88.聖女リサちゃんの激怒(再)
「行こうか、アンズ殿。寄付の発表もあるし、もう何もないとは思うが、人目が多い所の方がいい」
大神官とグレイが去った暗い廊下を見つめる私にフェンデル王子が言う。
今日は何から何まで、フェンデル王子にお世話になっている。
騎士団のトップでもあるから、グレイは大神官の事をフェンデル王子に伝え、今回の現場確保は王子とグレイで進めた計画だ。
「いろいろ、ありがとうございました」
「礼を言うのはこちらだ、囮なんて、気持ち悪かっただろう」
「そんなでもなかったです。周りに皆さん居るのは知ってたし、最悪、血を被るだけでしたし」
被った場合は、ジェンキンくんが治癒魔法かける予定だったし。
「それにしても疫病、本当に大神官が意図的に広めたんでしょうか?」
私は、ぽつりと聞いてみる。
「どうだろうな。子飼いの神官達が言うには、帰還してから発病した者達は大神官が診ていた者に偏っていたらしいが、わざとかどうかまでは本人にしか分からないだろう」
「でも、神官達が疑うほどだったんですよね?」
「ああ、それだけ、大神官の治癒はいつも完璧だったんだ」
「わざとじゃないといいなあ、ほら、加齢で治癒の力が弱まってるけど隠してた、的な?」
「それは、ジェンキン副神官に言ってやるとよい。どちらにしろ、証拠はない、疫病の流行の方は罪には問えないだろう。アンズ殿に故意に感染者の血をかけようとしていただけで、充分、罪は重いし、神官としての地位は剥奪だろうが」
「神官、剥奪なんですね」
「それは免れないな。治癒するべき者がしてはならない行為だった」
「そうですね」
「ここで、私達が議論していてもしょうがない。さあ、行こう」
それもそうだな、と思う。
私は、これ以上、ジェンキンくんが傷つかないといいなあ、と思いながら夜会の会場へと戻った。
フェンデル王子と会場へと戻ると、会場ではすでにワルツが奏でられ、ダンスが始まっていた。
先ほどまでの、薄暗い廊下とうって変わって、きらびやかな世界だ。
ダンスの中心に居るのは、イオさんとリサちゃんのようだ。水色のローブがくるくると優雅に回っている。
「奥の方で休むといい」
フェンデル王子はスマートに私をいざなうと、給仕に飲み物を頼んでくれた。
「気分が悪いとかはないか?」
「大丈夫です。大神官の事は知っていた事でしたし、少し疲れてはいますけど」
「そうか、食べ物がいるなら」
そこで、フェンデル王子が言葉を切る。
私とフェンデル王子の側へと1人のレディがやって来たからだ。
見たことのない令嬢だった。
まあ、私は、見たことのない令嬢の方が多いのだけれども、要するに知り合いではなかった。
ダークブロンドのその令嬢は、若草色の一見清楚なドレス姿だけれども、化粧はきつく、顔立ちにも険があって、何だかちぐはぐな印象だ。
「失礼、レディ?聖女殿は今はお疲れの様子なんだ」
ゆっくりとこちらへの歩みを止めない、ダークブロンドの令嬢にフェンデル王子が声をかけるが、令嬢は王子は眼中にないようで、私の方へとやって来る。
そして彼女は、おもむろにドレスの裾をするすると上げた。
「!?」
ぎょっとする私とフェンデル王子。
近くの人々も「えっ?」と驚きの声をあげる。
夜会の会場で、貴族の令嬢が惜しげもなく自分の真っ白な太ももを晒している。
太ももだけではない、捲りあげられたスカートからは、下着やガーターベルトまで丸見えだ。
正気の沙汰ではない。
衝撃的な光景だが、当の令嬢の佇まいはいたって冷静で、私も含めて皆が驚きながらも、ぼんやりと彼女を見た。
ダークブロンドのご令嬢は周囲の驚きを全く気にしていない。
羞恥なんて一欠片も見せずに、彼女は左手でスカートを高く押さえたまま、右手でガーターベルトに挟んであった短刀を掴んだ。
「!」
誰かが、「刃物だ!」と叫んだ時には、ダークブロンドの令嬢は抜き身の短剣をしっかり掴んで、私へと突進していた。
とても近い距離で令嬢の暗い目と、私の目が合う。
そこにあるのは殺意だ。
これは、刺される。
ドンッ
衝撃が私を襲って、私は恐怖で目をつむった。
重たいものと一緒に後ろへ突き飛ばされて、腰をしたたかに打ち、息が止まる。
「きゃあああっ」
ご婦人の悲鳴が会場に響く。
「取り押さえろ!」
「早く!」
「離しなさいよ!あの女!殺してやるのよ!」
怒号が飛び交い、半狂乱の女の声がする。
「いたぁ」
私は打った腰を擦りながら目を開けた。
痛いのは腰だけだ。刺されると思ったけれど、刺されなかったみたいだ。
腰以外に異常はない。
「あの女のせいよ!あいつのせいで、私は二度も貶められる事になったのよ!あの女さえいなければ!!」
周りに居た紳士と、駆けつけた騎士に拘束され、ダークブロンドの令嬢が髪を振り乱して、ぎゃんぎゃん叫んでいる。
改めて令嬢を見るが、全く見覚えはない。
知らないけどなあ。
私のせいで貶められた、ってどういうことかしら?
