負け犬
この世界は魔法の世界なので、我々の世界における科学技術みたいなものも、基本的に魔法で代替しています。
なんか臓器籤もどきみたいな話も出てくるけどそういうわけで容認してください……。
「え?」
聞き違いかと思った。
荒々しい口調に謎の既視感を感じたから、きっと知り合いが突如現れて唐突に口を挟んだに違いあるまいともおもったが、しかしここにいるのは、周囲を見晴るかす限りアタシとサラさんの二人だけのようだし、聞き違いなど到底起こり得なかった──到底。
そうは言っても、あまりにも「そう」とは考えづらい、粗野な言い回しだったのも、また、確かなのである……、こうなると既視感の正体を探ることにこそ意義を見出せそうな感はあるけれど……、しかし、
「…………」
ここに二人しかいない以上、候補は二人に絞られるわけで。
それも、アタシが言ったわけじゃないから、確定的に一人だけなのであって──既視感だどうだの前に、サラさんしかあり得ないのであって。
そんな、愚かしくも恥ずかしい、アタシの堂々巡りをアッサリ肯定するかの様に、サラさんはいとも普通に、容易く口汚い言葉を吐いた。
「アンタバカだよ、本ッッッ………………当に大馬鹿者だ。そんなこと──そんなことを泣きながら言っておいて、大丈夫な事なんてあるものかっ!!」
言われて初めて、頬を伝う涙の轍の感覚に気づく。
涙、涙涙涙、涙涙涙涙涙涙涙涙涙涙涙──涙。
意思に反して、とめどなく滔々と溢れる、滂沱の涙──乾いた水滴。
その渇きに、意識が追いついて、次第に濡れそぼっていく──実感を伴って、頬の水滴を知覚する。
「────っ!」
なんというか……意外だった。
もう少し自分は強い物だと、思っていたし、
もう少し自分は弱くないと、勘違いしていた。
途端に恥ずかしい気持ちになり、両の手の平で、顔を覆う。
恥、恥、恥、恥。
弱、弱、弱、弱。
アタシはさも──エクスキューズでもつけるみたいに、訥々と、聞かれもしない言い訳を述べ出した。
「い、いや──」サラさんから目を背け、まぶたを擦るアタシ。「コレは──違う、違くって──」
「何が違うものかっ! 泣きながらの絶好宣言なんて、本意に背いての発言に決まっているだろうっ!」
その通り──なの、か?
アタシは、他人に自分を許させてはいけないと、確かにそう思った筈じゃあ、なかったのか?
……言うまでもなくそうだったはずだ。
なら──それなら、何故。
何故先の発言が、アタシの本意から背いているということになるのだ?
わからなかった。
理解できなかった。
理解できなかったのに、他人であるサラさんは──何かを察してか、呆れ半分で──アッサリと答えを出すのだった。
「アンタは──恐れていたのさ」
「………………、…………え?」
恐れていた?
このアタシが?
何を?
「幸せを」
「………………………………」
それは、とても単純な答えだった。
幸せが──怖い。
それはとりもなおさずに、イコールで今更大切な人を作るのが怖い、という意味でもあるのだった。
大切な人を作る事で、かつてアタシが殺した大切な人たちの代わりに、自分を許して貰えんじゃないか──アタシを解放して貰えんじゃないか、と。
そう考えてしまう、自分自身の愚かしさをこそ、アタシは恐れたのだった。
サラさんとなんて、ほんの最近出会った程度の関係なのに。
少し優しくされた程度で、すぐに怖くなって、逃げ出して──自分から離そうとしてしまう。
そのくらい、アタシは「大切な人」を希求していた──誰かに許して貰いたかった。
要は……それが阻害されるのが本音のところでは嫌だったのだろう。
たとえ理想や理性がそれを強いたとて、本心に沿わないものであるならば、結局は意味なんてないのだから──だからある意味で、コレは当然とも言える話だった。
「どんなことがあったか知らないが、アンタ今、そういう顔しているぜ」
「はは……」と、少し笑うアタシ。「お見通しって訳かよ、サラさん」
「そうじゃない。そうじゃないから、是非聞かせてくれ」今一度踏み込んで、距離を詰めるサラさん。「一体、何があったのか」
「でも……アンタは所詮、他人じゃないか」
さっき言ったような事を、アタシは再度口にする──怖かったから。
でもサラさんは、そんな事なんてお構いなしに、果たして既視感のある口調で、半分怒ったように続けた。
