10 チケット
まだ、愛菜が田中に告白する前の事だ。中学校で同じ市内の別の中学校と、サッカー部の練習試合が休日に行なわれた。涼太は、前の週に田中から練習試合の話を聞いて、それなら応援してやろうと、朝からグラウンドにやって来た。来てみれば、涼太以外にも同じ様にサッカー部員に声を掛けられたであろう生徒達が、何人もグラウンド脇の土手の芝生の上に姿を見せている。それ以外にも、恐らくサッカー部員の家族、相手校の応援、学校関係者など、グラウンドを見下ろす土手の上は、涼太が想像している以上に人だかりになっている。
試合が始まった。涼太達、二年の同級生は、後半相手チームのサイドになるゴールネット近くの土手に、自然と集まって試合経過を見守る。どちらかのチームが攻勢に出るたびに、土手の芝生から喚声が湧き起こる。田中はミッドフィルダーで先発出場だ。大勢の女子が田中に注目していると感じるのは、人気者へのやっかみだろうか。熱い視線を送る女子達の熱気に気圧されて、男子は彼女達から少し離れて観戦する。試合が進むにつれ、応援にも熱が入る。涼太も、つい熱中して少しのチャンスやミスに一喜一憂して声が出る。
前半が終わってみれば、一対一。勝敗は、後半にどちらがチャンスをものにするかで決まる。
「ね、田中君の応援?」
ハーフタイムに肩を叩かれ振り向けば、愛菜が笑顔を見せている。最初に涼太がグラウンドに来た時には愛菜の姿は無かった。居れば必ず気付いた。きっと、遅れて来たのだろう。
「そう。相手は強いって田中は言ってたけど、うちのサッカー部も互角にやっているよな。」
「相手のツートップが凄いんだって。ディフェンスはそうでもないそうよ。」
「桐岡、詳しいな。」
「田中君に聞いた。」
愛菜はヘヘへと照れ笑いをする。
なんだ、二人は仲良しなのか。
中学二年の同級生は、全員集めても百人程度の学校だ。それが小学校から中学までずっとそのまま繰り上がって来たのだから、知り合いになっていて当然だ。なのに、何故そんな事でがっかりするのだろう。
愛菜は、そのまま涼太と並んで、後半戦を観戦する。味方がボールをゴール前に運ぶ度、女生徒の輪から大きな声が上がり、シュートが枠を外す度、大きなため息に変わる。同点のまま試合時間が過ぎて行き、残り僅かのタイミングで味方がコーナーキックを得る。もしかすると、これが最後のチャンスかも知れない。蹴られたボールが大きな弧を描いて、ゴール前へと飛んでいく。敵味方が入り乱れて、ボールに届けとジャンプする。誰かに当たって、零れたボールがグラウンドに落ちて弾む。走り込んで来た選手が一閃、足を振り抜くと、矢の様にスピードを増したボールがキーパーの指先を掠めて、ネットに突き刺さる。シュートを決めた田中がチームメートに祝福されている。土手の観客から歓声が上がる。女生徒達は大騒ぎだ。
「田中君、ナイスシュート!」
隣で愛菜が何度も跳び上がって叫んでいる。思わず、涼太も声を上げて拳を天に突き上げる。
「…やっぱり」一時の興奮が落ち着いた後、愛菜はグラウンドに田中の姿を追いながら呟く。「田中君ってカッコイイよね。」
彼女の頬は紅潮している。視線は只々、田中の動きを追っている。
「…そうだな。」
涼太も、ロスタイムが終わるまでの間、グラウンドを走り回って守備をする田中に視線を戻す。
試合後、田中が応援のお礼をしに同級生の所にやって来た。忽ち取り囲まれて、祝福の言葉が飛ぶ。彼は、それに一つ一つ礼を言う。祝福の言葉を口にする愛菜の目は輝いている。涼太も、一言彼にお祝いの言葉を掛けてから、そっとその輪を離れた。
〇 〇 〇
夕食に招待してもらった日から、ずっと考えていた。どうやってお礼をしよう。
余り重たくならずに、サラリと愛菜が受けてくれそうな、それでいて、感謝の気持ちが伝わる手段はないだろうか。レストランで食事?いやいや、それは重過ぎる。如何にも付き合っている男女の様で、そんな話をしたら簡単に断られてしまうだろう。それじゃあ、何か気の利いた物をプレゼント。それも駄目だ。形として残る物はやっぱり重たいし、食べて消費出来る様な物じゃ、どこかの旅行土産みたいだ。だったら、どうするか…。
ふと、アイデアが降りてきたのは、普段と変わらないある日の業務中の事だった。
「霧河さんも、良かったらお願いします。」
庶務の女の子が声を掛けながら、涼太のデスクの上のメールボックスにチラシを入れる。わざわざ声を掛けられた涼太は、息抜きがてらパソコンとにらめっこするのをやめて、メールボックスに置かれたチラシに手をのばす。
