14 丸型蛍光灯
「散らかってて、御免ね。今帰って来たばかりなもんで。上がって。」
言い訳しながら、先に立って聖良を案内する。まさか誰かを家に上げる事態など想像すらしていなかったから、そこら中、生活用品が散らかっている。涼太一人の生活では持て余すくらい家の中は広いから、使っていない畳の部屋もあるが、この蒸し暑さだ。物が散らかっていても、エアコンが効き始めた居間の方が良いだろうと思い直して案内する。
古い家の居間は六畳の畳敷きだ。重そうな座卓が部屋の中央を占めていて、角に置かれた埃まみれのテレビ台の上に液晶テレビが載っている。学芸会で使う天使の輪の様な丸形蛍光灯が上下に二本並んで付いた照明が、部屋の中央、木の天井から吊り下がり、その真ん中からスイッチの紐が黄ばんだ情けない姿で垂れ下がっている。
涼太は部屋の周囲を探し回って、いつもは使いもせずに隅に押しやっていた座布団を急いで引っ張り出し、座卓の前に据えて聖良に勧める。聖良は、その様子を部屋の入り口に立って見守っていたが、軽く会釈をして部屋に入り、座布団の上に長い足を窮屈そうに折り畳んできちんと正座する。居心地が悪いのか、尻をもぞもぞと動かしている。
「あ、今お茶淹れるね。あ、お茶で良いかな?紅茶とかの方が良い?」
「あの、お茶は結構です。」
慌てて台所に行こうとする涼太を聖良は引き留める。
「私の帰りが遅くなると、母が心配して騒ぎ出すので、あんまり長く居られません。良ければ、直ぐに霧河さんとお話したいんですが。」
強い口調だ。きっと、何かを決心してここに来たのだろう。涼太は、覚悟を決めて座卓を挟んで聖良と対座する。自分だけ胡坐をかくのは気が引けて、行儀よく正座して膝の上に両手を置く。勢い良くエアコンが動いているのに、脇の下から汗が滴る。
「よく、この場所がわかったね。」
「母から中学校時代の同級生だって教えてもらっていたので、母の中学校の時の名簿を探して住所を見ました。実家に戻られているってお話でしたから、きっと住所も同じだろうって思って。」
そうか。今時個人情報管理は厳しいが、涼太達が子供の頃は、連絡網とかクラスの名簿がみんなに配られて、住所や電話番号は開けっぴろげだったっけ。住所が分かれば、スマートフォンのアプリを使って、迷わず辿り着ける。
「その…、用事って何かな。」
言われる前から大体話の見当がつく。
「最近、母の様子が変なんです。」聖良は、座卓の上に視線を落としたまま、静かに話し始める。「それまでは、朝は凄い元気に動き回って、さっさと仕事に出掛けていたのに、このところ、何だか憂鬱そうにしてなかなか出て行かないし、夜、テレビを点けてるくせにスマホの画面とにらめっこして固まってるし、きっとなんかあったんだろうって思ったんです。」
聖良はここで言葉を切ると、それまで伏せていた視線を一瞬上げて、涼太の表情を確認する。涼太は覚悟を決めて黙っている。
「それで…、悪い事だとは思ったんです。でも、母が心配だから、一体何を見て固まってるんだろうって気になって、母の後ろを通る時に、スマホの画面を覗いてみたんです。」聖良が僅かに身を乗り出す。「霧河さんは、母をどう思っているんですか?」
聖良の視線が涼太を射抜いている。蛇に睨まれた蛙だ。逃げる場所などどこにもない。話の前後の繋がりが理解出来ないが、彼女の言いたい事は涼太の想像通りだ。要は、平穏に暮らしてた親子の間に割って入って来て波風を立てるなと言いたいのだ。
「そりゃ…、お互い、体裁なんか考えない素のままの自分を出していた頃からの知り合いだから、ほんとの意味で自分を理解してくれてる大事な人だよ。…君のお母さんが、家で俺の事をなんて言っているか知らないけど、俺は人付き合いが苦手な方なもんで…」
「それだけですか!」
涼太の言葉を遮り、聖良が声を上げる。驚いて、涼太は彼女を見返す。沈黙の中、二人の視線が交差する。
「聖良さんは…、お母さんを守りたいんだろ?」涼太は静かに言葉にする。「心配しなくて良い。自分の立場はわきまえているつもりだ。」
