80.心配と焦燥と嫉妬と
ぐしゃぐしゃになった花輪をかけてグレイが騎士団へと向かい、騎士達がそれに続く。
侍女さん達が「お疲れ様」「お帰りなさい」と口々にお迎えし、恋仲の方達なんかは、私とグレイほど派手じゃないけれど、ひっそりと片隅で再会を喜びあっている。
うん、あれくらいが良かったな。
衆目の中での抱擁を思い出して、恥ずかしくなる私。
私は、一団の中にロイ君を見つけて手を振った。
ロイ君も笑顔で手を振り返してくれる。
研究室へと戻り、イオさんと少しばかり魔法文字を読んだ所でお昼となり、私は1人で裏庭でお弁当にした。
第一騎士団が帰還し、本日の騎士団付きの侍女達は忙しい。ローズもお昼は一緒は無理ですね、と言っていたので1人だ。
ぼんやりお昼を食べながら、グレイが無事で良かったなあ、と思う。
そして、とても安心している自分にも気付く。
いい大人だし、気にしないようにしていたけれど、グレイが不在で心細かったみたいだ。
今日から、侯爵邸にグレイが居るんだな、と思うと嬉しい。
ふふふ、夕飯、何だろう?
ご馳走かしら?
久しぶりに一緒に食べれるなあ、とルンルンで研究室に戻ると、半地下の階段の前で研究室を覗き込んでいる人を発見した。
おっと、不審者だわ。
私は鋭く声をかける。
「どちら様ですか?」
不審者がびくっと、こちらを振り向く。
あら?
「アンズ様っ!良かった、見つけた!」
「ジェンキンくん!」
不審者はジェンキンくんだった。
覚えてるかしら?
神殿の副神官の、曇りなき眼系の青年ね。
「古代魔法研究室にいらっしゃると聞いたんですけど、場所がよく分からなくて、探しましたよ!」
「あー、ここ、分かりにくいのよ。どうしたの?」
「“オハシ”の使い方を教えていただきたいんです!」
がしっと握られる私の両手。
そういえば、ジェンキンくんはちょっと熱い子だったわ。
「え?お箸?」
「はい!開かずの部屋に見学に来られた方々に、使い方を聞かれるんですよ、でも神官は誰一人として、“オハシ”を使えないので困ってるんです、是非、ご教授いただきたい!」
「使い方かあ、もちろん教えられるけど」
教えられるけど、あのつるつるの黒い石を掴めるようになるのは、時間かかりそうよ。
「とりあえず、今、やってみる?それで頑張って練習あるのみね」
「はい!頑張ります!」
「じゃあ、お昼休みの残りの間だけね」
私は、お弁当からマイ箸を取り出し、ジェンキンくん用に枝を見繕って渡す。
「こう、まずね、こうやって持つの」
「こうですか?」
「あー、そうじゃなくて、ほら、こう」
「こう?」
「いや、親指と人差し指だけでにぎっちゃダメよ、中指も使って……こう」
「こう?」
「うーん、違う、だからね」
埒が明かないので、私はジェンキンくんの右手を持って、細かく持ち方を教えだす。
「こう、人差し指と中指で挟まないと、それで、こっちの方は、薬指と小指で下から支えてね、うーむ、ジェンキンくん、わりと手が大きいのね、もうちょっと長い枝の方がいいかな」
そうして、両手でジェンキンくんの右手の微調整をしていた時だった。
突然、私の全身をヒヤーッとした冷気が包む。
何かしら、急に寒いわね、と思っていると、背後から低い声がした。
「アンズ? 何をしているんだ?」
ひいっ、知ってる声だわよ。
知ってるわよ、この低い声。
しかもこれ不機嫌な時のやつぅ。
そーっと振り返ると、魔王もかくや、というほどの禍々しいオーラを纏ったグレイだった。
ひいっ。
いつの間に。
「お、お箸の使い方を教えてたんです」
恐らくだけど、私がジェンキンくんの手を握りしめていたのが、良くなかったのだと思うので、私はすぐに両手を離して説明する。
たぶんそうよね?
こっちの淑女って、特に貴族の方は異性に気安く触れないのよね?