「他人? 他人だと? ハッ! 笑わせる! 冗談としちゃあ上出来だがなぁ、娘の命の恩人が他人なら、一体誰が知人で友人なんだよ!」
「──」
アタシは、想像する。
もしも──、
もしもアタシが自分で殺してしまった、かわいそうな夫や息子たちを──彼等を助けてくれた人がいたとして、自分はその人の事を、果たして他人と呼ぶことができただろうか。
命の恩人を──他人と。
そんな恩知らずなんかことを、出来ただろうか。
「……………………」
きっと無理だろうと思った。
きっと、絶対に──、
無理なのだろうと、
そう確信した。
「仮にアンタが望まなくても、私には一才関係ない……知った事か! あれだけの事をしたんだ──大人しく他人でいてもらえると思うなよ!?」
「…………………………そいつは恐ろしいな」
恐ろしかったので、アタシは観念することにした。
するとなんだか肩の荷が降りたようで、不思議と心が軽くなった。
今まで背負っていたものが、或いは気負っていたものが、こんなにも重い荷物だった事を、アタシは改めて知覚した。
だけど──、
だけれど別に、話はここで終わるわけではなかった。
話を聞いてもらって、慰めてもらって。
そこでハイ終わり──と、そう言う展開になる事はなかった。
ともかく、いろいろあって──数日後。
アタシは見知らぬ豪邸に居た。
※
「あの、サラさん」
「なんでしょう?」
「……ここはどこですか?」
「アタシの実家です」
実家だった。
この豪邸はサラさんの家だった。
「な……、え? 実家? 実家というのはつまり、その………………………………実家?」
「実家です」
実家だった。
何度聞いてもこの豪邸はサラさんの家だった。
「……………………どういうことですか」
「そのまんまの意味ですよ」少しだけ気まずそうにはにかみつつ、サラさんは言う。「貴族の家系なので家には恵まれているんです」
「し、しかし──」
アンタが住んでいる家は、と言いかけて、結局その言葉を喉の最奥に嚥下した。
事態の理解を深めるには不可欠な質問な気がしたけれど……、しかし流石にその質問だけは、アタシをしてするのは躊躇われたのだ。
「………………えと」
「言わずとも分かります。ガルムードさんは、「貴族の出である人間がどうしてあんな普通の家に?」と思っているのでしょう」
「…………」
アタシは無言の内に首肯した。
沈黙が答えというやつである(?)。
「厭になってしまったんですよ。自分のことですら、自分一人では決められない生活には」
そういう彼女の横顔は言葉以上に深刻な印象を湛えていた。
……きっと色々あったのだろう。
そんな行間の出来事をうっすらと感じさせる表情に、アタシは少しだけ狼狽える──狼狽えていると、
「失礼します」
豪奢な金属で装飾された木のドアが内に開いた。
「ビルマ家嫡男、ザイン・ビルマ。ただいま馳せ参じまし……、た……………………あ?」
見覚えのある顔だった。
そしてそれは相手からも同様にそう映っているらしかった。
「む──「矛盾探偵」!? どうしてここにいる!」
入ってきたのは、昨日の昼間アタシを散々なじってくれた、あの名家の令息であった。
※
「こ──これはどういう事です! サラ・サルバノグ女史!」
名家の令息改めザイン・ビルマは、サラさんに向かってそう問い質した。
「ザイン」
「も、申し訳ありません」
いささか声を荒げてしまい、詰問のような雰囲気になってしまった事を、ザインは平身低頭謝罪した──昨日アタシをあんなに偉そうになじった、あのザインが。
昨日とのギャップもあり酷い違和感である。
アタシは呆然としてしまった。
「ザイン。貴方は昨日、ガルムードさんに失礼を働いたそうですね……。唐突に現れて、彼女の過去をあげつらった挙句、それを責め立てたとさえ聞きました」
「何のことでしょう。身に覚えがありませんね」間髪入れずに、とぼけ顔のザインはそう言った……あくまで誤魔化すつもりであるらしい彼は、抜け抜けと次のように続ける。「恐らく女史は人違いをしておられるのです。私は昨日一日中公務に身を窶しておりました故……」
サラさんは嘆息し、呆れたように言う。
「嘘はいけないと、昔教えた筈ですよね?」
「我々貴族以上にその言葉が無意味な人種もありませんけれど」
「ザイン」
名家の令息はなかなかの狸らしい。
こうも詰められていながら、受け流す姿勢を崩さない……ていうか、アレ?
