殺人探偵
この世界は魔法の世界なので、我々の世界における科学技術みたいなものも、基本的に魔法で代替しています。
なんか臓器籤もどきみたいな話も出てくるけどそういうわけで容認してください……。
彼はとても幸せそうだった。
だから仕方なく殺した。
※
あの日アタシ達は、「青空の密室」を一部解決して、そして一部を迷宮入りさせた。
この事実は事実として、真実存在するんだけれど……、しかし巷間で拡散されているのは、その内半分だけであった。
それは、迷宮入り──した方じゃなく。
光り輝く残りのもう半分。
解決した一部の方だけが、広く拡散されてしまっていた。
娯楽の少ない、慢性的な刺激不足が続くこの町で、うっかりアタシは、劇的な登場を果たしてしまった訳である──ついたあだ名は「矛盾探偵」。
解決した事件が"密室"なのに"室外"の事件だった──、と言うのが、その名前の由来なんだけれど、思いの外真実に肉薄したネーミングで、流石に皮肉な感はあった。
……このアタシの、矛盾した推理についてもさることながら。
事件の半分は迷宮入りさせている癖に、名探偵的な栄誉ある扱いを受けている現状について、特に正鵠を射ている表現だった──けだし良い名付けなのかも知れない。
ともあれアタシは、虚実入り混じる「名探偵」の称号を手に入れた訳で──分不相応というのもあり──思いの外窮屈な立場になった次第だが……、真実厄介だったのは、寧ろ、真実を知っている人間の方であった。
「負け犬が」
背中から聞こえてきたその唐突な台詞に、アタシは耳を疑った。
確かにアタシはあの事件を完璧な解決へと導くことが出来なかった。
だけれど、赤の他人から急にそんな事を言われる謂れはないし、失礼がどうだとか言う前に、普通に意味がわからなかった。
脈絡っつーか、文脈っつーか。
讒言を吐きかけるにしたって、汲むべき流れというのも、やはりあるべきだと、アタシは思うのだ。
……とにもかくにも、喧嘩を売ってきたという事は、取りも直さずに喧嘩をしたいという事なのだろう。
踵を返し、強い瞳で射る。
そして、
「なんだよ、なんか用?」と短く応える。「喧嘩なら買い取りしてやるけれど」
「生憎と非売品さ」
喧嘩を売ったつもりはないよ、と結んで、先刻の台詞の主は、アタシをニヤニヤと視姦した。
「………………」
不躾な視線を、しかしアタシは普通に受け入れた。
……ぶっちゃけた話ではあるんだが、確かにアタシも、今の英雄的な扱いは、思う所があるのである。
「お前も、アタシが気に食わない、って輩かね」穏やかな声を意識する。「割といるんだよな。気持ちもわかるから、否定はしないけれど」
「僕はそんな下らないヤツじゃ無いよ。ただ、攻撃出来そうな人間がいたら、なるだけ貶しておきたいだけさ。気持ち良いからね」
下らないヤツだった。
酷い上昇志向である。
「………………悪いが、お前みたいなのに関わってる暇はないんでね」
あんまりカスみたいな発言をするものだから、アタシは小さく嘆息して、そのまま一瞥もくれずに立ち去ろうした──その時、
「アンタ、二年前に自分の夫を殺しているよな?」
背中にそんなセリフが吐きかけられた。
「……………………どう、し「て知っているのかって? 簡単な話だよ」
あたしが言いきるのも待たずに、この気に食わない男は「というか寧ろ聞いてくれよ」と前置きして、縷々として経緯を語った。
「僕さ、名家の生まれっていうのもあって、産まれついての勝ち組だから、何にもしなくたって、物事がぜーんぶ上首尾に運んじゃうんだけれど……、それがたまらなく退屈でね。いい加減、何か暇つぶし出来るものが欲しかったんだ。それも、リスクを負うようなものではなく、出来ればこっちが正義の立場で、一方的に相手を断罪出来るようなエンタメが、特に欲しかった。……そんなことを考えていた時、耳寄りな情報が僕の下に転がってきた──「矛盾探偵」の過去。……僕としても──いくら我が家の擁する独自の捜査機関がわざわざ手に入れて来てくれた情報とはいえ──単なる一個人の過去に興味なんてないのだがね、それが現在巷を賑わせている時の人だというなら、話は別だった。だってそうだろう? 立場のある人間ほど、都合の悪い真実が露見した際の落差は、想像を絶して激しいのだから。それでアンタは、運悪く僕の娯楽として、格好の的になった訳だね。……しかも、その内容が酷いのなんのって。いやさまさかの「殺し」だって? え? しかもただの殺しじゃなくって、ヤったのは自分の夫だって? そんな馬鹿な話があるものか、あったとして「矛盾」しているね。そんな奴に、人を上から断罪する権利は無い。どころか寧ろ、裁きにあうべきは「探偵」自身だ。……だから裁く。この僕が、陽に開く僕が、正義の名の下、手ずからアンタを断罪する」
