異世界転移返し①
「王女殿下!召喚の儀を執り行う準備が完了いたしました!」
儀礼服なのか、派手な衣装に身を包んだ男が、清らかなる乙女を思わせる純白の衣を纏った美しい女性の前に跪き、興奮を抑えきれぬ様子で話しかけた。
純白の乙女は、目の前に跪く男を待望に満ちた眼差しで一瞥すると、大きく頷いた。
「はい、ご苦労様でした。ついにこの時が来たのですね。ついに……この世界を魔王の手からお救い頂ける勇者様を……さあ!参りましょう!」
乙女は、期待に紅潮した頬を冷ますようにかぶりを振ると、儀礼服の男を連れだって儀式の間へと歩み出した。
ここは、とある剣と魔法の世界サマケミウが最古の王朝を冠するアン・ドーダッグ王国。その聖地ケマヌイに聳え立つオラヌカ教の本拠地、トーボエ神殿である。
彼の国、否、彼の世界は現在、危機に瀕していた。
長い間、単一民族ヘボ族によって治められているモトマヌラ大陸南部の国々と、多種多様の種族が混在する大陸北部において急激に力を付け拡大したガチ帝国との間で大陸の覇権を争う大戦争が勃発していたのだ。
そのきっかけは、ヘボ族の領域である大陸南部と同様に決して一筋縄とはいかなかった大陸北部の国家群を次々と呑み込み、卑怯なる戦略と恐怖で纏め上げた一人の皇帝、ヤスによってもたらされた。
彼の王の苛烈な戦術に大陸北部の各国は尽く敗北し、その後にもたらされる政治手腕に恐怖し、従属した。
ついには大陸北部の統一を成し遂げた皇帝ヤスは、ヘボ族に対し、研ぎ澄まされた牙を剥いたのだ。
前線となっていた国々は彼の王の思うままに蹂躙され、ヘボ族の版図は次第に縮小し始めた。
ここに来てようやく事態の重さに気づいたヘボ族の各国は、慌てて協力体制を築こうとするも、会議の場では主導権争いに終始する愚を犯しているうちに、唐竹を割る勢いに乗ったガチ帝国の軍勢に蹴散らされていった。
全てを見抜いているかのようなガチ帝国の攻勢に恐れをなした各国首脳たちは、もともと持っていた北部の多様な種族への忌避感も手伝い、彼の皇帝を【魔王】と、その国民を【魔族】、軍勢を【魔王軍】と呼ぶようになった。
そして、かつて存在したヘボ族の国の半分が地図上から消えたところでようやく、ヘボ族もアンドーダッグを中心に一致団結の体制を整えることに成功した。
しかし、全ては遅すぎた。
魔王軍は神出鬼没にして神速の行軍をもってヘボ族の連合軍を翻弄し、容赦なく力を削り取っていった。
何よりも恐ろしいことは、滅ぼされたヘボ族の国々の同族が魔族に混じって仲間であるはずの自分達に刃を向けてきたことだ。
ヘボ族と他種族は決して相容れない。他種族は滅ぼされて然るべき種なのだという思想に染まりきっていたヘボ族国家は、さらに混乱した。
もはや滅びる道しかないのではと誰もが思い始めた時、アンドーダッグの美しき王女が一筋の希望をもたらした。
藁をつかむ思いで古き伝承に記された奇跡について探し求めた努力の賜物であった。
曰く、この世界の神であるオマセリーヌの導きにより、一人一人が万の軍勢に匹敵する力を持った『神の軍団』が異世界から訪れる。
曰く、儀式を行うことで神の軍団を神より借り受け、意のままに使役することができる。
曰く、アンドーダッグ初代国王は、神の軍団を使役してガチ族の侵攻を打ち破り建国した。
各国首脳は、突然もたらされた情報に眉を寄せたが、何もしないよりはましだろうと考え、儀式に必要な道具や資材の準備に協力した。
もはや彼らは正常な判断力を失っていたのかもしれない。
結果として、王女を誰も止めなかったために、ヘボ族の繁栄の歴史は終わりを告げてしまうのだから。
トーボエ神殿の地下深くで隠されるように封印されていた儀式の間は、扉を開け放たれ、王女が足を踏み入れた。
天然洞窟の通路を抜けた先に、突如として広がるドーム状にくりぬかれた空間には、床や壁に縦横無尽に走る紋様と無数に散りばめられた聖石が光輝き、地下であるにも関わらず日の光を浴びているように明るかった。
広場の傍らから、儀式の準備を監督していた司教が歩み寄ってきた。
「王女殿下、聖具をお召しください」
司教は王女に向かい恭しく頭を下げると、両手に抱えていた盆を差し出した。
