71.悪意のありそうな噂
「でも、時には仕事場に鍵をかけて籠っているんでしょう?」
待て待て待て!
「鍵をかけてる間は、私1人なんですよ。イオさんはその間、魔法部に行ってるんです」
何という誤解かしら。
そんなのがグレイに伝わったら、私、マジで1週間くらい手篭めにされるんじゃないかしら?
「……ふーん、そうねえ、確かに城で少し情報収集した感じだとお城ではそんなに噂じゃないのよね」
「そうなんですね、良かった」
良かったあ、そうだよね、皆知ってるもんね。イオさんが最近は魔法部に居るの知ってるもんね。
「安心してる場合じゃないでしょう?」
「えっ、でも、噂は違いますし」
「そういう噂が立つのが問題でしょう?しかも事情を知ってる城ではされてなくて、レディ達の茶会なんかで囁かれてるのよ?」
「はあ、でも茶会なんか行きませんし、特に実害はないですよ?」
私の回答にアマリリスさんは頭を抱える。
「無防備過ぎるわ…………それに、今、考えると、城勤めや騎士の家柄とは遠い所で広められてるわね、つまり」
「つまり?」
「つまり、あなたを貶める為に、嘘だと分かっていて否定されない場所で噂を広めてるのよ、恐らく特定の誰かが」
「えっ」
それは、何だか嫌な感じよね。
「こういう噂を流す人物に心当たりあって?」
アマリリスさんの質問に私はまずワム大神官を思い浮かべる。
私への敵意は、しっかりあるし、神殿の開かずの部屋を開けた時は、かなりギャフンとなった筈で、もしかしたら根に持ってるかもしれない。
でも大神官は今、疫病の流行地にいる。
まあ、人を使ってやれなくはないだろうけど……。貴族とはあんまり上手くいってないらしいし、お茶会でひっそり噂流す、とかするかなあ。
後は、図書室の受付レディの誰かかしら?
前に案内板に悪口は書かれたし…………でも、あの時、騎士までやって来て反省したと思うのよ。たぶん。
「うーん、特定の人は思い当たりませんね」
とりあえず、独断と偏見で犯人を仕立てる訳にはいかないし、ぼかす私。
「何だか、他人事ねえ。もう少し危機感を持った方がいいわよ。噂や評判って馬鹿にできないわ、それによって地位が揺るがされる事もあるのよ、最近だと、レバンド家がいい例よね」
「はあ」
レバンド家?最近どこかで聞いたような気もする。そもそも、その名前でもゴシップ紙が思い出されるから、何か、噂になったのでしょうね。
「あなた、異世界から来たからかしら?少し変わってない?」
「そうですか?」
「あのねえ、結婚した夫人が、その貞操を汚すような事は致命的なのよ?もっとのけ反って拒否しなさいよ。大体、私は元娼婦で侯爵の元愛人よ?よく軽蔑もせずに平気で話せるわね」
「まあ、噂については、嫌だな、とは思ってますよ。そこに悪意があるなら尚更嫌ですが、今、騒いでも仕方ないです。
そして、アマリリスさんはどちらかと言うと、立派な職業婦人です。身ごなしは優雅で品もあります。グレイとも対等な立場だったんですよね?軽蔑なんてしません」
ええ、しません。
職業に貴賤はないと習いましたもの。
それに、グレイは女を見下して付き合うような人じゃない。お義父様もアマリリスさんの存在を知っていたようだし、かなり本気だったんじゃないかしらね。
かなり本気、にはモヤッとはするけどね。
でも、きちんと恋愛出来るのは良い事よね。
私がきっぱり言うと、アマリリスさんは、まじまじと私を見る。
「あなた……やっぱり変わってるわ。貴族のマダムやご令嬢は、元娼婦ってだけで口をきくのも嫌がる人もいるのよ」
「そんな中、社交界で立場を築いているアマリリスさんはすごい人です」
「伯爵家の後ろ楯も、豊富な人脈もあるもの。話さえ出来れば、女だろうと陥落させる自信もあるわ」
「全て、あなたの実力でしょう?」
成り上がり女社長みたいな感じかしらね。
「…………最初から私に落ちてる女なんて初めてで、調子狂うわね」
「え、いや、落ちては」
落ちてはないわよー。
確かにその色気と、すごくいい匂いにクラクラしちゃうけど、落ちないわよー。
「噂は私が消しておいてあげるわ」
「え?わあ、ありがとうございます」
アマリリスさんは、私を気に入ってくれたみたいだ。
「今度、お茶にも誘うわ」
おっと、大分、気に入ってくれたみたいだわ。
お茶?
元カノと、現夫人で?
「え、いやでも、普段は働いておりますし、社交は壊滅的なんですよ」
「さしで飲むから大丈夫よ。あなたのお休みの日に合わせてあげる」
やんわり断ろうとすると、色気たっぷりに微笑むアマリリスさん。
さし?わお、それ、飲むのお茶かしら?
何だかドキドキするわね。
でも、悪い人じゃなさそうだし、どちらかというと魅力的だし、このお誘いを断るのは女が廃るのでは?と思う。
「お手柔らかにお願いします」
「ふふ、分かったわ。あなたは、第三王子との噂に気をつけなさい」
「あの、1つ、聞いておいてもいいですか?」
「なあに?」
「グレイとはなぜ、別れたんですか?」
かなり本気だったグレイが、アマリリスさんを娼婦のまま放り出す筈がないと思うのだ。
「ふん、侯爵は私を身請けして、愛人として囲おうとしたのよ。さすがに正妻としては家族の了承がなかったのでしょうね。私はやっと娼館から出て、また日陰の女なんて真っ平ごめんだったし、未婚で愛人囲うなんて、侯爵の評判にも影響するでしょう?そんな暗くて危険な恋は嫌よ。あんたなんて遊びよ、って振ってやったわ。未練なら、ないわよ」
アマリリスさんはそう言い、「じゃあ、またお手紙を差し上げるわ」と、色香といい匂いをほのかに残して去って行く。
優雅なその背中を見送りながら私は、私との結婚の時、グレイが身分と家族の了承を既にガッチリ固めていたのは、この失恋の経験を踏まえてだったんじゃないかしら?と考える。
一夜限り、の告白の夜、「遊びのつもりなのか?」と聞いてきたグレイの声はかなり硬かった。
いろいろ思い出していたに違いない。
愛い奴ではないか。
帰ってきたら、そこんとこ揶揄かってやろう、と私は心を決める。
そしてセバスチャンに、アマリリスさんから招待状が来るかもしれない事、言っておかないとな、と私は思った。