先ほどの帰還の時も感じたけれど、本日のグレイには全く余裕がない。何やら切羽詰まっている。
今もすごく不機嫌そうだ。
よっぽど、疲れが溜まっているのかしらね。
「ほう、そちらは、ジェンキン副神官だな」
「は、はい!カサンディオ侯爵に知っていただいているようで、こ、光栄です。神殿で副神官を勤めております、ジェンキンです。アンズ様には、神殿で開かずの部屋を開けた際に大変お世話になりまして、あの、」
グレイの禍々しいオーラに青くなるジェンキンくん。
「箸なら、俺も扱える。今後は俺に聞け」
「はい!」
ジェンキンくんが、びしっと姿勢を正す。
「では、アンズ様、お時間を取らせました!」
「大丈夫よ、いっぱい練習してね」
「はい!」
ジェンキンくんが大慌てで帰っていく。
申し訳なかったなあ、と見送っていると、がしっとグレイに腰を抱かれた。
ん?
禍々しいのが続いている…………
「アン、帰ろう」
「へっ?でも、遠征の報告は?」
「もう済ました」
「もう?」
「ああ、今、上は瘴気の除去方法解明の為に忙しいからな。こちらの報告どころじゃない。騎士達にも休暇を出してきた。帰るぞ」
そうして、有無を言わさずに私は昼から帰る事となった(イオさんは笑顔でお休みをくれた)。
***
禍々しいグレイと帰りの馬車に乗る。
乗り込むなり、グレイは私をあっという間に組敷くと、噛みつくようなキスをしてきた。
「瘴気の正体を解明したって何だ、いつから究明に関わってたんだ」
「魔法部で夜を明かした、というのは本当か?」
「長官に口説かれたというのは?」
「他に絡まれたりしてないか」
「さっきの、開かずの部屋、とは、どういう事だ?」
「あの副神官とは、手を握り合うほどに親しいのか?」
キスの合間に、荒い息でグレイが聞いてくる。
髪がほどかれ、耳と首筋を手でなぞられる。
ひゃあっ、首筋はやめてほしい。
質問に答えながら、身の危険を感じる私。
私だって会いたかったし、質問の様子からグレイの余裕がないのは私を心配したのと、どうやら嫉妬が混じっていそうなのとで、噛みつくキスにこちらとしてもぞくぞくはする。
ぞくぞくはするし、求められるのはやぶさかではないけれど、このまま屋敷に帰るのは危なそうだ。
心配と、焦燥と、嫉妬に染まった年下の騎士の体力に付き合う自信はない。
そもそもこの馬車内で、もはや危険だわ。
私は必殺技を出す事にした。
本当は、もっとグレイが油断している時に繰り出して、ねちねち楽しんでやろうと思っていたけど、しょうがない。
「あのっ、ところで、サバンズ伯爵夫人に会いました」
ぴたり、とグレイの動きが止まる。
「ベッ…………伯爵夫人に?」
むっ。今、“ベッキー”って言いそうになったわね。
アマリリスさんめ、グレイにはベッキー呼びを許してたんだわ。ちゃんと惚れてたんじゃないか。
「はい」
よいしょ、と私は身を起こす。
グレイを見ると、瞳から攻撃的な様子が消えていて、ちょっと慌てている。
「何か言われたか?」
グレイがそっと私の肩を抱く。どうやらアマリリスさんに何か言われて私が傷付いたんじゃないか、と心配している様子。
「まあ、軽く挑発はされましたけど……」
「アン、サバンズ伯爵夫人とは、今は何の関わりもない」
「知ってます。アマリリスさんも未練はない、と言ってました。気に入られたみたいでサシでお茶もしましたよ」
あの後、アマリリスさんにはしっかりお招ばれして、わりと楽しい時間を過ごしている。
「お茶……」
「そんなに心配しなくても、楽しかったです」
「伯爵夫人とも仲良くなったのか……」
はあ、と短く息を吐いた後、グレイは私を優しく抱き寄せた。
頭を愛しそうに撫でられる。
「アン、愛しているのは君だけだ」
「ふーん。奇遇ですね、私もです」
私もそっとグレイに腕を回す。
馬車の中を、さっきまでとは違った甘い雰囲気が包む。
その夜、私達はまあまあ情熱的な夜を過ごした。




