82.ローズですよ(再)
「アンズ様、こんにちは!」
はい、こんにちは、アンズです。
図書室の受付で、爽やかなジェンキンくんの声が響く。
西部から持ち込まれた疫病の流行で、重たい雰囲気が漂っていたお城も、終息宣言が出された今ではすっかり明るい。
市井での流行も、結局大流行にはならず、本当に上手く抑え込めた。
残念ながら、死者は少ないが出てしまったようだけど、蔓延してしまった西部に比べるとずっと少ないとの事。
これだけの都市で、被害を最小に抑えられたのは、神殿の迅速な行動と、国の素早い隔離政策のお陰であるらしい。
良かった。
そんな明るいお城の図書室で、もちろん、私も明るく返事をする。
「こんにちは、ジェンキンくん。今日もグレイの所なの?」
そう、ジェンキンくんのお目当ては私ではない。グレイだ。
ジェンキンくんは、律儀にも図書室へ私への挨拶のためだけに寄ってくれている。
「はい、今日こそは、黒い石を掴みますよ!」
ジェンキンくんは本当に挨拶だけすますと、張り切って騎士団へと向かっていった。
疫病の流行が終息して、ジェンキンくんはグレイの元へ、お箸の扱い方を学びにやって来るようになっている。
大人なんだし、通う必要はないと思うんだけど、ジェンキンくんは不器用な質らしく、ちょこちょこお箸の練習の為にグレイの元を訪れる。
お箸って通って習うものだったかしらね?
日常で使わないかしら?
なんて疑問に思う最近だ。
「ジェンキンくん、お箸にすごく熱心よねえ」
「お箸は口実で、カサンディオ団長に懐いたんだと思いますよ。団長室で2人で話し込んでるって聞きました」
私の呟きに、そう教えてくれたのはスミスくんだ。
「そうなの?」
「そうらしいです」
へえー、意外な組み合わせよね。
グレイとジェンキンくん?
会話、続くかしら?
ジェンキンくんはお喋りだし、一方的にしゃべるのかな。
2人で談笑している様子は想像出来ないなあ、と思いながら、私は返ってきた本を棚へと直す。
そんな最近の私はというと、平和そのものだ。
疫病の流行で、神殿と神官達のありがたみが高まり、特に平民への無償での治癒の奉仕を即断したワム大神官の評価はとても高くなった。
そうして、神殿への関心が高まったことで、賢いフィーバーが少し落ち着いたのだ。
相変わらず肖像画は売れ行きがよくて、飯ごうは品切れ状態だけども、一時期の熱狂的な様子はなくなり、ほっとしている。
そうそう、リサちゃんも帰って来ている。
南央部の瘴気を、あっという間に完全に払い、先日凱旋した所だ。
当のリサちゃんは、調子に乗って浄化魔法を使いまくり、今は疲労でダウンしているらしいので、元気になったらお茶に誘おう。
アマリリスさんの事を話せば、絶対に目をひん剥いて驚くと思う。
そんな平和な日のお昼の事。
「アンズ殿!」
恒例のローズとのお昼休み中、やって来る金髪碧眼の美形。
「お昼にすまぬな、おや、ローザも」
ローズですよー。
そう、現れたのは安定のフェンデル第二王子殿下。
私とローズはさっと立ち上がって、淑女の礼をとる。
「よい、楽にしてくれ。遠征から帰ってから、中々、時間が取れなくてな、昼にここでなら話せるかと思ったのだ」
フェンデル王子は向かいに座り、私達も着席する。
「まずは、瘴気の解明への多大な貢献、感謝する。父や兄やイオから散々言われているだろうが、私からも言っておきたい」
「皆様にもお伝えしましたが、それは魔法部の方達に言ってあげてください」
「ははっ、兄上の言う通りだな。褒賞もナリード伯爵の財団と神殿に折半で寄付してくれ、と言っているのであろう?」
「ええ、はい」
お金は、あればあるほどいいのは分かっているけれど、何せ、私の夫は侯爵家、お金はあるのだ。そして、聖女印の飯ごう人気がすごいので、そちらの収入も馬鹿にならない。
グレイも、財団と神殿への寄付は納得済みだ。
「兄がほとほと困っていた。せめて財団と神殿への寄付は大々的に発表させてくれ、と言っていたぞ」
「そういうのも、いいんですけどね」
もうフィーバーは懲り懲りなのよ。
「いや、それだけは王家の面子にかけてやる。来週の国民への顔見せの後の夜会で発表する」