その名家の令息を詰めているサラさんは、ひょっとして単なる素封家とか、そういう段階を遥かに超えているのではないか?
まあ貴族の出であるとは言っていたから、最初から素封家な訳はないのだけれど……、しかし貴族だとして、彼の家に伺うどころか自分の家に呼び出し、あまつさえ詰めようとしている彼女は、あの令息なんかよりも、遥かに家柄に恵まれているのではないか?
……明言されてこそいないものの、なんとなくその気配を感じとったアタシは、今までの自分の振る舞いに失礼があったかどうかが人知れず気になり出していた。
「何も制裁をしようと言っているのでは無いんですよ?」
「だから、何もやっていないんですって。私が信用なりませんか?」
「はぁ……」
どうも、二人は旧知の間柄らしい事が、薄ぼんやりとわかってきた。
それは先刻の「昔教えた筈ですよね?」と言う発言からも読み取れるし、何より掛け合いのテンポが嫌に小気味良い点からも、少なからず見えてくる部分だろう。
少なくともサラさん優位であるのは確かだったが……、アタシは少し、その関係性を言葉にして説明してほしい気持ちになった。
「あくまで言わないつもりなのですね?」
「何を言っているかわかりません」
「わかりました……いえ、わかった」
「?」
サラさんは例の既視感ある口調になった。
空気が一気に剣呑な物となる。
「お前が話したがらないのは……要するにリスクヘッジなのだろう? 自分の醜い本性で、家の評判を下げない為の」
「な──何を言って」
サラさんは貴族由来の整然とした所作を崩すと、足を組み、下卑た表情でこう言った。
「でももう大丈夫だ。お前は私の本性を知った──つまり、人質を得たわけだ……」三白眼で睨め上げて、彼女は言う。「……いろんな人間の弱みを握っているお前の事だ。どうせ今も、魔道具で録音しているのだろう?」
間断なくサラさんは言う。
「だからお前も本性を晒せ」
正面から相手してやろう、と挑発するような事を言うと、サラさんはザインに正対した。
「…………………………」
ザインは答えない。
答えないかと思うと、「くくく……」「アハハハハ……」「ハーッハッハッハ!」などと、悪役みたいな哄笑を上げた。
そして言う。
「まさかこんな機会が訪れようとはねェ……感謝するよオバさん。一度アンタに失礼働きたいと思ってたんだ」
「…………そう来なくっちゃな」
サラさんは額に青筋を立てつつ、
「侃侃諤諤罵ー言セールだ! かかって来い!」
良くわからない事を言って口撃を始めた。
※
「天下一……ならぬ口喧嘩一武道会というわけか」
「何言ってんだ?」
「アンタだけはハシゴを外すなよ」
似たような事言ってただろうがよ、ザイン相手に。
「……ともかく、コレでおまえを制限するものは無くなった……本当のことを本音から話せ、ザイン。この私が、その悉くを一蹴してやる」大見得を切る彼女は言う。「お前はサラさんに対して何と言ったんだっけか?」
それに対し、特に逡巡があった風も無く、
「負け犬」
とザインは短く答えた。
「負け犬なんだよ、負け犬。そこに座っている間抜けは敗北者なんだ」
「何を以って」
「最愛の人間を、直接間接問わず殺している辺りさ」
「直接、というのは、自身の夫を殺したという──」
「わかってるじゃねぇか」
サラさんは少し溜めて、
「──彼女の思い込みの事を言っているのか?」
と言った。
「………………思い込み?」胡乱な表情をするザインだったが、すぐ反駁を試みる。「何を言っているんだ? 僕の家が擁する捜査機関は優秀なんだよ? 間違いなんてあろうはずもない」
「あったんだよ、間違いが。調査結果に致命的な瑕疵が」
「何が──」
「聞いたな? ならば答えよう」莞爾と笑いつつ、サラさんは言う。「ガルムードさんが被害を受けた『臓腑あみだくじ』のローカルルールについて、お前は一つ、致命的な勘違いしているんだ」
「勘違い」
アタシが言った。
思い当たる節が無かったのである。
「そう──勘違い。昨日アンタに詳細を教えてもらって気づいたが、ガルムードさん。アンタ少し自罰的にものを考えすぎている」
「な、何を──」
言っているんだ。
本当に思い当たる節がない。
急におかしくなってしまったのだろうか。
