79.抱擁
「アン、第一騎士団が帰還したようですよ、今、都に入ったと知らせが来ました」
その日のお昼前、ローズがわざわざ古代魔法研究室までやって来て、グレイが帰還した事を伝えに来てくれた。
「もう? 早くない?」
私は魔法文字から顔を上げて、日付を確認する。
予定では、あと一週間は帰ってこないと聞いてたんだけどな。早いじゃないか。
ふふふ、どうしたんだ、早いじゃないか。
もちろん、嬉しくて口元が緩む。
「瘴気を払う計画が、予定より早く進んでいるようです」
私の嬉しそうな様子にローズも微笑む。
「手が空いてる侍女達は城門の所で出迎えますけど、一緒に行きますか?」
「出迎え? そうなの?」
「ええ、帰ってきた騎士達を労うために。今回は凱旋ではありませんし、簡単に迎えるだけですけど、アンは第一騎士団長の夫人でもありますし、仕事を抜けて非難する方はいないでしょう」
ローズがちらりとイオさんを見て、イオさんが、ぶんぶんと頷く。
「ええ!出迎えてあげてください。アンズさんはとりあえず明日と明後日はお休みですね!本日は昼から帰りますか?」
そしてイオさんは当然の事のようにそう言った。
「えっ、お休み?」
「はい。数ヶ月の遠征から帰った騎士には、1週間の休暇が出ます。騎士の家族の方はそれに合わせて数日休まれる方がほとんどですよ」
そうなの?
そう言われると、前にロイ君が遠征から帰って来た時に、ヘラルドさんに休まなくていいのか聞かれた気もする。
あの時は、私がナリード伯爵家のソフト監禁から抜け出した直後で、バタバタしていたから休みはもらわなかったのよね。
「騎士に限らず、文官も長期出張から帰ると休暇が与えられます。外交部のご家族の方なんかも帰還に合わせて休みます。侍女長さんも、こないだちゃんと2日間休んでましたよ」
「へー、侍女長さんも。なら休もうかな」
そういう事なら、お休みをもらおうかしらね。
「はい、そうしてください。今日はどうします? 昼から帰りますか?」
「うーん、でも、グレイは何だかんだ報告とかで帰宅は遅いだろうし、今日は普通に働いて帰ります。家に帰還の事だけ伝えておきますね」
そうすれば、後はセバスチャンが良しなにしておいてくれるだろう。
何なら、もう帰還の知らせを聞き付けて、用意しているんじゃないかしら。
「分かりました。じゃあ、まずは城門での出迎えに行ってあげてください。カサンディオ侯爵もアンズさんが正面で迎えてあげれば喜びます」
「いや、遠目に見るだけですよ」
正面で迎えるとか、そんな恥ずかしい事はしないわよ。
というつもりで、ローズと城門まで行ったのだけれど、私は今、瘴気の正体解明のきっかけを作ったとてつもない有名人だったのよ。
「アンズ様!」
「アンズ様だわ!」
「紫黒の聖女様よ!」
あっという間に、侍女さん達に見つかる私。
「大変!お通しして、帰還される第一騎士団のカサンディオ団長の奥様よ!」
「アンズ様、こちらです」
「一番前でお迎えしてあげてください」
あら?
流れるように、自然に最前列のど真ん中に立たされる私。
「結婚してすぐに、カサンディオ団長は出立されたんですよね、お辛かったですよね」
「そんな中、瘴気の研究をされてたなんて」
「本当になんて気高い」
「お花は? 誰かお花を用意できる?」
え?お花?
「お花です!」
どこかからか、まあまあ立派な花輪が準備され、私に手渡される。
え?簡単な出迎えだけなのよね?
ローズ!?
最前列で花輪を持ちながら必死にローズを探すと、ローズはちゃんと最後尾で私を温かく見守っている。
いやいや、最前列とか無理よ?
どうしてこうなった?
ローズ、助けて!
目でうるうると必死にローズに訴えるけど、ローズはにっこりするだけだ。
えええ!違うわよ!
久しぶりに会える夫に感激してるんじゃないのよ?
こういう目立つやつ、苦手なのよ?
何とか、何とかこの最前列、ど真ん中、お花持ちを1つでも回避したいけれど、周囲の雰囲気は、もう断れないくらいに熱い。
「久しぶりの再会ですね」
「カサンディオ団長もきっと会いたいはずですよ」
熱く、これからの再会を祝福してくれる皆様。
お城の城門。
高まる侍女達の熱気。
鳴り響く帰還のラッパ。
近付いてくる馬の嘶きとひづめの音。
うわあ、映画みたい。
しかもこれ、ヒロインの立ち位置。
ちょっと現実逃避している私の耳に、ひづめの音が大きくなってくる。
門の所には、馬に乗った第一騎士団が到着していた。
グレイは団長なので先頭だ。
少し痩せたかな?
顔を見て、まずそう思う。
疲れは見えるけれど、体に大きな傷や不調はないようだ。
良かった。
遠征中、時々不安にはなっていたので無事な姿が見られて本当にほっとするし、帰ってきてくれて素直に嬉しい。
もうちょっと、ひっそり迎えたかったけれど、久しぶりに見たグレイに恥ずかしさより嬉しさが勝って、私は、にへら、と笑う。
グレイは馬上よりそんな私を険しい顔で見て(ん?険しい?)
ため息をついた。
うん?…………待って、ため息?
何で? ひどくない?
むっとしていると、私のすぐ横でグレイは馬を止めて、ひらり、と優雅に地面に降り立つ。
降り立つと同時にグレイは私を強く抱き締めた。
「ひゃっ」
驚いて小さく悲鳴をあげるけれど、お構い無しだ。ぎゅうぎゅうと、ちょっと痛いくらいの力できつく体を拘束される。
ええ!?
抱き締められながら、私は困惑する。
グレイはお屋敷でこそ、結構スキンシップをしてくるけれど、職場であるお城では、本来は過度な触れあいはしてこない。
朝の出勤や帰りが一緒の時、図書室まで送り迎えはあったけれど、肩を抱いたり、腰に手を回したりなんてせずに、ただ隣を歩いていただけだ。
なるほど、職場とプライベートは違うのね、と思い、それは私にとってはありがたい事だったのだ。
それが、騎士団の皆さんと侍女の方達が勢揃いのお城の入口で、堂々と私を抱き締めている。
「きゃあっ」と侍女さん達より黄色い悲鳴が上がっているのが聞こえる。
一体、どうしたのかしら?
戸惑う私の耳許で、私にだけ聞こえる声でグレイが囁いた。
「会いたかった」
ぎゅん、と私の体温が上がる。
ダメだ、今の声、すっごいお腹に響いた。
胸がキュンキュンして、顔が火照る。
グレイの顔が見たくて、上を見上げると、私の顔を見てグレイがまた、ため息をつく。
「そんな顔を外でするな」
誰のせいで、こんな顔になったと思ってるんだ、と思う私を周囲から隠すように、グレイはまた私を強く抱き締めた。