「要するに、暇つぶしに付き合え──と?」
「イグザクトリー!」
酷い話だった。
奴はきっと、先述していた独自の捜査機関とやらを悪用して、今みたいにアタシに限らず、各界のお歴々や成金を脅して回っているのだろう──趣味の悪い奴がいたものだ。
アタシに限って言えば「街の名探偵」なんてレッテルは迷惑この上ないし、だから剥がされた所で、一向に構いやしないんだけれども……、しかしだからといって、「二年前の事」についてもそうかと訊かれれば、流石に「NO」と答えざるを得なかった──あの傷跡を、アタシは誰にも共有するつもりはない。
「……望みはなんだ」不承不承と、アタシは奴の脅しに屈した。「出来る限り従おう」
「? 望みなんてなんてないよ。実情が伴っていない癖に世間でチヤホヤされているヤツが気に食わないというだけさ」
当然じゃん、という顔だった。
「………………死ねよ」
「死ぬべきは僕じゃない。自分でも分かっているんじゃないの? アンタは二年前、夫の代わりに死んでおくべきだったんだ」
「──」
首肯も否定も出来なかった。
その事についてアタシは、結論を未だ出せていない──ともすれば怖気がするくらい、直視に耐えない事実だった。
だって、だってアタシは──、
「──アンタは、一定の仕方ない要素は含んでいるものの、到底許されない行為をしたわけだが……」嘲るような笑顔で、名家の令息は続けた。「それでも、自分が正しいと言い張るかい? 自分は悪い事をしていないと、主張するのかい?」
そんな事は一言も言ってないのに、令息はなじるような言い回しでそう言った。
そんな事は、本当に一度も言っていないのに──いやな笑顔で、こう続けた。
「なら仕方ないなぁ、親切なこの僕が、手ずからアンタのやった非道を説明してあげよう」
果たして令息は、アタシの意見を聞くこともなく、「あのこと」について語り出した。
※
「アンタはほんの数年前まで、名君の統治下にある国で、安穏と日々を暮らしていた。夫と息子の三人家族、それはそれは、とても幸せな家庭だったと聞く。……ところが、当時二十七だった王は、若くして夭逝してしまった。彼の死に国民は悲嘆に暮れたが、国の統治者が居ない状態を、そう長く続けるわけにもいかない。その為、急遽代わりに立てられたのが、かの悪名高き暗君、ダグルマンだったという訳だ。……ご存知の通り、コレがまた──究極にオブラートに包むと──ドラスティックな王様でね。即位するなり、先代の王寄りだった人間の首を全て跳ねて、急速に「ダグルマンの治世に都合の良い状態」を作り上げた。……換言するなら、ダグルマンが好き勝手できる土壌を、作り上げた」
名家の令息は、アタシの記憶をいやらしくなぞるように、一息にここまで言い切った。
それに対して、アタシは何も言わなかった。
話は続く。
「そこから始まったのは、ダグルマンによる、恣意的な道楽政治だった──今まではなりを潜めていた彼の本性が、即位する事で、あっという間に露見していったんだ。……思考実験って知ってるかな? 『轢殺二者択一』『咎人の葛藤』『臓腑あみだくじ』──等々。彼がやったのはソレだった。ランダムに選ばれた国民が、ダグルマンの選出した思考実験に合わせて、残酷な選択を迫られる。それを見てダグルマンは愉悦に浸る。そういう遊びを、彼は嬉々としてやり出した。……実際、それは殆ど、災害みたいなものだったし、アンタをして、正常性バイアスがかかって、無関係に思っていたんだろうが……、事実その時は、なんの前触れもなく、やってきた。戸を叩く音──アンタはすぐに出て、そして突きつけられる。「王の命により、貴方は『二階級特進』に選ばれました」──悪趣味だよなぁ、犠牲者を二階級特進と言い換えるなよ」
アタシは何も言わなかった。
話は続く。