「アンタは昨日。ザインが語った事と自分が体験した事を合わせて説明してくれたな。「説明する上で矛盾するから言うけれど……、まあ二人を死なせてしまったという結果は同じだ。あの令息は何も間違った事を言っていない」なんて、敵をフォローするみたいな事を言いながら」
ここまで聞いて、ようやくアタシは、サラさんが何を言いたいのか理解する。
そう、結果だけを見るなら、ザイン何一つは間違ってなどいなかったのだ。
確かにアタシは夫を殺したし、夫はアタシに殺されている……、だから強いていうならば、違っていたのは過程だけだったのだ。
「ザイン、お前は──『臓腑あみだくじ』にガルムードさんが選ばれた事を知り、その上でそのローカルルールとやらを調べ、同時期に夫を亡くしている事を合わせて考えて、ガルムードさんが夫を殺していると結論付けたみたいだがな……、例の暗君はその時だけ、ローカルルールに遊びを加えていたんだよ」
「…………遊び?」コレはザインの台詞。動揺した彼は続ける。「何のことだ……、何が違っていたというんだよ」
「だからルールの内容だよ。ガルムードさんを犠牲者として選んだ暗君は、いい加減同じ内容で人民を痛ぶるのに飽いていたんだ……、通常のローカルルールは、「死後すべての臓器を提供するドナー、という体の役を家族内で押し付けることが可能であり、押し付けられた側に選択権は無く、押し付けられた瞬間斬首が確定する」みたいなものだったと思うが……、ガルムードさんの時は──」
少し劇的に、大仰に言う。
「──ガルムードさん自身に「臓器提供を待つ患者」という体の役が振られて、家族の中──つまり、夫と子供のどちらからか、一分以内に「確実に死んで臓器を提供するドナー」の役を選ばなければならなかった。……もちろん、誰も選ばなければ、夫と息子が両方死ぬという条件付きで」
ザインは正しく驚愕という表情をした。
大きく目を見開き、三白眼を飛び越して四白眼で、アタシの方を窺っていた。
当のアタシとしては、そんな事なんて歯牙にも掛けずに、当時のことを思い出していたのだが……、いや、勘違いしてほしくないのは、思い出したとは言っても、アタシはこの事を一度として忘れた事がないという事なのだ。
夫が死んで以来、一度として。
この情景の再生を止めることはなかった。
毎晩夢に見た。
それを改めて悔い改める為に、アタシは委細克明な記憶を呼び起こす。
とっくに知っているけれど、あえて知らないふりをして言うなら──確か、こういう話だった。
『開始』
計測係がカウントダウンを始めた。
残り一分。
その間にアタシは、夫と子供のうちどちらを助けるか決めなくてはならない。
どうすればいいのかわからなくなって……、どういう感情でいれば正しいのかわからなくて……、一周してアタシの口元は歪に持ち上がっていた。
とはいえもちろん嬉しいわけでなく、上に歪んだり下に軋んだり、涙が出たり鼻水が出たりで……、めまぐるしく感情は不定だった。
──とにかく媚びへつらわなくては。
その時のアタシはそう思い、大上段に構えてコチラを眺める、かの暗君に阿諛追従した。
『アンタは……多分、醜いものが見たいんだよな?』
『まあな』
王は端的に答えた。
『ならアタシを殺せッ!! 必ずアンタが気にいるような悲鳴をあげてみせる……だからッ!!』
『知らん、お前は助かるんだ。助かる以外の選択肢は無いんだ』
『……ッ! 貴様ァアアッ!』
こんなやりとりの間にも、冷酷に時計は時間を刻む……、計測係は残り時間が四十秒である事を冷酷に知らせた。
『…………………………………………ッ!』
どっちを選んでも何も選ばなかった時よりはマシな結果自体は残る。
しかし本音としては誰も失いたくない。
誰も失いたくないのなら犠牲者は少ない方がいいに決まっているのだし、どちらかでも助ける人間を決めてしまうべきだ。
だから──、
いや……決まっているからなんだというのだ。
選ばなかった方は死んでもいいとでも言うのか。
そもそも助けるってなんだ。
普通だったら二人とも生きて行けたはずなんだ。
要するにアタシは、助けるのでは無く殺す方の人間を決めるのだ。
アタシが助けるわけじゃないんだ。
アタシが自ら、手ずから殺すのだ。
『残り三十秒』
夫を殺すか?
