66.イオさんの盆と正月
大理石の皿二枚の手前に、ぴったりと揃えられた杖2本。
お気付きかしら?
イメージしてみてね、皿の前にある、細長い棒2本を。
そうですよ。
こうなると、これは杖2本じゃない、お箸だ。
こうして皿の前で揃えられると、これはもう、完全にお箸。
通常の箸よりも長めなので、感覚的には菜箸だけど、もう、お箸にしか見えない、杖2本。
ドキドキドキ……
私の心臓が、希望の光みたいなものに高鳴る。
どう見ても、お箸、よね?やたら凝った彫り物が施されたかなり高貴なお箸だけど、お箸はお箸だ。
これはもうお箸でいいよね。
200年前の聖女様が、お箸文化圏だった可能性はあるだろうか?
あるわよね?
あり得る話よね?
それなら……
私は正方形の箱より、ざらっと黒い石達を、左の皿へと出した。
箸文化圏において、二枚の皿と、掴みにくそうな豆のようなつるつるの石達と、お箸、でやる事は1つだ。
そう!たった1つだ!
私は手が震えないように深呼吸してから、殊更に儀式っぽく見えるように優雅に杖2本、ではなく、お箸を、お箸として手に取った。
ごくり……。
私の真剣な様子に、ジェンキンくんも、スミスくんも、ギャラリーの神官達も固唾を飲んで見守りだす。
物凄い緊張感の中、私は、左の皿から黒い石を一粒優雅に摘まみ、右の皿へと移した。
かろんっと乾いた音で、黒い石が転がる。
私はゆっくりと、重々しく、他の黒い石達も左の皿から右の皿へと移していく。
かろんっ、かろんっ、
涼やかな音が外廊下に響く。
、、、15粒目、16粒目、17粒目、18粒目、
そして、
最後の、19粒目が、右の皿へと移される。
かろんっっ
最後の、かろんっ、が響き渡り、
昼下がりの、穏やかで、音1つ無くなった、神殿の中庭に、
ガッコン、ギイィ……
という、重たい石の扉が開く音がした。
やったーー!!
開いたーーーー!!
開いた!
開けたぞ!
そう、私はお箸で、黒い石達を左の皿から右の皿へと落とさずに移して、開かずの部屋を開けた!
部屋の鍵に魔法は要らなかった、必要だったのは、確かな箸を操る技術のみ。
二代前の聖女様は郷愁を籠めてこんな鍵にしたのかしらね。
辺りが、どおっと歓声に包まれる。
そこから現場は、やんや、やんや、の大喝采。大盛り上がりで、皆で聖女様の資料室へと入る。
小さな部屋だったが、そこにはたくさんの貴重な蔵書達が眠っていて、ジェンキンくん始め、神官達は狂喜した。
治癒魔法に関する重要な文献もあるようで、涙を流して喜んでくれる人も居て、開けられて本当に良かったわ、と思う私。
「扉を開けたのは、アンズ様のお手柄だし、この蔵書は紫黒の聖女、アンズ様の物ですよ」と言ってくれるジェンキンくんに、「いえいえ、私は開けただけです。元々神殿のものでしょう。全て神殿に寄贈します、治癒魔法の発展に役立ててください」と伝えると、感極まる神官達。
「いいんですか!?とても貴重な物ばかりですよ?財産として考えると、値が付かないような物なんですよ!?」
ジェンキンくんは、唾を飛ばすくらい興奮してそう言うけれど、「大丈夫よ」と貰うのは辞退する。私が持ってても、宝の持ち腐れだもの。
「アンズ様は、噂に違わず本当に素晴らしい方なのですね」
ジェンキンくんは、私の手をぎゅううっと握る。何だかイオさんみたいなジェンキンくん。
「最近、貴族から神殿への寄付が減る一方で、中々、治癒魔法の研鑽や研究が進んでいなかったので、これらの貴重な書物は本当にありがたいです」
「寄付、そんなに減ってるんですか?」
私の問いにジェンキンくんは暗い顔になる。
「ワム大神官が、平民出だと言うだけで、出し渋る貴族がいるのです。出自に関係なく、素晴らしい方なのに……だから、寄贈は本当に嬉しいです」
本当に嬉しそうなジェンキンくん。