「何ですか、それ。霧河さんの立場って何ですか?」
「さっき言ったよね。愛菜さんは俺にとって大事な人だ。…それに、聖良さんはその大事な人の娘さんだ。だから、二人が幸せでいて欲しいと願っている。もしも…、もしもだけど、自分の望みと君達の幸せがぶつかり合ってしまうなら、俺は迷わず、君達の幸せを優先する。」
涼太は静かに聖良を見る。聖良の視線はまだ、鋭さをもって涼太を射抜いている。
「それって…、母を好きだって事ですか。」
ここで誤魔化してはいけない。それは不誠実だ。涼太は覚悟を決める。
「…そうだよ。」
聖良がもう一度、視線を座卓の上に落とす。こころなしか背中が丸まった様に見える。
きっと、これで良いんだ。聖良は、もう愛菜に連絡しないで欲しいと言うだろう。この子にそう言われなくても、消えかかっていた絆の様にも思える。これではっきりする。
「聖良さんはお父さん似だって聞いたよ。」
涼太は自分でも何故こんな事を言うつもりになったのか分からないまま、気持ちを言葉にする。聖良が、ふと視線を上げる。その眼は、まだ鋭く光っている。
「俺は、君のお父さん、…愛菜さんの旦那さんだった人を知らない。愛菜さんから昔の思い出話をどれだけ教えてもらったとしても、俺がどんなに知ろうと努力したとしても、到底越えられない物がそこにあるんだ。」
「…何言ってるんですか。」
目を伏せて、聖良が呟く。
「悔しいけど、思い知らされたよ。」
「…悔しいって言いましたね。」
「ん?」
「今、悔しいって言いましたよね。」
「ああ、…悔しいよ。」
聖良がやおら顔を上げると、視線を涼太に投げつけ、座卓に身を乗り出す。
「悔しいって、何が悔しいんですか。」
『何が』と言われても、直ぐには答えられない。
「霧河さんは、どうしたいんですか。母の事、好きなんですよね。」
「そうだよ、好きだよ。だから…」愛菜の中に自分の知らない人がいて、どう足掻いても勝負にならない事が「…悔しいんだ。」
「だったら、悔しいなんて言ってないで、もっとちゃんと母を引っ張って下さい!」
え?
きっと聖良の目には、阿保面した涼太が映っているに違いない。
「母が迷子になってしまわない様に、ちゃんと掴まえて下さい!」
「ちょっと待って、何を言っているんだい?」
「霧河さん、母を花火大会に誘ってますよね?」
彼女の視線には非難する色が濃くなる。
「…ああ。」
涼太は、いきなりな質問に戸惑う。
「私、見ちゃったんです。母がいつもいつも、スマホばっかり見つめているから、一体何を見ているんだろうって思って、母の後ろから覗き込んだら、それ、霧河さんとのSNSだったんです。それで…、楽しそうにしているのでもなく、何かメッセージをやり取りしている風でもなく、只々、画面とにらめっこしているから、なんだろうって思って、母がお風呂入っている時に、開いてみたんです。そしたら、何日も前の霧河さんからのメッセージのままになってて…。」
聖良は項垂れかけた自分の頭を無理矢理持ち上げて付け加える。
「だって、心配だったんです。なにか、母が辛い思いしているのなら、助けなきゃって。だから…。」
聖良の言葉はそこで途切れた。
「そうなんだ。」涼太は、視線を座卓の上に落とす。「愛菜さんにも君にも辛い思いさせちゃったんだ。」
「そうじゃないです。私、それ見て気付いちゃったんです。母は躊躇ってるんです。これ以上霧河さんに近付いて良いのだろうかって。きっと…、きっと、そうなんです。」
涼太は視線を聖良に戻す。彼女は変わらず、強い視線を彼に浴びせている。
「霧河さん、踏み出したのなら、途中で投げ出さずに、ちゃんと母をリードして下さい。」
それって…
「霧河さん、男を見せて下さい。」
そこまで言われちゃ、迷ってはいられない。この子にここまで言わせてしまう自分が情けない。
「分かったよ。…聖良さんがそれで良いなら、頑張ってみるよ。」
「絶対ですよ。」
世の中に絶対なんて無い。
「ああ、頑張るさ。」
それでも、絶対を信じて進むべき時がある。




