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 中学二年の中間テスト当日に、愛菜(まな)はパニックになっていた。

「ああ~、理科のテストは何が出る?ねぇ、何が出ると思う?あ~もう、どうしてテストなんかやるんだろ。」

 涼太の前の席の愛菜は、椅子に横向きに座り、理科の教科書のページを(せわ)しなく(めく)りながら、涼太に(たた)みかけてくる。

「今回の試験範囲なら、細胞についての問題を出すんじゃないか?」

「細胞?細胞の何?」

「植物の細胞の観察に関する問題とか。」

「それは暗記して来た。それ以外は?」

「それ以外は何だろ…。分かれば苦労しないよ。」

「え~、じゃあ、それだけでもしっかり点取らなきゃ。あ~、植物の細胞観察の所、折角(せっかく)暗記して来たのに、早くテストしないと暗記したの忘れちゃう~。」

 テストしたくないのか、したいのか、結局どっちなんだ。

「大丈夫、落ち着けって。俺は、それより英語がピンチ。shallとwillの使い分けが全然(ぜんぜん)わからない。」

「それは覚えるしかないよ。先生が(ひょう)を黒板に書いてくれたでしょ。」

「そもそも、その意味が理解出来(でき)ない。」

「それじゃ、どうにもならない。(あきら)めて。」

 愛菜は教科書で口元を隠しているが、笑っているのがバレバレだ。

「お前、他人事(ひとごと)だと思って冷たいよな。」

 愛菜は(こら)え切れずにケラケラと笑い出すと、言いたい事だけ言えてすっきりしたのか、くるりと背中を向けて前を向く。

 やられた。単にあいつの精神安定剤()わりにされた。

 二年生の一学期、出席番号順の席順だった間、愛菜は全科目のテスト前、必ず椅子に横向きに座り、出そうなポイントを涼太に確認しながら(しゃべ)りたいだけ喋りまくった。

 あの頃、質問するのはいつも愛菜で、答えるのが涼太だった。


     〇 〇 〇


「桐岡、俺の何が悪いのか、正直に言ってくれ。」

 朝の通勤電車で愛菜と顔を合わせるのが、もう当たり前になっている。二人並んでつり(かわ)(つか)まると、()ぐに涼太は話を切り出した。

「何、急に。」愛菜は流石(さすが)面食(めんく)らっている。「何か悪い事でもしたの?」

「そうじゃない。そうじゃないが…。俺、この(とし)まで独身だろ。別にこれまで誰とも付き合えなかった(わけ)じゃない。二十代に何度か付き合ったけど、結局みんな別れた。三十を過ぎてからは、何だか付き合うのも面倒(めんどう)になって、それっきりこんな状態だ。」

 一つだけ(うそ)をついた。面倒になったんじゃない。憶病(おくびょう)になったんだ。

「ちょっと、そんな話、電車の中で大丈夫?」

 愛菜は不安気(ふあんげ)に周囲を見回す。

大丈夫(だいじょうぶ)、大声で話さなきゃ。(まわ)りの人は自分の携帯(けいたい)に夢中だ。他人の(わび)しい話になんか興味ない。それに、俺の元カノはみんな東京だ。こんな地方に知り合いは居ない。」

「霧河君が気にしないなら良いけど…。」

「三人。二十代の内に三人の女性と付き合った。最初は良い感じに付き合えているけど、何だろう…、必ず途中(とちゅう)で関係がギクシャクして、最後は別れる事になる。」

 車窓を見つめながら話す涼太の横顔を、愛菜は黙って見ている。

何故(なぜ)そうなるのか、いくつか理由を考えたんだが、これと言える決定的な結論が出ていないんだ。桐岡(きりおか)から見て、俺に何か欠けている所とかないか?」

「え~、そんな事言われても、特に思いつかないよ。普通な感じ。別に霧河(きりかわ)君を好きになる女の子がいてもおかしくないと思うし…。」

「欠けているんじゃなくて、何か生理的に受け付けない物があるのかも知れない。…(たと)えば、体臭(たいしゅう)とか。」

 電車の中なのもお(かま)いなしに、涼太の言葉に力がこもる。

「え、大丈夫でしょ。」

「変にねちっこいとか、しつこいとかないか?」

「そんな性格なの?見かけによらないのかな。」

 愛菜がクスクスと笑う。

「いや、そうじゃない。そうじゃないと自分では思うけど。…どっちかって言うと、淡泊(たんぱく)かな。そうだ、俺、あんまり二人で遊びに行く(よう)な所知らないから、二人で会っても、なんか街の中ぶらつく様な事が多かったし、そういうの、女性はつまらない人だと思うんじゃないか?」

「どうかな、人に()るんじゃない?女の子はね、本当に好きな相手となら、どこに行っても楽しいものなの。別に公園とか、街をぶらつくだけでも良いのよ。」

「そうなのか…、じゃ、単に本当は好かれていなかったって事なのか。」

「そんな事ないんじゃない。好きじゃなきゃ最初から二人で会わないでしょ。」

「そうかな…、じゃ、何だろう。俺と話してて、何か気にならないか?」

「え~、別にぃ。」愛菜は薄笑(うすわら)いを浮かべて、涼太の顔を見る。「ね、ちょっと、必死(ひっし)過ぎない?どうしてそんなに自分を変わり者にしたいかな。気にしなくて良いと思うよ。」

「ま、まあ、この(とし)今更(いまさら)生まれ変われるなんて(わけ)じゃない。もう手遅(ておく)れだけど。」

 ふと、涼太の頭の中に考えが浮かぶ。若い頃の恋愛から学んだ教訓(きょうくん)

「そうだ、こう言う事じゃないか?」(いきお)い込んで愛菜に(せま)る。「相手を好きになって、その思いを打ち明けるまでは勇気がいるし、それで、お互いの気持ちが通じれば(すご)(うれ)しい。…でも、段々(だんだん)それが普通になる。嫌いになった(わけ)じゃない、好きだ。でも最初の頃の(よう)な激しいトキメキは無い。俺は気持ちが表に出るタイプだと思う。最初の内は、俺から好きだという雰囲気が(あふ)れている。でも、段々薄れていく。前に言われた事が有る。『好き』なら、『好き』と口にしなければ相手に伝わらないって。」

 そう、好きと言わなければ伝わらない。

「だから、付き合い始めた後でも、意識して口にする(よう)にしていた。自分も相手の気持ちが気になるし。」

 分かっているつもりでも、言われていなければ不安になる。

「だけど段々ニュアンスが変わっていくんだ、きっと。」

 そして、言えば言う(ほど)(うそ)になる。

「だから…、だから、きっとそれを読み取られると言うか、(さと)られると言うか…」

「霧河君って、そんな熱し(やす)くて冷め易いタイプなんだ。」

「いや、そうじゃない。…そうじゃなくて、好きなのは、好きなんだ。好きなんだけど…」

「なんか、電車の中でそんなに好き好き言ってると恥ずかしいよ。私が好きって言われているみたい。」

 愛菜は口元を押さえてコロコロ笑う。

「あ、そ、そりゃ…」

 涼太は思わず、顔を()せる。

「…そうね。女の子って、いつも好きって言って欲しいのかも。」

 愛菜の言葉に顔を上げれば、彼女の視線は車窓を流れる景色に向いている。

「私もそれで失敗しちゃったかな。」

 彼女は涼太を見て、小さく(さみ)()な笑顔を作った。



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