68.恋のイナズマ
半地下の研究室に響くノッカーの音。
お客様なんて珍しいな、と思いながらも、イオさんと声を揃えて、どうぞ、と答えると「失礼します、騎士団からの遣いで参りました」と扉を開けて入って来たのはローズだった。
「えっ、ローズ?」
思いがけない場所と時間のローズの登場に、私のバックにヨロコビの小花が散る。
当にラッキーローズだ。
だが、そんな私の小花をかき散らすように、私の隣にもっと大きいものが落ちた。
小花なんて目じゃない、大きなもの。
私の隣に落ちる、恋のイナズマ。
ピッッシャアアァーン!!!
ん?
今、隣に何か落ちたわよね?
私はお隣のイオさんを見る。
「…………」
そこには、恋のイナズマに打たれたイオさんが居た。
夢うつつの表情で、呆然とローズを見るイオさん。
「…………」
私は、イオさんからローズへと目を移す。
イオさんのせいなのか、ローズのバックに花が見える。百合とかガーベラとか、しっとりカッコいい系の花。
ローズは私と目が合って、少しだけ口角をあげると、イオさんへと礼をした。
「失礼致します、第三王子殿下。先日、騎士団よりお渡しした資料に、地名の間違いがあったとお伝えしに参りました。こちらのメモを渡せば、分かると聞いております」
ローズは研究室の机の上には、一切視線を合わさずに、メモを差し出す。
メモを呆然と受け取るイオさん。
「では、私はこれで」
「あ、ローズ、」
「アン、またお昼に」
ローズは今度は微笑みながらそう言って、去って行った。
ぱたん、と研究室の扉が閉まる。
「……」
私はイオさんを見てみる。
固まったままだ。ローズから受け取ったメモをぎゅうっと握っている。
「イオさん?」
「……」
反応しないイオさん。
「イオさーん」
「……」
ダメだこりゃ。
私は諦めて、席に付き、ぼんやりと地図を眺めてイオさんの再起動を待つ。
しばらくすると、イオさんはゆっくりと私の向かいに座った。
そのまま虚空を見つめ、それから自分の手の中のメモをじいっと見る。
その視線は熱い。
イオさーん、それ、ただのメモよ。
ローズからの贈り物でも何でもないのよ。
書いたのは、きっと騎士団のおじさんとかで、ローズは持ってきただけよ。
そんな私の心の声なんて、もちろんイオさんに届く訳もなく、ひたすら、じいっとメモを見つめるイオさん。
これは、えーと、恋に落ちた(もはや、墜ちた、かしら)、でいいのよね。多分。
イオさんって、ローズと初対面だったかしら?私の結婚式で会ってると…………そうか、結婚式の時はイオさんずっと泣いてたから、周りなんて見てないわね。
一目惚れ?一目惚れなのかしら?
まあ、ローズは私も惚れ惚れするくらいに、ビシッとしていて、その目は強い意思が感じられるのに佇まいは静かで、素敵よね。一目惚れくらいするでしょう、そこは問題ないわ。むしろ、当然の事だわ。
そして、イオさんがローズを狙うなら、私は応援するわよ。ちょっと変だけど、いい人だし、優しいし、王子だし。
ローズが嫌がらなければ、応援するわよ。
「……アンズさんは、さっきの方とお知り合いなんですか?」
おおっ、イオさんが起動した。
「はい、こちらに来た時から私に良くしてくれていた人で、友人です」
「そ、そうですか」
もじもじと、メモをいじるイオさん。
聞かれてないけど、私は教えてあげる事にする。
「名前はローズ。平民なので家名はありません。お城の侍女で今は騎士団付きの筈です。年は28才です」
「28才…………」
ローズの年齢を聞いて、イオさんが愕然とした。
あら?年上ダメなの?
