86.夜会へ
全部で3回の、顔見せ、を終えてやれやれと思う間もなく、私達はそのまま馬車にて王宮へと戻った。
ここで少しの休憩した後は、貴族達が勢揃いした夜会への参加だ。
「ぐうぅ、疲れたよぅ」
休憩の為の客間では、リサちゃんと2人で過ごせたので、テーブルに突っ伏して休憩する私。
「アン、頑張ったな」
あ、もちろん、私の側にはグレイも付いている。頭をナデナデしてくれて、ちょっと嬉しい。
えへへ、とにやけていると、にまっとしたリサちゃんと目が合った。
しまった、ちょっと、いや大分、家みたいに過ごしてしまった。
「カサンディオ団長って、アンズさんの前だと雰囲気、大分違うんすねー」
リサちゃんがニマニマする。
「えっ、そ、そう?」
「普段はもっと、お堅いイメージっす。今は甘いっす」
リサちゃんの言葉にグレイが、そっと私の頭から手を引っ込めた。
あ、ちょっと恥ずかしそうにしてる。
耳が赤いわよ。
「いいなあ、やっぱり、結婚しようかな、まず相手っすけどね」
お、という事は、今は特定の相手はいないのね。
「リサちゃんなら、すぐにいい人見つかるわよ」
「ええー、そうっすかねえ」
なんて言い合いながら私は、フェンデル王子に、まずは早めに男らしく謝って仲直りするように勧めようかな、と思い付く。
フェンデル王子はロイ君とフローラちゃんを悲劇のどん底に落とした張本人だし、いろいろ、もやっとしたけれど、悪い人ではないし、リサちゃんに振られてからは何だか面白くも可哀想だとすら思う。
イオさんびいきの私としては、イオさんに優しい所は好印象で、失恋後は未練たらたらだけど、リサちゃんとはちゃんと距離を置いているし、失恋により成長してる気はする。
何より多分、リサちゃんはフェンデル王子を嫌いではない様子だ。
仲を取り持つなんて事まではしないが、仲直りのアドバイスくらいはしてあげようかなあ、と思う。
うん、してあげよう。
「アンズさん?何をニコニコしてるんすか?」
「何でもないわよー」
「ええー、なんすか」
「何でもないのよー」
そこへ、お城の侍女の方達がお色直しにとやって来た。
***
お化粧と髪をお直しして、今度はグレイと共に夜会の会場へと向かう。リサちゃんは今回もイオさんのエスコートで会場入りする予定で別行動だ。
朝からの顔見せでへとへとだけれども、この夜会の終盤で貴族に向けて、大々的な私への感謝と褒賞の発表があり、ついでにその褒賞はナリード伯爵の財団と神殿に寄付される事も伝えられる予定なので、出ないわけにはいかない夜会だ。
それに私にはもう1つの役目もある。
「アン、絶対に君が1人になる事はないから、心配するな」
グレイがそっと私を抱き締めて、おでこにキスをする。
「分かってます。それはそんなに心配してません」
「万が一、予想外の何かがあればすぐに中止だ」
「はい」
「出来れば、このまま連れ帰りたい」
「ダメですー、行きますよ、侯爵様」
私は手を差し出す。
グレイはその手を取って、私達は夜会の会場に入った。
輝くシャンデリア、ピカピカの大理石の床。
そして、前の激励会よりも圧倒的に多い紳士と貴婦人達。
瘴気の正体判明のお祝いと、王家と聖女の結びつきをアピールする今回の夜会には、それこそ都中の貴族達が招かれているのだ。
名前を告げられ、入場すると物凄い視線が私へと向けられる。
社交の場に出る事が皆無の私は、ほとんどの貴族にとって姿を見るのも初めてで、最近の名声もあり、注目がすごい。ざわざわと会場がさざめく。
「あれが、アンズ様」
「とっても細い方なのね」
「あの黒い瞳、神秘的だわ」
「確かに、どこまでも黒く、底知れない知性を感じるな」
「城では、アンズ様の助言をいただくために、第三王子殿下と魔法部長官が常に取り巻いているとか」
「是非、お話を聞きたいわね」
「侯爵様が許してくれないだろう」
「それも聞きましたよ。侯爵様は、とても深く愛してらっしゃるのでしょう」
「遠征からお帰りの侯爵様が、出迎えたアンズ様を人目も憚らずに抱き締めたらしいです」