盆の上には3つの聖具が載せられていた。
黄金に輝く冠には、魔力を大量に蓄積する極聖石が嵌められ、繊細な彫刻で紋様が刻まれている。
二つある腕飾りは両腕に嵌めるもので、それぞれに冠と同じ極聖石が嵌め込まれている。
本来、極聖石は1つでも超一流の魔術師100人分の魔力量を貯蔵・供給でき、その製造法はオラヌカ教に完全に秘匿されているため、手に入れるのは至難の業である。
数年に一度の頻度で作り出される極聖石は、オマセリーヌの託宣に基づき最も相応しい者の手に授与されるしきたりとなっているが、実際は、高い名声を持ち、オラヌカ教への莫大な寄進ができる富を持つものに限られていた。
結果として、個人の所有は片手で数えるほどとなっており、ほとんどは、各国に所属する宮廷魔術師が国の名代として名ばかりの栄誉と共に授与され、戦時以外は国庫に保管されているのが常となっている。
その貴重な極聖石を王女に限らずその場にいる全員が身に付けている事態は、まさに総力を結集した大事業であると言え、また、召喚の儀に必要とされる魔力がいかに莫大であるかも瞭然とする。
王女はヘボ族の中でもトップクラスの魔力を持つことで有名であるため、当然儀式への参加を許されていた。
他の参加者も各国の宮廷魔術師や高名な神官たちで占められており、自身に満ちた面々はとても頼もしく感じられた。
そんな王女は、普段は国庫に厳重に保管され滅多に見ることができない極聖石をよく見てみようと、腕飾りに嵌まるそれを覗き込んでみた。
琥珀色の輝きを持つその石は、中心に小さな人型の人形のようなものが埋め込まれており、それを閉じ込めるように正8面体のカットを施されている宝石である。
その極聖石から溢れ出る膨大な魔力の気配を感じ取ると、何か得体の知れないもの、触れてはならないものに触れてしまったような罰の悪さすら感じてしまう。
司教はそんな彼女の食い入る様に不安を読み取ったのか、穏やかな笑顔を浮かべながら諭すように語りかけた。
「心配することはありますまい。皇子を捕まえたときのように優しく抱擁してやれば良いのです。さすれば、約定は結ばれ、身も心も王女の御心の下に繋ぎ留めることができましょう」
王女は顔を真っ赤にさせながら司教を睨み付けた。
「わ、私はそんなことしておりません!もぉ……」
彼女には婚約者がいる。今現在もヘボ族をガチ族の侵攻から守るために前線に立ち続けているであろう隣国の皇子である。
数年前、戦場の士気を高揚させるために兵士の慰問に訪れた先で、直前の戦闘で傷を負って療養していた彼と出会ったのだ。
王女は、戦場での芳しくない状況と怪我のためにふさぎこんでいた皇子を見て、指揮官の一人である彼を何とかしないことには兵の士気も向上しないと考え、皇子の不安を聞き、励ますこともした。
そんなことをしているうちに、互いに惹かれあい、紆余曲折の末、ついに婚約に至ったのである。
その報は、負け続きのヘボ族に久しぶりにもたらされた朗報で、人々は彼らを祝福した。
立ち直った皇子は、再び戦場へと舞い戻り、士気の高揚した兵と共に大規模な戦闘を勝利してみせた。
王女は勝利の女神として称えられ、そして、現在、更なる期待を背負いこの場に立っている。
--何を躊躇するのか。
王女は覚悟を決め、腕飾りを身につけ、冠を戴いた。
やがて、儀式の参加者たちが同じ聖具を身につけ終えると、儀式が開始された。
王女を除く全ての参加者は王女を取り囲むように円陣を組み、儀式の取り決めに従い太古の言語で呪文を紡ぎだしていく。
何時間が経過したのか、儀式が最高潮に達すると、広場の床や壁に刻まれていたはずの光輝く紋様が剥がれ、渦を巻くように広場の空間を漂い始めた。
王女は、その神々しい風景を目の当たりにしながら両手を握りしめ額の位置にある極聖石に魔力を集めるように集中する。
漂っていた紋様が王女の頭上光の渦を作り始め、目を覆わんばかりの光が渦の中から漏れだした。
その光の中から小さな黒点が生まれる。
黒点は、徐々に光を飲み込み始め、気がつけばドームは床を除き漆黒に覆われていた。
--これが異世界への扉……今!