「テーマに選ばれたのは何だったっけかな?──そうそう、確か『臓腑おみくじ』だ。但しコレは、回答者の倫理観が問われるだけの純粋な『臓腑おみくじ』と違って、少しばかりローカルルールの採用があったらしいんだけれど……、どういうのだったかな? 確か二つあって──「国から二階級特進に選ばれた犠牲者は「死後全ての臓器を提供する予定のドナー」という体の役割を振られて、役人から致死性の毒薬を渡される。そしてそれを呑み込むと、「臓器移植を待つ患者」という体で断頭台に立たされていた家族を、代わりに助け出すことが出来る。但し毒薬を飲むか否かは、本人の自由意志に委ねられる」「国から二階級特進に選ばれた犠牲者は、家族内であれば、臓器提供のドナー役を、他の人間に回す事ができる。但しその場合、二人目のドナー役は「毒薬を飲むか否かの自由意志」を与えられず、強制的に斬首される」っていうのが、確かルールの概要だった筈だ。……それで、唐突に選択を迫られたアンタは、後者のローカルルールを使い、夫をドナー役として代わりに立てた──つまりアンタは、自分可愛さで、最愛の人を殺したんだ」
果たして、
果たしてアタシは、何も言わなかった。
話は続く。
「夫を殺した後、罪悪感にでも駆られたのか──表面上「自分の戦いに巻き込まない為」と称し──、アンタは息子を親戚に預けて、激しい武者修行の旅に出た。……その修行は、名目こそ「復讐の為の修行」ではあったけれど、きっと心のどこかでは、自身を厳しい環境下に置くことで、嫌なことを忘れようとする腹積りがあったんだろう──それはそれで、浅はかな感はないでもないけれど。ともあれ、当時のアンタにとって、それは必要な工程だったんだ。とても責められた話ではないと、この僕も、一応のフォローはしておくよ。……それで、数年経った頃。激しい鍛錬に身を窶した末、相当な強さを身につけたアンタは、いよいよ復讐へと乗り出した。街へ降りて、そこで思い出す。そうだ、親戚に預けておいた我が子はどうなっているのだろう? あの時は罪悪感もあって、息子から逃げてしまったけれど、大前提、死んでしまう公算の方が大きいのだから、それなら復讐する前に──いくら一度逃げ出したとはいえ──顔くらい見ておいた方が良いんじゃなかろうか? そう思い立ってからは早かった。記憶を辿って道なりに行き、アンタは親戚の戸を叩くのだったが──、ふふふ、もはや言うまでもないかい? だが、あえて言おう、真実から逃げてはいけない。アンタは最初っから立ち向かうべきだったんだ。修行するにしても、息子から逃げずに、一緒に連れて行くべきだったんだ。そうしておけば──、アンタの息子はきっと、預けられた親戚の家で二度目の『臓腑おみくじ』に選ばれたりなんかせずに、あたら若い命を散らす事もなく、辛くも生き残れたのだろうから。……悲しいかな、詮ずるところアンタは、結果だけ見るにその数年間──家族を殺す為だけの努力をし続けていたという訳さ。……なーにが『自分の戦いに巻き込まない為』だよ、結局息子も死んでるじゃねーか」
アタシは、
アタシは、
アタシは、
アタシは、
アタシは、
アタシは──、何も、言わなかった。
※
その後も、名家の令息は讒言を吐きかけ続けた──いや、讒言とは根拠の無い悪口、つまりは中傷の事なのだから、彼の悪口雑言をそう呼ぶのは、あまり正しい表現とは言えなかった。
いやそもそも──、彼は悪口雑言の類など、一言を発していないのかもしれない。
毀誉褒貶とも言えないだろう。
悲喜交交すら的外れだ。
感情など入る余地も無いくらい──、彼はただ、正しい事しか言わなかった。
当然反論の余地などない。
令息はしきりに「アンタがいくら強かろうがコッチにはそれを問題にしないくらいに強い護衛がついてるんだからな」と、暴力に訴える事の無意味さを匂わしていたけれど、最初からそんな事をするつもりもなかった。
令息は正しかった。
アタシは間違っていた。
正義と悪がいて──、そこには抵抗の余地すらなかった。
「………………アレ?」
アタシは気づくと、サラさん家の近辺に来ていた。
全体何をやっているんだ──そう思い、半ば自嘲的な気分で踵を返すと、
「ど──どうしたんですかガルムードさん!? すごい顔ですよ!?」
そこには、買い物帰りのサラさんがいた。
手に提げた袋からは、野菜や肉等の、夕飯の材料が詰め込めんであるらしいのが分かる──今日は何を作る予定なのだろう?
