。この度は特別な交渉任務を与えられて行進中の折、魔術事故が起きたのやもしれぬ。我々の意思に反してそちらの勢力圏へと飛ばされてしまったのでしょう。そちらを害する目的で越境したのではないことを明言いたす。」
多の少威厳を滲ませながら司教が言ってのけた。外交官としての最低限の取り繕いというものである。
そして、内容もその通りである。こちらは魔王を倒すための英雄を借り受けるための儀式を執り行っていたのだ。害意などあり得なかった。
「ふん。どうせ召喚の儀式でもやっていたのだろう。ここは日本国の次元越境者収容施設の中だ。私は並列世界渉外庁所属特務尋問官のハザマだ。貴様らは我々の拘束下にある。これから、貴様らに掛かっている15の嫌疑について尋問を実施する。」
その場の全員に緊張が走った。
国名こそガチ帝国とは関係ない上に聞いたこともないが、召喚の儀式のことが知られている。
魔術師の中に今回の儀式の件を外部に漏らしたスパイがいるかもしれないことまで考えると、気が遠くなりそうである。
だが、次元越境収容施設といった。次元越境?並列世界渉外庁という組織が出張る事態とはなんだ?15の嫌疑とはなんだ?たとえ越境をしてしまったとしても15も同時に法を犯すことなどあるだろうか?
相手の交渉術なのか?
頼みの司教は国名を聞いたあたりで血の気を失い黙ってしまった。
王女は代表者として今度は自分が矢面に立つ覚悟を決めた。少なくとも相手からはすぐにこちらを害そうという意思を感じられなかった。
「使節団代表の任を預かっておりますアン・ドーダック王国の第一王女タミノフィー・サータリウ・テトリノノスと申します。次元越境とは何なのかご教示いただけませんか?ただの越境ではないように推測できますが…もしかして、ここはモトマヌラ大陸ではないのでは?」
王女は相手から情報を引き出そうと態度を改めて問うた。ここまでで聞き取れた単語から、神の国への入国を果たしたのではないか?という期待も湧き上がってくる。
女はやはり興味なさそうに答える。
「その通りだ。貴様らは、貴様らが元居た世界から次元の壁を破ってこちらの世界へ、そして、我が国への侵入を果たした。その結果、我々の管轄する事件として認定され現在の状況に置かれている。」
「やはり!では、あなたは神の軍団なのでは!?」
王女は立ち上がり、自分を護る魔術師たちをかき分けて女へと歩みだした。
目の前で相変わらず無機質な目線でこちらを観察する女に向かって両手を広げて抱擁しようと近づいた。儀式が成功していれば王女は儀式によって神の使者となっているはずである。目の前のただならぬ気配を纏う女はきっと神の軍団の一員に違いない。
つまり、神の使者である自分が抱擁しさえすればこちらに忠誠を誓い力になってくれる。
そんな楽観的な考えに従い、彼女はハザマにあと一歩のところまで近づいて笑顔で抱きしめようとした。
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皇子が目の前に立っていた。
彼はとびっきりの笑顔を彼女に向けていとおしそうに囁いた。
「フィー…」
彼女と近しいものにだけ許される愛称である
王女もまた、顔を紅潮させうっとりとした表情で彼を見つめる。
「王女、お気を確かに…」
急に変なことを言われた。確かに彼にはぞっこんであるが、気が変になるほどではない。
皇子にからかわれていると思った王女はほほを膨らませる。
「なんですか?からかわないでくださいまし!」
少しあざとく見えてしまっただろうか?でも、彼の前ではかわいい自分でありたいと思う気持ちが抑えられなかった。
「目を覚ましてください…」
また、わけのわからないことを言ってきた。
刹那、目の前にいたはずの皇子の顔が尋問官へとすげ変わった。
「早く目を覚ませ。」