暗闇にあったアタシの人生に一条の光として差し込み、暗がりに暖かさと心地よい明るさを与えてくれた……、あの人を?
……そんなのは無理だ。
『残り二十秒』
ならば息子を殺すか?
愛おしさのあまり、生まれた瞬間から、全てにおいて優先してこの子を守ろうと決意した、何にも替え難い……、その息子を?
……やはり無理だ。
『残り十秒』
『くそ……っ!』
『ガルムード』
台詞の主は夫だった。
『な、何……?』
『オレを選べ』
『!? はぁ!? そんな事出来ないわよ!?』
『頼む……何もわかっていないアイツを殺すよりはマシなはずだろう、オレを選んでくれ』
夫が指差した息子は、何もわからずに泣きつづけていた。
『残り五秒』
選択と時間に迫られて、アタシは極度に混乱した。
彼の言う判断の通りにしてそれで正しいのか間違っているのか。
……それを確かめるべくして、
『で、でも! そうしたらアンタが! アンタは生きたくはないの!? ここで死んで後悔はないのッ!? アタシなんかと結婚して──────』
アンタはそれで幸せだったの!? と聞いた。
『残り二秒』
その瞬間、夫は何も言う事はなく──
『ねぇ!?』
──幸せそうにニッコリと笑い、その表情で答えるに代えた。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!』
その表情から偽りは読み取れなかった。
普段なら望ましい答えのはずなのに、それに対して嬉しいとは決して思えなかった。
息子は相変わらず泣いていた。
こんな所で死にたくはないといった風だった。
だけど──、
彼はとても幸せそうだった。
だから仕方なく殺した。
※
「で?」
令息はその一言で断罪した。
キッパリハッキリと、アタシに同情する事なくそう言った──言って、
「……よくよく考えたら、そもそもコイツがその夫とやらと出会わなければ良かっただけの話だよね? そうすれば最初っからこんな悲劇はなかったし、最愛の人と出会った時点で不幸が確定していた「矛盾探偵」が、負け犬であることに違いは無いよね?」
と続けた。
それに対しアタシは、
「そうだ」
と、短く首肯した。
「アタシが夫と出会わなければ、そもそも夫は死ななかった。息子だってそうだ。アタシの所に生まれてさえこなければ、こんな不幸な目に遭うことは無かったし、土台死ぬ事もなかった」
振り返りたくも無い半生を振り返り、頭の中がガンガンと響いた。
それはさながら弔鐘のようで──、むしろこの場には相応しいのではないかとさえ、アタシは考えた。
「くくく……」
嫌に嬉しそうな表情を浮かべ、令息は言った。
「情けね〜! やっぱり負け犬だ、負け犬! ギャハハハハハ!」
令息の哄笑が脳内で谺する。
やはり反論の余地などなかったのだ。
後悔が止めどなく乱反射する。
滔々と自責の念が堂々巡りする。
「最初から、アイツと」
心の底から、
「出会わなければ──良かった」
と、思った。
「それはきっとその通りなのだろうな」
即座にサラさんが肯定した。
予想外の角度からの攻撃に少しだけ固定されていた均衡が崩される。
返す刀で、
「私だってもし夫と出会っていなければという空想をせずにはいられない」
とも言った。
「あんた、まさか……」
その先の言葉は発音する事なく嚥下した。
……聞くまでもなく想像だに余りあるからだ。
思い返してみたら、サラさんとマリナと何度か会った事はあれど、一度だって夫に当たる人に会った覚えがない。
それに加えて先ほどのサラさんの述懐の事も併せて考えると、サラさんも夫を失った経験があるらしい事が伺える。
その証拠に彼女は、
「ああ」と、先刻アタシが発音しなかった質問に答えつつ。「だからなのかはわからないが……私は貴女に、共感せずにはいられない」
と、憂鬱さを湛えた表情で話を短く結ぶのだった。
……ようやく理解できた。
さっきからサラさんの口調に既視感があるとは思っていたが……、その話を含めて考えると、きっとこの既視感は、口調だけにとどまるものじゃない。