『みんなで、×〇トレティーナを応援しよう』
大きなロゴの見出しの下に、試合日程表が書かれている。
「これ、サッカーチームだよね。J2?」
「だと良いんですけどね。残念ながらJ3です。」
チラシを置いた庶務の子が話相手になってくれる。
「なんでわざわざこのチームを?」
「あれ、知りませんか?うちの会社、スポンサーなんですよ。」
「へー。でも、元の大宮の職場じゃあ、こんなチラシ見なかったな。」
「あっちは、もっとメジャーなクラブチームが幾つもあるから、チラシ刷っても人集まらないんじゃないですか?あ、そもそも、トレティーナのホームゲームじゃ遠過ぎますね。ここなら地元のクラブなので、ちょっとスタジアムまでの交通が不便ですけど、行けますよ。」
チラシには、チケット販売についても載っている。
あれ?愛菜の娘の聖良さんは、サッカーファンじゃなかったかな。愛菜に親子でのサッカー観戦をプレゼントしたら、喜んでもらえるだろうか。J1ならまだしも、J3の試合だ。興味もないのに、気を遣わせてしまうだろうか。
その日一日逡巡した挙句、迷っているより直接愛菜に訊いてみる事にした。
次の日の朝、電車の中で愛菜に会うと、早速涼太は話を切り出した。
「娘さん、サッカーの試合観に行く事が有るって言ってたよな。」
「うん、たまにね。この前の週末も友達と行ったみたい。」
「娘さん自身は、どこかのクラブチームを応援しているとかあるのか?」
「ほら、この前話した、Jリーガーファンの子と一緒に行ってるから、一応そのJリーガーが所属しているチームを応援しているんじゃないかな。…何?何でそんな事訊くの?」
「いや…、俺の勤めている会社が×〇トレティーナのスポンサーになっているのを知ってさ。もし良ければ、愛菜と娘さんの親子二人で観に行ってみないか?チケット、プレゼントするよ。」
「え?どこのチームだって?」
「×〇トレティーナ。」
「×〇トレティーナ?うん、分かった。聖良に訊いてみる。」
その朝はそれ以上、この話は進まなかった。次の日の朝、電車で会った時に早くも愛菜は答えを持って来た。
「いつ行くの?日にちが知りたいって。」
「そうか。ホームでの試合予定が幾つかあるんだ。その中ならば、きっとどこでもチケットが取れると思う。会社のチラシのコピーをSNSで送るよ。それ見て、都合の良い日程を返信してくれ。」
会社からチラシをスマートフォンで撮って愛菜に送ると、その日の夜には希望の試合がSNSで返って来た。
「日曜日の試合か。」
涼太は、チケットを二枚購入して愛菜に渡した。
明後日は観戦予定日という金曜日の朝になって、愛菜が電車の中で話し始めた。
「涼太君、日曜日、空いてない?」
「日曜日?」
涼太は頭の中で、自分の予定を一応思い出してみる。これと言って、休みの日の予定など無い。平日には買い物する時間がないから、日用品を買いに行こうと思っているくらいだ。土曜日もあるし、わざわざ日曜日にやるべき事も無い。
「いや、特に用事は無いけど。」
「ほんと?」愛菜は勢い込んで話す。「実はね。今度の日曜日、聖良が仕事になっちゃったのよ。ほら、サッカーのチケット貰ってたでしょ?あれに行けなくなっちゃって、どうしようって。代わりに涼太君行かない?」
どういう事だろう。チケットを返すから、涼太が一人で試合に行ってくれないかと言うのか。いや、チケットは二枚ある。涼太が誰かを誘って行ってくれないかと言うのか。
「行けないんじゃ、しょうがないな。良いよ、何とかする。」
「よかったぁ。」愛菜は如何にも嬉しそうな顔をする。「それじゃ、待ち合わせの時間決めましょ。」
「え?もしかして、愛菜と二人でか?」
思わず、思ったままが口をつく。
「あれ?嫌?」
「そうじゃない。」涼太は慌ててぶるぶると首を横に振る。「決して、嫌なんかじゃない。て言うか、…急だったもんで。」
「スタジアムまではどうやって行けば良いの?最寄り駅まで電車?」
「あ?ああ、俺も良く知らない。」何だか、落ち着かない。ざわつく胸を宥めながら涼太は話す。「ちょっと調べて連絡するよ。SNSで連絡とり合うので良いかな。」
「良いよ。それじゃ、連絡頂戴。…日曜日雨じゃないと良いね。」
「そうだな。…ちょっと怪しいかな。」
「サッカーって、雨でも試合やるんでしょ?」
「うん。そうなったら合羽を買って着よう。」
「じゃ、雨天決行ね。」
何故だか、愛菜は雨が降りそうなのを喜んでいる様に見えた。