王女は、額に集中していた魔力を解放させると共に、仕上げとばかりに呪文を唱えた。それはヘボ族を救うという悲願の叫びでもあった。
「ラキ・ンチ・カーーーン!!」
王女の叫びを合図として、王女の被った冠の極聖石から雷が真上に走り、漆黒を切り裂いた。
自身から放たれた雷に目が眩んでいた王女は、周囲の人々のどよめきを聞き、儀式の成功を悟った。
「おおー!あれが神兵のおわす国か!なんと美しい……」
儀式の参加者が口々に称える感嘆の声が王女の耳に飛び込んできたからだ。
彼女は流行る気持ちを抑えて視力の回復を待った。
やがて、王女の視力回復すると、彼女は息を飲んだ。
先ほどまでは、無数の聖石に照らされ明るさに満ちていた天蓋が桎梏に染まり、黒い空間に浮かぶ青く輝く球体がその中に浮かび上がるように存在していた。
神の国である。
--その美しさは、どんな宝石に例えることもできない。
伝承の一節に記された神の国というものは、その通り想像を遥かに越えた美しさで王女たちを迎えた。
「王女殿下!ここからですぞ!」
その言葉に王女はハッと夢見心地になったいた意識を引き締め直した。
先ほど王女に装飾品を渡してきた司教が満足したように頷いた。彼も儀式への参加を許された稀有な存在であった。
王女は佇まいを直すと、周囲に向かって告げた。
「これより神の軍団を借り受けに参ります!」
続いて、神の軍団の拠点へと向かう呪文を唱えた。
「ジャパァーーン!」
すると、一行はとてつもない勢いで青く輝く惑星へと近づいていき、青い輝きが水であることに気がついた。
緑色の陸地も広がっている。
そして、大きな陸地の最果ての地にドラゴンの体を模した陸地を発見した。
参加者の一人から呟きが漏れる。
「あそこにドラゴンの血を受け継ぐ神の軍団が……」
王女は伝承の続きを思い出す。
[かつて比類なき強さを誇ったドラゴンを世界の果てまで追い詰め打ち倒した伝説の『勇者』は、倒れたドラゴンより力を授かり神の兵へと昇った。そして、ドラゴンはやがて大地へ還り、勇者はその地上に千年王国を築いた。その子孫たちもドラゴンの力を受け継ぎ、神の軍団となった。]
伝承が正しければ、あの土地には一騎当千どころではない神の軍団が自分達の到着を待ちわびているはずである。
儀式によって神の使者となった自分達の言葉は神の言葉に等しいのだから。
―― あとは一人でも多くの兵を連れ帰るだけ。――
そう思った矢先の出来事であった。
ーー次元境界に局所的断裂現象を確認。
ーー断裂地点より未知の知的生命体反応複数あり。
ーー異次元からの意図的な次元穿孔と断定。
ーー未知の知的生命体からは身分識別信号を確認できず。
ーー訂正。未知の知的生命体集団より多数の国民特異波動を受信。
ーー国民特異波動パターンに異常を検知。
ーー日本国民に何らかの被害が発生していると判断。
ーーレッドアラート発令。
ーーただちに未知の知的生命体を無力化し、捕縛及び日本人の保護を行う。
突如、王女たちのいる空間から重力が消失した。
刹那、儀式参加者たちの体が何かに引かれるように地面を離れ、ジャパンに向かいはじめたのだ。
一同は大きく焦った。
なぜならば、伝承の通りであれば、神の軍団が召喚者の呼び掛けに応じて、自ら次元の門を越えて馳せ参じるはずだからだ。それが、なぜか召喚者であるはずの自分たちが次元の門の向こう側へと引き寄せられている想定外の現状に、一瞬、思考が停止してしまう。
その間にも、一団の体は地面を遠く離れ、儀式の間の半分以上まで浮き上がってしまっていた。
「何が起きているんだ!? 皆のもの、王女をお守りするのだ!」
しかし、王女一行は違う。
彼女らは、ヘボ族の現有戦力の中でも最精鋭とも呼べる魔力持ちで構成されている。
ただでさえ、今回の儀式中は戦線に穴が空いているのに、神の軍団を一人も連れずに逆に異世界に旅立ってしまうことなどできない。
全員が儀式のためにほとんど空になった魔力を振り絞り、謎の吸引力に対して抵抗を試みた。
飛翔の魔法を使い、力に抗おうとした。
足下に見える地面から石の鎖を生み出し、繋ぎ留めようとした。
頭上に巨大な水流を作り、地面に自身を落とそうとした。
なかには爆発の魔法の爆風で地面に戻ろうとしたものもいる。
だが、謎の力に勝つことはできなかった。
そして、再び響く怒声。
「こちとら地獄を潜り抜けてきてるんだ!そんな小手先で戻れると思うなよ!」
この科白を聞いた一同は戦慄を覚える。
まさか、この場にガチ族の手先が紛れ込んでおり、自分達の策を阻もうとしている。
あり得ない話ではなかった。
王女一行を包んでいた雰囲気は希望から焦燥、混乱へとすり代わり、ささやかな抵抗で魔力が枯渇一行は成すすべなくドームの天蓋――異世界との境界――へと吸い上げられていった。
この異世界との境界に誰よりも早く到達してしまったのは王女であった。
彼女の魔力は異世界の扉をこじ開ける際に全て吐き出されており、一切の抵抗が許されなかったのである。
せめてもの抵抗にと頭上に伸ばした手に薄い幕のような感触が伝わり、すぐに弾けた。
愛しい皇子が遠ざかっていく光景を幻視し、思わず手を伸ばしたがむなしく空を切った。
彼女は異世界へと攫われてしまった。極度の疲弊により途切れる寸前だった彼女の意識はプツリと途絶えたのだった。
気を失う瞬間に、先ほどの怒声の主が何かとてつもない科白を口走ったような気がするが、わからない。
「ようこそ日本へ。くそ共め…」