そんな、あからさまにがっかりされると、29才の私としては、複雑だぞ。
「……当然、ご結婚されているのでしょうね」
「あ、そういう」
なんだ、そういうがっかりね。
良かった、良かった、と29才の私は胸を撫で下ろす。
「してないですよ。未婚で、結婚歴もないと聞いてます」
「ええっ!!なぜですか!?」
がたんっと立ち上がる鬼気迫るイオさん。
「わっ、ええっ?」
私は突然の鬼気迫るイオさんに、びっくりする。
「なぜ、結婚してないんですか!?あんな素敵な方が!!」
劇画タッチになったイオさんが叫ぶ。
「えっ」
「おかしいじゃないですか!?」
くわっとイオさんが吠える。
「いや、あの」
「どういう事ですか!アンズさんっ」
「ええぇ」
私のせいじゃないわよー。
落ち着いて、イオさん、落ち着いてー。
私はイオさんを宥めつつ、差し障りない範囲でざっくりローズの身の上を話した。
故郷が魔物に襲われて、家と家族を失い、遠縁の貴族の紹介で侍女になった事を伝え、きっと生きていく事に必死で結婚なんて考える暇はなかったんじゃないかなあ、と付け足しておく。
本人から聞いた訳ではないけれど、遠縁に貴族がいるだけの平民の侍女なんて、大変だったと思う。
ローズは絶対仕事が出来るタイプだし、淑女のマナーも完璧だし、新人の頃から今の侍女長さんに目をかけてもらっていたらしいけれど、それでも大変だった筈だ。
恋くらいしたかもしれないけど、身を焦がしたりはしなかったんじゃないかしら、そして、男が言い寄る隙は一切なかったと思う。
今も、言い寄る隙、ないもの。
おっと、これは問題ね、言い寄る隙はないよ、イオさん。
「そんな……じゃあ、ずっとお一人で?」
イオさんが辛そうに顔を歪める。
「詳しく身の上を聞いた事はないので、どうでしょうか。でも遠縁の貴族の方達は良い人達だって言ってたし、寂しかった感じはないですよ?お城に住み込みで、同僚の方とも大体上手くいってるみたいだし」
ええ、大体ね。ちらほら平民出な事をネチネチ言う奴は居るらしい。
「そうか、住み込みなら、そうですね」
イオさんは、ゆるゆると席につく。
そして、「ローズさんというんですね」と呟きながら、再びメモを熱く見つめる。
だからそのメモは、騎士団のおじさんの書いたメモだよー。
と思うけど、イオさんの中では今のところ、そのメモだけがローズとの繋がりなんだろうな。
メモを見つめるイオさんを少しの間眺めてから、私は遠慮がちにこう誘ってみた。
「イオさん、私、今日のお昼はローズと図書室近くの裏庭で食べますけど、ご一緒します?」
イオさんが、ぱっと顔を上げる。顔が真っ赤だ。
「あ、いや、えっ?」
「もし、ご一緒したければですけど」
「いや、あの、えーと……」
「バレバレです、イオさん」
「え?ばれ……」
真っ赤なイオさんは何か言い訳しようとして止め、俯いてもじもじする。
待ってあげる私。
散々もじもじしてから、イオさんは決意を固めたように私を正面から見た。
「アンズさん、お気遣いありがとうございます。ですが、遠慮します」
そして、キリリとしてこう続けた。
「自分の恋は、自分で何とかします」
「…………イオさん」
不覚にもドキドキする私だ。
やだ、カッコいい。
イオさんが、カッコいい……。
びっくりだわ、初めてイオさんに男を感じる。
「分かりました、では、そっと応援しますね」
私は微笑んでそう告げる。
イオさんは恥ずかしそうに「ありがとうございます」と言った。
「……あの、アンズさん」
さて、仕事に戻ろうか、としている私にイオさんが気まずそうに呼び掛ける。
「はい」
「お気遣いを遠慮しておいて、何なんですが、こ、恋人の有無だけ確認しておいてくれませんか?」
真っ赤っ赤なイオさんだ。
私はその日の昼にすぐ確認してあげた。
ローズには恋人も意中の人もいなかった。
お読みいただきありがとうございます!
次の更新は少し開くかと思います。
イオさんを恋に突き墜としたものの、作者はローズを口説き落とす自信はないです……困った。