全く。
マリナは幸せ者だな。
こんな美味い飯作ってくれるお母さん他に居ねーんだぞ、なんて思いつつ、先刻の質問に返答せんとして、アタシは──、
「なんでもないさ」
と返答した。
「そ──」少しだけ非難するような口振りで、サラさんは言った。「そんな訳ないですよ、なんでもない人は、そんな顔をしたりしないんです」
少なくとも元気だって人間は、
下を向いて歩いたりしないんですよ。
そう言うと──サラさんは吊り上がっていた眉毛を下げ、少し困った風に「……本当に心配してるんですよ?」と付け加えた。
昨日今日あったばかりの人間に、こうも心配の言葉をかけてくれるなんて、本当に稀有な知り合いである──なんて……、
なんて良い人、なのだろう。
彼女が問いかけるままに、アタシがこの件の相談をもちかければ、きっと誰よりも、真摯に対応してくれるに違いない。
それでも、
それでもアタシは、その質問には答えられなかった──、適当に誤魔化すしか、無かった。
必然、納得してもらえるわけもなく、それに対してサラさんは、「そんな訳ないでしょう」と反駁し、むしろ大股で間合いを詰めて、アタシを目前にして止まった。
「もう一度聞きますね、酷い顔してますけど、全体何があったんですか?」
「………………いや」
「何が、あったんですか?」
「……………………」
もはや、適当に誤魔化す事は難しい雰囲気だった。
でも──、
それでもアタシは、
その質問には答えられなかった。
「サラさんには言えないんだよ」
「な──なんでっ!」
「アタシの──」
「…………?」
「アタシの罪なんだよ」
夫を殺したのは、
息子を殺したのは、
他でもない──、アタシ自身の罪科なのだ。
「だから、自分以外には任せられない」
自分の物は、自分に所有権がある──義務も。
だからアタシは、誰かに慰めてもらう事で、あの過去を風化させたり、許されたりしては、断じていけなかったのだ。
許す事も罰する事も、
出来れば自分だけで決着を付けたいし、また、付けなければいけないと、アタシは思うのだ。
……仮に最後まで許せないとしても。
受け入れて──甘受して、須く戦っていくべきなのだ。
それに──、真実アタシを許す事のできる人間がいるとして、それはサラさんなんかでは、きっとない。
じゃあ誰って、
そんなのは──当人である自分自身を除けば、夫と息子に決まっているけれど。
もうこの世には居ない、アタシが自分で殺した、彼等だけに決まっているけれど。
「それでもっ! 話してくれたら何かできるかもっ!」
「できたとしても、させないよ。だって──」
畢竟、
アタシがやらかしたのはそういうことだったのだ。
アタシがしでかしたのはこういうことだったのだ。
許してくれる人も──、罰してくれる人も殺してしまったなら、後はもう、独りで苦しむ他、無かったのだ。
誰にも頼る事なく──独りで、
苦しむことこそが、義務なのだ。
「アンタは所詮、他人じゃないか。……その他人が、関係ないくせにごちゃごちゃ抜かしてんじゃねえ」
他の誰にも許させてはいけないし、許せない。
他の誰にも罰させてはいけないし、罰せない。
そういう物なのだ。
こういう物で──こういう最終結論なのだ。
だから、
だからアタシは──、
「──鬱陶しいんだよ。もうアタシに関わらないでくれ」
だからアタシは、アタシから苦しみを奪う人間を、周りに置いていてはいけないのだ──孤独でなくては、ならないのだ。
寂しくとも。
「バッッッ……………………カじゃねえの?」
発言者はサラさんだった。