A《非公開情報1》は──
「私はサラさんの子じゃ、ないよ」
こちらからでは表情こそ窺い知れないものの、寝台に横臥する彼女の背中からは、言い知れぬ悲壮感がたたえられていた。
「………………………………………………そうなのか?」
「うん」と、彼女は何故か照れくさそうにして首肯した。「サラさんと私の間には、血の繋りが、ない」
「な、なんで急にそんなことを?」
話の流れみたいな物は確かに汲んでいるんだけれど、話題の重さからして、流石に唐突な感は否めない。
「タイミングがあったら言っておきたかったんだ」
隠し事って嘘ついているみたいで嫌だったし、と結んで、彼女は誤魔化すみたいに笑った。
「でも、サラさんのことは──お母さんのことは、本当の母親みたいに思っているよ。出生もわからないような、本来なら孤児院で天涯孤独に生涯を終えるような、私みたいな子供を義娘として育ててくれた──それこそ、恩人みたいな人なんだし」
「そ、そうか」
なんかちょっとホッとしたな。
今までお母さん呼びだったのが急に他人行儀になるんだもの──仲が悪いのかと思っちゃったぜ。
「実はまだ慣れないんだ。二年前……、孤児院に住んでいた時は、「お母さん」なんて見たこと無かったんだもの……。要するに、見よう見まねだね」
「見よう見まね……」
そうか、真実彼女がサラさんを母親と慕っていても、知らないものはどうしようもないものな。
そのへんの事情を差し引いたところで、彼女は二年前まで孤児院にいたということだし──悲しいけれど、彼女にとってそこに実感はないのかもしれない。
マリナはこちら側に寝返りを打ち、横たわった姿勢のまま、口の前に人差し指を持っていってこう言った。「私がこんなことを考えているなんて……お母さんには秘密だよ、ガルさん?」
「あ、ああ」
サラとマリナ。
外からは全くわからなかったが、両者の間には、存外に埋まらない溝があるらしかった──少し悲しくなったので──余計なのは承知の上だが──、一艘、助け舟を出す。
「アタシがマリナを助けた時──あの不審者から助けたと伝えた時……サラさんはメチャクチャ感謝してくれたんだぜ」
返事はなかった。
気まずい沈黙が両者に漂う。
「……だから、まあ、もう少し心を開いても良いと思うぜ」
やはりマリナは何も言わなかった。
マリナに話しかけて答えが帰ってこなかったのは、彼女の家でお相伴に預かって以来、確か二度目の出来事であった。
※
「んんっ……! あーよく寝た」
あんな話をした手前若干の後ろめたさを感じないでもないが、完膚なきまでの熟睡だった。
寝ぼけ眼を擦り、寝台を降りると朝の陽光が全身を撫でた──実に気持ちのいい朝である。
「お」
少し伸びをして、視界の端にサラさんの姿を認めると、アタシは鷹揚な所作と共に、おはよう、と端的な挨拶を済ませた。
「おはようございます。今日はよく寝ていましたね」
「今日も、さ。睡眠の質は人生の質だぜ?」
「まあ半分は寝てますしね。蓋し金言です」
「後半は寝たきりだったりしてな」
「……笑えないですねぇ」
「笑うしかないとも言える」
朝食の時間が来たのでマリナを揺り起こし、アタシたちは食堂に向かった。
その道程で、昨日アタシが見つけた、あの妙な部屋についてサラさんに質問した。
「って事があったんだよ」
「夜に忍び込んだんですか……?」
「あーーーーっ!! 肝試し楽しかったなぁーーーーっ!!!!」
あっ……ぶねーバレるところだったぜ。
完全に完璧に完膚なきまでにドラスティックと言えるくらい全てをパーフェクトに誤魔化せたから良かったものの……、こんなんじゃ先が思いやられるぜ。
「と、とにかくっ! 何か知っている事はないか?」
怪訝な表情でこそあるものの、サラさんはすぐその質問に答えてくれた。
「ちょっと前に造設されたんだと思います」
「造設? 部屋がか?」
「廊下が、です」
「? ど、どう言うことだよ」
曰く、もともとあの部屋は離れとして建てられたものであり、堂内からアクセス出来る設計ではなかったらしいのだが、つい最近「堂内から入れた方が便利だろ」みたいな理由で、半ば無理やり廊下で堂内と繋げられたのだそうだ──あの意味のない廊下はそう言うことらしい。
『廊下①→扉→廊下②→扉→部屋』という構造で、廊下②は「廊下①→扉→部屋」にすれば必要ないだろうと思っていたのだけれど、その目的が廊下①から目的地である部屋に至るまでの橋渡しであったなら、一応の得心は行く。
以前に廊下②の事を『何のためでもなさ過ぎる、目的を持たない廊下』と評したけれど、なんの事はない。
教会と離れとの橋渡し自体が目的であるならば、その廊下からさらに他の機能が展開される必要は無い訳である。
「なるほどなぁ」
「そんなに気になっていたんですか?」
「ああ、いや、なんとなく……な」
言われてみれば不思議である。
解説されてみれば言うほどに不気味と言う事もないし、解説されなかったとて、それほど気にするに値しない、日常にありふれている類の謎だった。