「まあ!」
「お屋敷から出ないのは、侯爵様の意図もあるのだとか」
「まあ!」
おおー、全部聞こえてますよ。
底知れない知性はないわよ。
お屋敷から出ないのは、単に出不精インドア派だからよー。
何だか、すぐに囲まれそうな雰囲気だ。
囲まれるのは私的にも、今日の計画的にも困るなあ、と思いながら、飲み物を受け取って、卓の1つに付く。
落ち着いた私とグレイに、早速近付いてきたのは、1人のご婦人だった。
「ごきげんよう」
甘く、鼻にかかった妖艶なお声。
珍しく、グレイに緊張が走る。
「サバンズ伯爵夫人が、紫黒の聖女、アンズ様とカサンディオ侯爵様にご挨拶申し上げます」
本日も下品にならない程度に露出のある、細身の濃い赤色のドレスを完璧に着こなし、膝丈のスリットから美しいふくらはぎと、威圧的で扇情的な漆黒のピンヒールを覗かせながらやって来たアマリリスさんが優雅なカーテシーを決めた。
これを見て、私達を囲もうとしていた貴族達の足は、びたっと固まる。
そうでしょうね。
妻もいるのに、こんな堂々と侯爵の元カノやって来たらね。
あ、これ、近付いたらダメなやつだ、ってなるわよね。
「お久しぶりですね、侯爵様」
アマリリスさんは凍りついた周囲の空気なんて全く気にせず、とても強気な笑顔で微笑んだ。
女の私でも見惚れるような妖艶な笑顔。
ちらり、とグレイを見ると、めちゃくちゃ嫌そうな顔をしている。
「お久しぶりです、サバンズ伯爵夫人」
平淡な声でグレイが言う。
「ふふ、嫌そうなお顔ですこと。アンズ様も少しお久しぶりよね」
アマリリスさんは、嫌そうなグレイを無視してするりと私に近づくと、腕を絡ませてきた。
うおお、すごくいい匂いで、柔らかいお胸が腕に当たるんですけど。
柔らかい、マジか、本当に、これを知っててよく、私を選べたわよね。
「夫人」
「大丈夫よ、仲良くなったもの」
咎める口調のグレイに、アマリリスさんは小声で返す。
「囲まれるのお嫌でしょう?社交は苦手って言っていたものね。私がいれば、誰も寄ってこれないわよ」
私の耳元で囁くアマリリスさん。
あら、私を気にしてやって来てくれたみたいだ。
「まあ、確かに、完全に遠巻きにされてますけどね」
ええ、ええ、こんな修羅場みたいな所には誰も寄ってこれないでしょうよ。
「ダンスが始まるまで居てあげるわよ。曲が始まれば皆さんの気も逸れるでしょうしね」
「これはこれで噂になりません?」
「大丈夫よ、私が後で、聖女様はとても温かくて、懐が深く、毒気を抜かれちゃったわ、くらい言っといてあげる」
「はあ、囲まれないのは助かりますけど、」
再び、私はちらりとグレイを見る。
嫌だ、嫌だ、と顔に書いてある。
嫌だろうなあ、妻の前で元カノなんて。
「こんなに焦ってる侯爵様なんて初めて見るわ。あなた、愛されてるのね」
「ええ、恥ずかしながら」
「ふふふっ、本当に面白い人よねえ」
アマリリスさんは、おかしそうに笑い、私と談笑を続ける。
元カノのマウントなんて一切取らずに、時々グレイにもお愛想で話を振るアマリリスさん。
その話術は巧みで、楽しくお話してしまう私。
「瘴気の正体解明の時は驚いたわよ、あなた、本当に聖女だったのね」
しみじみと色っぽい目付きで私を見つめながら持ち上げてくれて、ちょっと照れる。
そんな周囲の想像に反して、和やかな中身の談笑の最中に、予定通り騎士が1人、グレイに近寄ってきて、ひそひそと何やら告げた。
「あら、呼び出しかしら?」
アマリリスさんが目ざとく聞く。
「ああ、第二王子殿下がお呼びのようだ、アン、すまないが」
「大丈夫です、アマリリスさんもいますし、平気ですよ」
「すまない、気を付けてくれ」
「はい、行ってらっしゃい」
グレイは呼びに来た騎士と共に席を外した。
「…………ふーん?私はお邪魔かしら?それともこのままがいい?」
アマリリスさんが何かに気付いて、殊更に声を落とした。
「このままがいいですね。次に私が呼ばれたら、笑顔で送り出してください」
私はアマリリスさんにそう囁いた。