77.南央部の空の下で
ロイ君視点です。
少し時間が遡ります。
こんにちは、ロイ・アンダーソンです。
僕は今、国の南央部のある地域にて、魔物の掃討に励んでいる。
僕の所属する第一騎士団は今、黎明の聖女、リサ様の南央部の瘴気を払う遠征に同行していて、リサ様が安全に現地に入られる為に、瘴気の濃い地域に巣くう魔物を倒しておく必要があるからだ。
今いるのは、かつて村だった場所で、村が1つ壊滅したこの辺りは、打ち捨てられた民家の中に小型の魔物が多数巣くっていて、一軒一軒潰していくのに骨が折れる現場だ。
肥沃な穀倉地帯であるこの辺りは、農村とはいえ豊かな地域で、民家も大きく納屋や家畜小屋が付いていて、1つ1つの家の魔物の駆除に時間がかかる。
家屋を焼き払えたら楽なのだけど、瘴気が払えた後、住民は戻ってくるのにそんな事出来る訳がない。
という訳で、本日もちまちまと数軒分の魔物を掃討し、安全を確認した所だ。まだまだ家屋は残っているが、日も暮れるし、今日はここまでとなり、夕暮れ前に野営の準備を始める。
やれやれ、と火を起こそうとし出した時、フェンデル第二王子殿下が「カサンディオはいるか!?」と急ぎの様子で団長の元へとやって来た。
王子の様子に、何だろうと思って僕達は聞き耳をたてる。
「浄化前の土と水を集める?魔法部の要請でですか?」
団長の戸惑う声が聞こえる。
「採取の場所を細かく記録もして欲しいのだそうだ。そして、地点をばらして出来るだけ多くのサンプルが要る。水は井戸の水と、灌漑用の用水路や、ため池の水が欲しいらしい」
フェンデル王子が説明する。
「大至急だ」
続いての王子のその言葉に、僕も含めて周りの騎士達は思わず、「ええぇー」という嫌そうな顔で王子と団長を見た。
もちろん、声には出してないけど。
1日中、薄暗い家の中の箪笥や棚を緊張しながら検分し、床下を確認し、腹這いで屋根裏に上り、家屋内では普段の長剣は使えないので、慣れない短剣を振り回した僕達は疲れきっている状態で、今から地点を細かく記録しながら、土と水を出来るだけ多く採取するのは全然楽しい事ではない。
僕達の視線に気付いて、フェンデル王子と団長は声を落とす。
「今からやれと言われれば、もちろんやりますが」
みたいな団長の答えが、ちらりと聞こえて、フェンデル王子は申し訳なさそうな顔をした。
うーん、もうひと仕事あるみたいだ。
僕達は、しょうがないなあ、もー、という雰囲気になる。
騎士達が聞き耳を立てる中、ぼそぼそと2人で詳細を話していたその終盤、僕はフェンデル王子が「アンズ殿」と言った気がした。僕がぴくりと反応するのと同時に団長の大きな声も上がった。
「は?」
僕達は一斉に団長を見て、その視線に団長は、はっとなって再び声を落とすけれど、明らかに動揺しているし、声も落としきれていない。
こういう団長は珍しい。
「……失礼しました、それはどういう?妻が?」
「私にもそこはよく分からないのだが、伝令が言うにはアンズ殿も絡んでいるようだ」
アンズさんが絡む?
魔法部に?
大至急の土と水の採取に?
どうしてだろう、と思うのと同時に、アンズさんならやりかねないな、とも思う。
あの人は僕の想像なんか越えていく人だ。
それにしても魔法部?