要するにサラさんは、アタシに似ていたのだった。
夫を亡くしていることと、その荒んだ口調と。
マリナが健在である事を除けば、サラさんはもろアタシなのだった。
そのサラさんがアタシに言う。
「ガルムードさん。私たちは未来永劫、彼等との出会いを後悔し続けることだろう。なにせ出会いさえしなければ、そもそもこんな不幸はなかったのだから。……賢しらにそれらしい理屈を弄した所で、コレばかりは変わらない真実だと思う」
天を仰ぎつつサラさんは言う。
私はうなづいてそれに首肯した。
「そしてその事実が、私たちを「負け犬」足らしめている訳なのだが……、しかしそもそも、「負け犬」とは汚名ではない。負けている時点で、敗北している時点で、それは「困難に抗った」という事実を指し示すのだ。逆に、大前提である「困難に抗う」こと……、つまり、「勝負」が無ければ、負け犬を負け犬足らしめる敗北も、まして勝利などあるはずもない。「勝負」から逃げ出した奴に「勝敗」は無いのだ。……その意味で、我々は正しく負け犬だった。単に現実から逃げただけの卑怯者に言われるような、間違った負け犬ではなく、真に現実と戦い、そして敗北した、本当の負け犬だった。だから我々は「負け犬」ではあっても──決して「卑怯者」ではなかった」
もうわかるだろう? 「負け犬」とは汚名ではなく、困難に立ち向かう「戦士」の名だ。
そう言って、サラさんはアタシの手を握った。
「だから──そう自分を恥じるものでもないんだよ」
その台詞には、どこかサラさん自身に言い聞かせるような響きがあった。
サラさんもきっと、アタシを自分と同一視しているのだろう。
「アタシは……」と、小さな声で言う。「その意味で言うなら、どちらかと言えば「卑怯者」の方だよ」
「何故そう思うんだ? 目的は叶えられずとも、貴女が戦った事実に変わりはない」全くわからない、という表情で、サラさんはアタシを詰問した。「一体何を以って、自分を「卑怯者」だと言っているんだ?」
「アタシは息子から逃げた」
「それは確かに」
サラさんは思いの外すぐに引いた。
「だが、逃げ続けなかった。一度は逃げてしまった息子相手に、再び会いに行こうと試みた」
「死んでいたけどな」と、久しく蚊帳の外だったザインが半畳を入れた。「その勇気は遅すぎた」
「負け犬に対して何を今更」
そうでなくては負け犬足り得ない。
そう言って、サラさんは短く反駁した。
「それに、お前はどうなんだ? 負け犬じゃ──」
「ない」
「──のは当然として、ひょっとして「勝ち組」のつもりでいるのか?」
「はぁ?」と、ザインは素っ頓狂な声を出した。「この貴族たる僕が「勝ち組」じゃないと?」
「ない」
即座に否定すると、サラさんはザインの間違いを喝破した。
「お前、人生の中で一度として、何かを真剣に取り組んだ事がないだろう」
「──」
ザインは何も言わなかった。
「答えないんだな。 それとも答えられないのか?」
「そ、それくらいの経験……とっくに僕は体験している」
「そんな経験をした奴ってのは、総じて真剣に人生に向き合った、ガルムードさんみたいな人間を笑えないのさ」
だが、お前は笑った。
そう言うと、サラさんはザインとの距離を詰めた。
そして激昂する。
「舐めてんじゃねぇぞクソガキッ! ガルムードさんを笑ったお前は、「勝ち組」とか「負け犬」のような、「勝ち負け」のステージにすら立てていないッ! そもそも根本から甘ェんだよこのクソガキがッ! 「勝負」すらした事のないケツの青いガキが、その先の「勝ち組」を騙るんじゃねぇッ!!」
「あ──、う──」
ザインは何も言えない様子だった。
サラさんはそれに構わず、更なる追撃を加える。
「大馬鹿者が……いや、むしろそれすら超えてドラスティックバカがッ!! お前のような奴が勝ち組を名乗りたければ、ここにいる負け犬のように、一度でも真剣勝負に負けてからにしやがれ!」