……それでも、それでも説明に腐心するなら。
苦しい理由だと思うのはわかるのだが、それでも言うならば。
あの部屋からは──嫌な予感が、するのだった。
※
「ここは〇〇の部屋です!」
「ここは□□の部屋です!」
「ここは☆☆の部屋です!」
昨日に引き続き入信希望者達と共に堂内の案内を受けるアタシであったが、相も変わらずあまり頭に入っていなかった──だからなんか目がチカチカするんだってば。
(………‥スパイの真似事なんて、土台向いてなかった訳だ)
ともすれば成金趣味と批判されかねないデザインの部屋を複数を巡り、いよいよ後半に差し掛かった頃、やけに地に足付いたデザインの、少し狭い部屋に通された。
「ここは……なんというか、部屋の出入りを管理する部屋です」
歯切れの悪い曖昧な説明である。
一体どう言う部屋なのだろうか──いや、部屋の出入りを管理する部屋なんだろうけれど。
「この教会は魔法研究にも力を入れており、その内の「透明になれる魔法」なんかは結構スタンダードなんですけれど、閉館作業で全ての扉に鍵を閉める際に、作業員が透明人間の姿を知覚出来ず、そのまま施錠を終えてしまい、堂内に人が閉じ込められる例が後をたたなかったのです」
その為に「部屋の出入りを管理する部屋」が出来た次第です、とこの部屋の紹介は結ばれた。
入信希望者の内一人が挙手しつつ、質問する。「どうやって出入りが管理されているんです?」
質問を受けて、昨日からの続投であるマルタが指パッチンで答えるに代えた。
「こうやって」
指パッチンの快音が狭い部屋に反響すると、部屋の四面にみっちりと数字が浮かび上がった。
『5』『6』『9』『2』『3』『10』……エトセトラエトセトラ。
「こ、これは?」
「各部屋に人が出入りした回数です」
人が出入りした回数?
それがどうさっきの話と繋がるのだろうか。
「この教会に存在する各部屋に備え付けられた扉の数は、部屋ごとに一つしか無いのです。二つ以上あれば成立しないのですけれど、一つしかない場合、人の出入りした回数が偶数の時は、部屋の中に人が閉じ込められるなんて現象は、原理的に存在しえないのです」
いかにもよくわからない、といった声色の青年が、その細い声で質問した。「なぜ偶数なんでしょう?」
「部屋に入る①→部屋から出る②→部屋に入る③→部屋から出る④→部屋に入る⑤→部屋から出る⑥→部屋に入る⑦→部屋から出る⑧→部屋に入る⑨→部屋から出る⑩……と、このように、偶数の時は確実に部屋から退出している時なのです」
「おお、なるほど」と、先刻の青年が感心ついでに質問を重ねた。「複数人が同時に入っても成立するのでしょうか?」
「します。あくまで扉の開閉した回数ではなく、部屋に人が出入りした回数ですから」
扉が開閉した回数で計れば、扉が開けっぱなしの場合に全く機能しなくなる──例えば入室のタイミングで扉を開けっぱなしにしておけば、人が出ようが出まいが、何人入ろうが入るまいが、数字は奇数のままになる訳だ。
しかし人が出入りした回数をカウントした場合、二人同時に入っても二回とカウント……「二回」カウントするじゃん!
二人同時に「入室」する時「偶数」になるなら、「偶数」の時は部屋から人が「退出」した時と言う理屈は通らなくなる!
ダメダメじゃねーかこの理屈!
「はい……ですので、余った部屋にこんな仕組みを作っておいてなんですが、一切使われないまま、この狭い部屋に放置されているのです……恥ずかしながら」
「じゃあなんでさっき成立しますとか言っちゃったんですか……」
「勢いで……」
「勢いかぁ……」
めちゃくちゃ情けなかった。
こんなマルタ見たくなかったぜ。
「まあでも、とりあえず紹介はしておきましょうか……今まで見て回った通り、この教会には全部で四十五部屋あるのですが……」
言いつつ、マルタは長い棒を巧みに使って、どの数字がどの部屋に対応しているか順次確認していった。
「コレは〇〇の部屋。コレは□□の部屋。コレは☆☆の部屋。コレは……」
そして最後の『2』という数字を長い棒が指し、アタシが「何か妙だ」と思ったタイミングで──
「キャアアアアアアア!!!!」
──女性の悲鳴が聞こえてきた。
※
「な、なんだ……?」
「何があったんだ……?」
各々が疑問を口にする中、次第に話題は「声はあっちから聞こえた!」「早く向かおう!」というものに移り変わっていった。
その論旨に従うが如く、集団は狭い部屋からゾロゾロと抜け出し、該当するであろう部屋に向かった。
「!」
現場は例の──『廊下①→扉→廊下②→扉→部屋』の構造を持つ部屋だった。
扉を開けて、その先の廊下②に第一発見者と思しき女性が尻餅をついて座り込んでおり、部屋の方を指差していた。
すぐさま保護し、指し示された方向を唯々諾々と視線を見遣ると──そこには、《非公開情報1》が横たわっていた。
冷たくなった《非公開情報1》が──否。
マリナが、
死体として、床に転がり込んでいた。
《非公開情報1》はマリナでした。消去法で《非公開情報2》はサラです。