良かったわ。そう言えば、大神官はいつの間にか姿を消していたけれど、こちらとしてはもう関わりたくないし、探さない。きっとどこかで、ギャフンとなっているのでしょう。ふふふ(黒い笑顔)。
そうして、私とスミスくんは、神官達に名残を惜しまれながら神殿を後にして、心配しきっていたヘラルドさんに迎えられたのだった。
めでたし、めでたし。
***
そんな結果的に大活躍した神殿見学を終えてから5日後の今、私は古代魔法研究室の半地下の部屋に、ホクホクのイオさんと2人で居る。
「アンズさん、本当にお手柄でしたねえ」
イオさんが満面の笑みで言う。
「本当に、素晴らしい事です、アンズさん」
イオさんは朝から、ずううううぅっと、ニコニコしながらひたすら私を褒めている。
「神殿の開かずの部屋を開けるなんて、さすがはアンズさんです」
ホクホク、ニコニコイオさん。
なぜ、開かずの部屋が開いてイオさんがこんなにご機嫌なのか。
実は、発見された200年前の聖女様の蔵書の中に、あったんですね。
たくさんの古代人による魔法文字の本達が。
神殿でも、こちらの扱いには困り(何せ、読めるの私とイオさんだけだからね)、この本達が今朝、イオさんの研究室へとやって来た。
その数、二十数冊。
と言う訳で、盆と正月がいっぺんに来た、みたいなご満悦なイオさんだ。
「いやあ、これだけあると、どれから読みましょうかね。アンズさんとの時間も3ヶ月先までたっぷりありますしね」
「ソウデスネー」
遠い目の私。
少なくとも3ヶ月は、犯行声明文漬けの生活かあ……とぼんやりしてしまう。
ええ、魔法文字は、私からすると、新聞を切り抜いて作った、平仮名とカタカナと、当て字の漢字混じりの気持ち悪い文章で、何とか読めるけれど、読み続けるのはしんどいのだ。
読み続けるのはしんどいのと、あくまで私は司書、という事で研究室助手は週に1回から2回くらいだったのだけど、この度の大神官による神殿への拉致(ヘラルドさんは今回の事を、拉致、と呼ぶ)、を重く見たヘラルドさんが、大神官みたいなややこしい人が来ても、断れるイオさん(何と言っても第三王子だ!)の元に私が居た方が良い、と言い出した。
大神官はきっと、グレイの第一騎士団が遠征に行った事を知ってて、私の元に来たのだろうから、第一騎士団が戻る予定の3ヶ月先までは(遠征に付いていく騎士団は交代制なので、南央部の遠征自体は半年程かかるけれど、グレイは3ヶ月で戻る予定)、私はイオさんの研究室助手として働く事となったのよ。
ヘラルドさんに迷惑をかける訳にも行かないし、また神殿に招待されるのはご免だ。
大神官は明日にも、西部の疫病が流行している地域に出発するけれど、開かずの部屋を開けた私は神殿では大注目のようだし、また、何かあるかもしれない。
なら、イオさんに、がっちりガードしてもらおう、と神殿見学の翌日より私は研究室に詰めていて、本日の朝、二十数冊の魔法文字の本が届いたのだった。
「もちろん、アンズさんに無理のない範囲で進めていきましょうね」
気遣いを見せながらも、ルンルンのイオさん。
「はーい」
「頬が弛みますねえ、3ヶ月も古代人とアンズさんを独り占めです、蜜月ですね、アンズさん」
あはは、そうですねー、と答えながら、この状況、グレイが戻って来たらすごく嫌がるんじゃないかなあ……という新たな心配が首をもたげる。
激励会の夜会で、イオさんと私の距離の近さを目撃して以来、イオさんをかなり警戒している様子のグレイ。
嫌がるだろうなぁ……そういう色恋の心配は無用なんだけどな。
ううむ、イオさん、帰ってきたグレイに「蜜月でしたよ!」なんて絶対に言わないでね、と強く思いながらも、どうしようもないし、イオさんとは本当に何の心配もないので、私はとりあえず、新しく入った犯行声明文に手を伸ばした。
お箸への感想、ありがとうございます!
そう、お箸でした!