「ええー」
「嫌そうだなあ、これについては、カサンディオも了承したぞ」
「えっ」
裏切り者め。
「評判は高めておくに越した事はない。貴族なら尚更だ。寄付を是認するカサンディオ家の評判も上がる」
「はあ、まあ、それなら」
侯爵家の為になるなら、まあいいか。
「あと、その顔見せの時だが、アンズ殿のエスコートは私がする事になった。今日はそれを言いに来たんだ」
「あっ、そうなんですね。それは、よろしくお願いします」
私は、ぺこりと頭を下げる。
“顔見せ”何かしらって思うわよね。
これは、パレードの代替案なのよ。
紫黒の聖女の人気が高まり、「是非、お姿を見たい!」という嘆願が王家に殺到した際に提案されていたパレード。
黎明の聖女も帰還し、疫病も解決した今、王家としてはこのタイミングで、王族と聖女で華々しく民へと挨拶をし、その結束をアピールしたいとなった。
そこで、今こそ王族と聖女でのパレードを、となったのだけど、私が嫌がったのと、グレイが安全面の不安を訴えたのと、疫病対策で結構な額のお金も使ったのもあって(パレードはめちゃくちゃお金がかかる)、パレードではなく、王都の広場にて、そこにある迎賓館のバルコニーから、民に向けて王族と聖女で、顔見せをする事になった。
これなら、警備もしやすいし、お金もパレードよりかからない。
私としても許容範囲だ。
それにしても、これはいわゆる、お出まし、ですね。
ひゃー、自分が、お出まし、をするなんてね。
大丈夫かしら?優雅に手を振れるかしらね?
「おそらく、当日は私、ガチガチだと思うので、本当によろしくお願いしますね」
念を押す私。
「私は慣れているからな、心配せずともよい」
爽やかに堂々と宣言するフェンデル王子。
おおー、頼れそう。何か、すっごく頼れそう。
「あら?という事は、リサちゃんのエスコートはイオさんですか?」
「………そうだ」
“リサちゃん”の響きに顔を翳らせるフェンデル王子。
しまった、まだ傷心でしたか。
そろそろ、吹っ切れてるかなあ、と思ったんだけど、意外に一途なのね。
「イオさん、大丈夫でしょうか?」
そっと、話題をイオさんに変えてみる。
「そうだな、前の夜会は何とかこなしていたし、今回はバルコニーから挨拶するだけだから大丈夫だろう。最近はまた一段と明るくなっているしな」
フェンデル王子が嬉しそうになる。
イオさんの成長を喜んでいるみたいだ。
ふふふ、その成長はですね、恋なんですよ。
恋してるせいなんですよー、と私はニヤニヤする。
全然進展はしてないけれど、後退もしていないイオさんの恋だ。いや、でも最近のイオさんはローズと普通に会話出来てるし、ローズもイオさんの人柄のせいか、ずいぶん打ち解けてきている。
だから、人としては進展している、わよね。
「隣はリサだし………………………大丈夫だろう」
ぐっと、リサちゃんへの想いを飲み込むフェンデル王子。リサちゃんの特徴を長々と言わなくなった分だけ、少しは気持ちの整理が出来てきているのだろうか。
と、ここで、ぐっとリサちゃんを飲み込んだフェンデル王子がローズに目を向けて、その目を細めた。
「殿下? どうかされましたか?」
ローズが不思議そうにする。
「ローザ、髪に……いや、少しじっとしていろ」
フェンデル王子はそうっとローズに近付いて、屈み込む。
「あの……?」
怪訝な様子のローズ。
そして、私はローズの髪の毛に小さなハナムグリがくっついてるのを見つける。
ひょおっっ。
ずざざっと距離を取る私。
私、虫はたとえ蝶でもダメなのよ。
「ローザ、髪に小さいハナムグリが付いてる。そっと取るから動くな」
フェンデル王子は小声で言うと(だから、ローズですよー)、優しい手つきでハナムグリを掴む。
フェンデル王子がハナムグリを掴んだ時だった。
「兄上、何してるんですか?」
鋭い声がかかった。
聞き覚えのある声なのに、そんなに険のある様子は聞いた事がなかったので、私はすぐには誰だか分からなかった。
声の方へ顔を向けると、フェンデル王子の背中越しに、険しい顔のイオさんが立っていた。




