15 電話
中学校の卒業式は粛々と進んで行く。体育館で一人ずつ卒業証書を校長から手渡されれば、晴れて自由の身だ。不良で有名だった奴が、派手に髪を金髪に染めてくる気持ちも何となく理解出来る。四月からは高校で、また校則に縛られる生活が待っているとしても、今、この何にも束縛されない瞬間を実感したいのだ。涼太も、何か一つの事をやり切った様な錯覚に捉われて浮足立っている。昇降口から校門までの並木道の脇に気の合う友達で輪を作り、春休みに何をして遊ぶか相談する。冗談が口をつく笑顔の仲間。この瞬間が至福の時だ。
ふと、視界に田中柊人の姿が映る。彼は、スポーツ推薦でサッカー有名私立高校に行くと聞いた。県内だが、A野市からは遠い。寮生活をするのかも知れない。もう簡単には会えなくなるだろう。幼なじみとして、せめて最後にエールを送ってあげたい。あいつと一緒に帰って、四月から行く高校の話なんか聞きながら、励ましてあげようか。
小走りで近付く女生徒。ショートカットの黒髪がつややかに太陽の光に輝いている。
「田中君。」
小さな声だったが、涼太にははっきりと愛菜が田中を呼ぶ声が聞こえた。それでも気付かない田中に追いつくと、愛菜が背中をつつく。漸く気付いて立ち止まった田中はその場で愛菜と言葉を交わす。追いつくまでは周囲を気にしていた愛菜だが、話し始めてしまえば二人の世界だ。そのまま並んで歩き始める。
なんだ、あの二人、付き合えていたのか。
愛菜から田中に告白したと告げられて以降、愛菜とは話す機会がめっきり減ったし、三年生の時は、田中とも、愛菜とも別のクラスだった。二人が一緒に居るところを見た事など無かったから、きっと告白したけれど上手くいかなかったのだろうと勝手に解釈していた。でも、そうじゃなかった。二人は、バレない様に用心しながら付き合っていたのに違いない。
体から力が抜ける。
何故そんなにショックを受けているのだ。そもそも自分は二人がこうなる様に仕向けたのじゃなかったのか。
涼太は、友達との会話を切り上げて、校門の外へ向かう。彼等が消えた方角を振り向けば、肩を並べて歩く二人の後ろ姿が小さく見える。涼太はその時初めて、あの時失ったものの存在と、その大きさと、これまでそんな事にも気付かずに呑気に学校生活を送っていた自分の馬鹿さ加減を思い知った。
〇 〇 〇
聖良は、話が終わるとそそくさと帰って行った。玄関先に置いていた自転車に跨って、挨拶もそこそこに夜の闇の中にその後ろ姿が消えた。
キッチンに戻り、すっかり生ぬるくなった缶ビールを口に運ぶ。指先が震える程、気が高ぶっている。聖良の勢いに圧されて、つい、あんな事を言ってしまった。もう突き進むしかない。どこまで愛菜に伝わるか分からないけれど、自分の気持ちをストレートにぶつけるだけだ。それで駄目なら、聖良には申し訳ないけれど、最初から自分には可能性が無かったって事だ。
スマートフォンを取り出して、メッセージを入力する。
〈花火大会の話、どうだろう?〉〈予定が無ければ、一緒に行かないか〉
今ならきっと自宅で夕食の準備をしながら、正に今急いで帰宅中の聖良を待っているだろう。着信音に気付いて、スマートフォンを操作する愛菜を想像する。自分のメッセージを見て、どんな顔をするのだろう。聖良の言っていた様に、やっぱり返信を躊躇うのだろうか。
つまみ、弁当を食べながら、ずっとスマートフォンを気にしていても、返信が来る気配は無い。既読スルーだ。このままSNSで呼び掛けていても埒が開かない。