魔力もないし、魔法の事はよく分からないって言ってたのになあ。
何にせよ、とにかく土と水の採取を急ぐ命には、カイザル第一王子の印章入りの書状まであるらしく、つまり魔法部のトップが直々に至急だと言っているのだ。
もう急ぐしかない。
僕達は、用意された硝子の中瓶にせっせと現地の土と水を詰める作業をする事になる。
これらはその日の夜半には野営地から運ばれて行った。夜通しかけた後も馬を替えて都へと運ぶのだという。
なぜこんなに急ぎで必要なのかは、僕達には知らされない。知らせれる段階ではないらしい。
翌日、僕達は昨日のあれ、何だったんたろうな、とか言いながら、再び民家に巣くう魔物の掃討の日々に戻った。
ただ、僕達の任務に変わりはなかったけれど、何やら上層部は、その日以降バタバタしている。
フェンデル王子は頻繁に団長の元を訪れていて、魔法使い達も含めてテントに籠る事もある。
追加のガラス瓶も多く運び込まれていて、魔法使い達は魔物そっちのけで、瓶を持って出掛けていく。
団長の元には、どうやらカイザル王子からの私信が届いていたようだし、何かは起こっているようだ。
何だろうなあ、と思いながらひたすら箪笥を開け、屋根裏に上がり、1週間経った。
この日は、昼から黎明の聖女、リサ様が現地入りされた。
南東部の瘴気を払っていた際は、フェンデル王子監督の元、瘴気の現場の魔物が殲滅されてからでないと、リサ様は現場まで足を運ばれる事はなかったのだが、今回は、あらかた危険がないと判断された時点で現場に来られる。
浄化魔法で瘴気を払う事で、残っている魔物の力が弱まり、掃討が楽になるからだ。
これは、以前より知られていた事で、だからリサ様としては、いつも1日でも早く現場に行きたかったけれど、危険だからとフェンデル王子が阻止していたらしい。
この度の南央部遠征では、リサ様の世話役からフェンデル王子が外れたので、可能になったようだ。
リサ様は、いつも神殿のおじいちゃん神官達に囲まれて、元気いっぱいでやって来る。
現場の騎士達にも気さくに話しかけてくださり、時々「~っす」という方言も出ている。
聖女様のそんな可愛いらしい一面に骨抜きになっている騎士は多い。
今日も、お昼時だからと、ご自慢の飯ごう(僕が差し上げたものだ)をカラカラと振りながら来られて、早速焚き火の1つでインを炊きだしている。
周囲の騎士達は少し緊張しながら、自分達の炊き出しをする。
気さくで可愛いけれど、何といっても黎明の聖女様だ、その癒しの力で助かった者も多いし、浄化の瞬間は神々しく、とても同じ人とは思えない。近くにいると、やはり緊張はするのだ。
リサ様の周囲には、緊張しつつも嬉しい、みたいな雰囲気が広がっている。
ところで、リサ様が現場入りされると、フェンデル王子はさっと隠れて遠目でひっそりとその様子を見ているのが、最近のお決まりだ。
リサ様に絶交されているのは有名なので、皆、そっとしておいてあげている。
悪い方ではないし、王子がリサ様に想いを寄せているのは周知の事実なので、身を隠している様子は不憫だな、なんて思ってしまう。
リサ様が遠征の地で過ごしやすいようにと、裏からはいろいろ手を回していると聞くし、絶交の一因となった、以前突き飛ばした男の子にもわざわざ謝罪しに行ったらしい。
振られたせいで、少し情緒も深くなられ、前よりは気遣いが出来るのだとか。
フェンデル王子が、ちらちらと遠目でリサ様を見ているのを見ると、僕もフローと仲良くなる前はこんなだったんだろうな、と思う。
騎士団に納品に来たフローに恋に落ちてからは、彼女が来る度に、何くれと理由をつけて手伝ったなあ、懐かしいなあ、フロー元気かな、なんて愛する妻を思い出していると、周囲がざわっとなった。
「うわ、あれ、魔王じゃないか?」
「ほんとだ、魔王だ」
「マジかよ、現場に来るの珍しいな」
「隻眼になってからは、滅多に出られないのにな」
え、魔王?
驚いて、皆が見ている方向を見ると、騎士団で“魔王”と呼ばれている男、ワーズワース魔法部長官が、とてつもなく大きい黒い馬に乗って到着した所だった。
遠目でもその見事な体躯がよく分かる。
ローブの上に黒いマントをなびかせている様は、そこらの魔物なんかよりずっと禍々しい。
これは、確かに魔王だ。
圧倒的な存在感に、僕はごくりと唾を飲み込む。
隻眼になってからも、城の魔法使いの中では最強だし、その堂々たる見た目通り、剣も中堅未満の騎士では相手にならないらしい。
「聖女様はどちらに?」
ワーズワース長官が低く、低く、聞く。
近くの騎士がリサ様の場所を教えると、馬をそちらに進めた。
「あれ?長官、お久しぶりっす!」
リサ様は現れた魔王にびくともせず、しっかり方言も出している。
どうやらワーズワース長官には心を許しているようだ。あれに心を許せるってすごいな。
「一緒に、イン食べます?ん?急ぎ?急ぎなんすね、今すぐ?いいっすよ」
リサ様が頷くと、長官はひょいっとリサ様を荷物みたいに小脇に抱え上げ、村へ向けて駆け出した。
えっ、完全に魔王に拐われていく聖女だけど、大丈夫かな。
リサ様の周囲もびっくりしている。
絵的には、「聖女はもらっていくぞ、ぐはははははは!」という魔王の高笑いが聞こえてきそうな場面だ。
リサ様が、「インが炊けたら、蒸らしておいてほしいっす~」と叫ぶ。
数名の護衛の騎士が慌てて後を追った。