そう思いながら私は、さっきからある私の足の上の生暖かい重みへと目を向ける。
「殿下!」
私が目を向けたのと、血相を変えた騎士がこちらに駆け寄って来たのはほぼ同時だった。
私の足の上では、夜会用の正装のみぞおちの辺りを真っ赤に染めたフェンデル王子が横たわっていた。
「うそ………フェンデル王子!」
びっくりして足を抜くと、フェンデル王子が呻く。私の紫のローブも膝から下が血でどす黒く染まっていた。
「私を庇ったんですか?何やってるんですか!?」
血で染まる王子の下腹部を見ると、きれいに短剣が刺さっていて、私はすうっと血の気が引くのが分かった。
大理石の床にじんわりと赤い染みが広がってゆく。
「うそ、うそ、やだ」
咄嗟にナイフを抜こうとして、騎士の人に止められた。
「ダメです!今抜いたら、大量に出血します」
私はびくっと手を止めた。
「殿下!お気を確かにしてください」
騎士の呼び掛けにフェンデル王子が、上を向いた。その顔には脂汗が浮いている。
「アンズ殿、無事か?」
フェンデル王子はまずそう聞いてきた。弱々しい声だ。
「無事です、ちょっと、嫌ですよ、何やってんですか」
「あなたに何かあれば、カサンディオに顔向け出来ない」
フェンデル王子が苦しそうに目を閉じる。
「いやいや、あなた王子ですよ!私を庇って死ぬとかダメですからね!」
「ふっ、最期くらい………いい所を見せたいから、な」
「最期って、何ですかっ?最期って!」
私は思わず叫んだ。
やだ、やだやだ。
大理石にどんどん広がる血溜まりに、私の足と手が震える。
ええ?
嘘でしょう?
「リサに、愛している、と伝えてくれ」
フェンデル王子がぽつりと呟く。その唇はもう色がない。
「まさか、毒!?」
傍らの騎士がはっとなる。
うそぉ。
「ちょっと、やだぁ」
どうしたらいいんだ、誰か、助けて。
途方にくれて、目に涙が浮かぶ私。
ダメだ、嫌だ。
イオさんのお兄ちゃんなんだぞ、死んじゃダメだ。私がイオさんに顔向け出来ないじゃないか。
「フェンデル王子!」
必死に名前を呼ぶけど、フェンデル王子は反応しない。
やだよぉ、誰か!
その時、私の目の端に、ひらり、と水色のローブが翻る。
水色のローブは、血溜まりに臆する事なく、膝をついた。
みるみるそれは真っ赤に染まっていく。
「……あ」
私の向かいに、フェンデル王子を挟んで膝をついたのは、リサちゃんだった。
憤怒の顔をしたリサちゃんがそこに居た。
「最期って、馬っっっ鹿じゃないの!?黎明の聖女がいるんっすよ!!!死なす訳があるかあっっ!!!!」
リサちゃんは王子に、腹のそこから怒鳴ると迷いなく、短剣を引き抜く。
ごぼっと血が溢れてリサちゃんの手を染めるが、リサちゃんは怖じ気づかない。
その両手から、目映い癒しの光が溢れた。