決戦は明日だ。
何かすっきりしない、モヤモヤした気持ちを酔いで誤魔化したまま、涼太は浅い眠りに就いた。
朝、スマートフォンを確認して驚いた。
〈私じゃなく、会社の若い子を誘ってあげて下さい〉
返事が来ている。真夜中に返信している。きっと、このまま放っておいても、涼太が諦めそうにないと覚悟を決めて返信してきたのだ。親しみの感じられない言い回しが、気持ちを察してくれと告げている。
何だよ、それ。いつもの愛菜の軽快な明るさも、その場の空気を和ませる笑顔も、なんにも無いじゃないか。
涼太はパキパキ動いて出掛ける支度を始める。気合はいつもの十倍増しだ。昨日までと同じ時刻にバイクに跨り、駅を目指す。危ない、危ない。運転は冷静に。気合が空回りして、事故でも起こしたら、取り返しがつかない。
貸し駐車場にバイクを置いて、駅のホームに向かう。駅のホームはいつもの通勤客達でいっぱいだ。涼太は改札口に繋がる階段の前に仁王立ちして、ホームに出て来る群衆を睨む。涼太の様子に不審な眼を向けるサラリーマン、怪しんで目を逸らす女子高生。そんなもん、今は気にしない。
やっぱり、愛菜は来ないつもりだ。
いつもの電車がホームに滑り込んでくる。それでも涼太は動かない。じっと階段の前で、その先を睨んでいる。乗降を終えた電車が発車する。涼太は階段を登る。人の流れに逆らい改札口へと遡る。歩きながら、ポケットからスマートフォンを取り出す。愛菜のSNSをもう一度確認してから電話する。
出ない。次の電車は十分後だ。まだ、車を運転している最中かも知れない。
涼太は、改札口のすぐ傍まで来て立ち止まる。もう一度、電話する。長い呼び出し音の後、漸く繋がる。
「もしもし?」
愛菜の声は狼狽えている。
「愛菜、聞いてくれ。」
「涼太君?どうしたのこんな時間に…」
「良いから、聞いてくれ。違うんだ。そうじゃないんだ。」
「何?急に、何の事。」
「昨日の夜、メッセージ返してくれただろ。そうじゃない、誰でも良い訳じゃない。」
「涼太君、電車に乗ってる時間でしょ?」
「俺が一緒に行きたいのは、愛菜だけだ。愛菜だから誘ったんじゃないか。」
「私じゃない。きっと、もっと涼太君にお似合いの人がいるんだから。」
「お似合いって誰が決めるんだ。なぜ、愛菜じゃ駄目なんだ。」
人の流れに混じって、片手でスマートフォンを耳にあてながら、もう一方の手でICカードを機械にかざし、苦労して改札を通過する愛菜の姿が見える。まだ、彼女は涼太に気付いていない。
「私は、もう大きな子供もいる小母さんなんだから…」
近くまで来て、漸く目の前で立ちはだかる涼太に気付いて、愛菜はスマートフォンを耳元から離す。涼太もスマートフォンを持つ手を下ろす。
「どうしたの?会社に遅れない?」
涼太の目の前に来てまで、愛菜はそんな心配を口にする。涼太の脇をすり抜けようとする愛菜の腕を取って押し止める。
「会社より愛菜だ。」
「なぁに、それ。比べる…」
「なあ、聞いてくれ。」
涼太は、愛菜の腕を強く握る。一瞬ビクリとした愛菜は、大きく見開いた眼で涼太を見上げる。急ぎ足でホームに向かう人々が、涼太に冷たい視線を投げかけて通り過ぎて行く。
「俺、もう嫌なんだ。また誰かに愛菜を取られるのなんか御免だ。もう、そんな後悔はしたくない。」
愛菜は黙って涼太を見上げる。涼太は、愛菜の腕を掴んだまま、奥歯を噛み締める。
「…馬鹿。もうそんな人いないじゃない。」
愛菜は目を伏せて、ほんの少し、はにかんだ。




