70.元カノの襲来
どうも、アンズです。
最近の私といえば、遠征中のグレイを時々心配しては、イオさんの恋を見守るという日々を送っております。
そんな日々のある日の事でしたよ。彼女に会ったのは。
その日、私は1人で裏庭にて、お昼を食べていた。穏やかな昼休みだった。
そう、彼女が現れるまでは。
「よろしくて?」
何やら鼻にかかった色っぽい女の声がして、振り向くと、そこには艶やかな藍色の髪の毛に紅い瞳、髪よりも少し淡い藍色のドレスを着たレディが立っていた。
レディは口元にはほくろまであって、イヤにあだっぽい。
でも、身ごなしはとても優雅だ。
「あなたが紫黒の聖女、アンズ様よね?」
女は言う。敵意はないが、友好的でもない。
でも、黒髪に黒い瞳では嘘もつけないし、私は認める。
「そうです。あなたは?」
「サバンズ伯爵夫人です」
女はニコリともせずに自己紹介した。
サバンズ伯爵…………聞いた事があるぞ、と私の脳が言う。
何かしら、と記憶を辿ると、思い浮かぶのはゴシップ紙だ。
こちらの世界に召喚されて、城でほぼ軟禁されていた時に過去分にまで遡って読み漁ったゴシップ紙が思い浮かぶ。
サバンズ……サバンズ……、夫人?
「…………ベッキー・サバンズ伯爵夫人?」
名前を言うと、女の顔がひきつった。
「ベッキーなんて呼ばないでちょうだい。そんな平民じみた名前」
そう?可愛いのに。
確かに、見た目と名前は全然合ってないけど。
なら……
「アマリリスさん?」
アマリリスさんは、目を見開く。
「あなた、嫌な女ね。グレイはどこまで話したのかしら?」
おっと?
私はドキドキしてくる。
なになに?グレイが出てきたわよ。
何だか修羅場っぽい展開だわ。
あれ?しかも私はグレイからは何も聞いてないわよ。“ベッキー”も“アマリリスさん”も全部ゴシップ紙からの情報よ。
それは数年前にかなり話題になった結婚だ。
高級娼婦のアマリリスさん(こちらは源氏名的な名前ね)が、ご高齢のサバンズ伯爵に身請けされて、後妻として結婚したのだ。
後妻とはいえ、娼婦が正式な伯爵夫人として迎えられたから、物凄く話題になった結婚よね。
そこに、どうしてグレイが絡むのかしら…………ん?
「………………っ、あ!」
私は思い出す。
ええ、しっかり、はっきりと思い出す。
“カサンディオ侯爵家の嫡男との色恋でも有名だった娼婦アマリリス”
確か、記事にはそう書いてあった筈だ。
「ああっ!」
もう1つ、思い出す。
“カサンディオ団長はモテますよ、高級娼婦のアマリリスさんとの事は有名でしたし”
グレイと出会った当初、フローラちゃんが言ってた言葉だ。
「あああっ!」
更に更に、お義父様の対面時の言葉も思い出す。“前の娼婦より、ずっとマシだな”
「うあっ」
驚愕して、アマリリスさんをまじまじと見る私。
うわお、本物だわ。
大変、元カノなんだわ。
ええぇ、元カノが私に一体何のご用なのかしら!
そして、何その、立派なのに下品じゃない胸!にお尻!
アマリリスさんのドレスは、胸元の開いた細身のもので、否応なく彼女の体のラインが分かる。ラインが分かるけれど、品が悪いという程ではない。
私よりは断然豊かな胸の大きさは、グレープフルーツくらいで、本当にちょうど良い大きさ、お尻もぷりんと存在を主張するくらいの素敵なお尻だ。
思わず自分の体を見下ろす私。
………………。
あれを知ってて、よく私を選べたなあ……。
なんて、ちょっとしょんぼりしてしまう。
「あなた……グレイから私の事を聞いたんじゃないの?」
私の一連の不審な行動に、アマリリスさんは眉を寄せる。
そういう表情も色っぽい。
「グレイからは何も……。読書しか出来ないような日々がありまして、過去5年間分くらいのゴシップ紙は目を通したので、そこでアマリリスさんの事を読みました」
「過去5年分のゴシップ?なぜそんな物を?」
「ご存知の通り、私は異世界からやって来ました。頼るものが何もないこの世界で生きていく為です」
アマリリスさんをひたと見据えて、静かに告げると、彼女の私を見る目が変わった。
「…………」
少し、友好的というか、好敵手みたいな眼差しになる。
「ふーん、安い挑発にも乗らないし、カサンディオ侯爵が選んだだけはあるって事ね」
アマリリスさんが、グレイ呼びを止める。
さすが高級娼婦だっただけある。先程までの、グレイの名前呼びは挑発のためだけだったみたいだ。
高級娼婦、かなり高位の貴族等が通うような娼館に居る娼婦達の事だ。
彼女達は体を売っている訳ではない。
男達も彼女達との夜だけを目当てに通う訳でもない。
もちろん、女との駆け引きや有意義な時間を過ごす為にも通うが、そういう場所は、デリケートな政治や商売の話でも使用され、働いている女達はそれらの相談相手や見届け役、更には話を有利に進める手助けもしたりする。
賢くて頭の回転が早く、適度な愛嬌もあって勿論美しい、という女達の中でも更に選りすぐりの女達が働く場所だ。
「この国の風俗の歴史と現状」なんて言う本まで読んだ私は知っている。
高級娼婦、と呼ばれる彼女達は、自分が認めた男としかベッドは共にしないらしいし、そういった女に認められるのはちょっとした名誉、との事。
だから、目の前のアマリリスさんも、胸とお尻が素敵なだけの女ではないのだ。
実際、サバンズ伯爵領は彼女が後妻におさまってから、新たな事業にも成功しているし、アマリリスさんはちゃんと社交界でもご活躍だ。
さて、ここで、最初の疑問ね。
「あの、アマリリスさんは私に何かご用でしたか?」
そう、元カノが何の用?って話ね。
修羅場かしら?
今から修羅場なのかしらね。
「そうね、興味本位が一番で、二番が忠告をしに来たってとこかしら」
アマリリスさんは、妖艶に笑う。
「興味本位?」
「あなた、社交の場にほとんど出てこないじゃない?私、侯爵には少しご縁があったからどんな方かしら、と気になってたのよ」
ほほう、少しのご縁ですか。
ほうほう、少しの、ねえ。
「少しの、ですか」
思わずちくり、と言ってしまう私。
私だって女ですもの、色恋にはあっさりしている方だと思うけど、夫の元カノなんてもちろんモヤッとはするわよ。
「やだわ、怖い雰囲気出さないで。侯爵は若気の至りだったはずよ」
「へえー、そうですか。ところで、アマリリスさんはおいくつですか?」
「私?27才よ」
ふむ。
歳を聞いて、私は少し機嫌が直る。
昔から年上好きなんだな。可愛いやつ。
「そして忠告、とは?」
気を取り直して聞くと、アマリリスさんは私に身を寄せた。
すごくいい匂いがする。
「大っぴらではないけれど、あなたと第三王子殿下が恋仲だと噂になってるわ」
扇子で口元を隠してひそひそとアマリリスさんは言う。
「へ?」
イオさんと?
「侯爵が遠征に行った途端に、2人きりで籠っているのでしょう?前に婚約の話も出ていたらしいし」
「ええぇぇ、籠ってるって、仕事ですよ?」
しかも、イオさんだよ?