「──あぁ」
消え入るような声を上げると、ザインは腰が砕けたのか、その場にへたり込んでしまった。
その双眸は虚であり、どこを見るともなくただ上を向いていた──それに倣う訳ではないが、アタシも少し呆然とする。
「ガルムードさん」
「……」
アタシは夫や息子を殺してしまった罪を他人に任せたくなかった。
自分の罪は自分のものだから、と。
その責任について、許すも許さないも自分一人で決めるつもりでいた。
しかしアタシは許せなかった。
自分の所業はそれほどまでに愚かしかったのだ。
だから一生許せないままだと思っていた。
許してはいけないと、そう思っていた。
だけど──。
だけどアタシは、アタシによく似たサラさんに出会った。
話が進むにつれサラさんと自分との境界が緩くなり、自分がサラさんで、サラさんが自分なのではないかと、一瞬勘違いするほどだった。
その彼女が──つまり自分が、アタシを許さないままに許して、アタシを否定する人間を否定した。
許すにしても、自分以外に自分を許させてはいけないと思っていたアタシは、サラさんと出会う事で、たった今、夫と息子を失って以来初めて、自分を肯定することに、成功したのだ。
アタシは今にも泣きそうになっていた。
「サラ──さん」
呼びかけると、サラさんはニッコリと微笑んで、「構わないよ」と言い、両手を広げた。
「──っ!」
アタシは迷わずサラさんに抱きついて、
「うわああああああああああああああああああっ!!!!」
と、今まで我慢してきた分、一斉に涙を流した。
涙で服が濡れるのにも構わず、サラさんはアタシを優しく抱き返した。
「サラさん」と、アタシはサラさんに呼びかけた。「ごめんなさい」
「いいさ」
サラさんは許してくれた。
「ガルムードさん」と、サラさんはアタシに呼びかけた。「ごめんなさい」
「構わないよ」
アタシはそれを許してあげた。
※
ザインを言い負かして満足したらしいサラさんは、帰路についてしばらくすると、
「まあ、ガルムードさんが自分の責任を幻視していたからああ言う話をしただけで、本来責任を問われるべきは『臓腑おみくじ』を考えたダグルマンなんだけどな」
と、言った。
アタシは唖然としてしまった。
その通り過ぎる。
何故今まで気がつかなかったんだ。
「強過ぎる自責は真実を捻じ曲げるのさ。……まあ、他責思考による他者への責任転嫁はあれど、自責思考による自己への責任転嫁というのは、流石に想像しなかったけれどな」
サラさんはぐっ、と胸を張りつつ、腰に手を当てて天を仰いだ。
「良い加減アンタも過去から解放されてくれたかな?」
「ええ!」
答えたのはザインだった。
アタシは目を剥いて驚く。
「お前……っ! 何しに来やがった!」
「何って、感謝を伝えにですよ! ガルムードさんとサラ女史のおかげで、僕も目を覚ます事ができました!」
そう言う彼の顔からは、以前のコチラをコケにするような、シニシズムをたたえた表情は完全に失われていた──思わずあっけに取られていると、彼はコチラに正対し、実に綺麗なフォームで、唐突に頭を下げた。
「ガルムードさん……今まで僕がおかけしてしまった数々の非礼、心よりお詫び申し上げます。本当の本当に、申し訳ありませんでしたっ!」
「お、おう」
思わず面食らって、その後に「別に良いよ」と続けてしまった。
今からでも前言撤回出来ないだろうか。
……ちょっとやりづらい雰囲気である。
「遠慮ならさないでくださいっ! 僕なんか所詮は勝ち組とは程遠い、単なるお金持ちですのでっ! いやホント、慚愧に耐えませんっ! 庶民の皆々様とは比較にならない富がある程度でお調子に乗るのは完全なる間違いでしたっ!」
あ、コイツあんまり変わってないな。
安心したぜ。
「おら」
「いて」と、急に頭を叩かれたザインは驚いて言った。「な、何でしょう?」
「いいや?」
韜晦するようにアタシは言う。
「みんなバカなんだなと思って」
見上げると空は青かった。
未熟者の色だなと思った。