63.思ってたより立派な大神官
「おはよう、アンズ殿」
1週間と少しの結婚休暇を終えて、図書室勤務に復帰した初日、始業開始とともに私を訪ねて来たのは、私の中で今大注目のハンク副長官だった。
「おはようございます、ハンク副長官」
「改めて、結婚おめでとう。アンズ殿は結婚して、また一段と美しくなられたな。お祝いの席に呼んでくれてありがとう、妻と共に楽しめた」
「それは、良かったです。こちらこそ、来ていただいてありがとうございました」
私は、にこにこする。
ええ、ほんと、楽しんでらしたわよね。
見てましたよ、とっても楽しそうなハンク副長官を。
おでこチュー、に、あーん、も見てましたよ。
にこにこ、が、にまにま、になる私。
想像だけれども、侍女長さんはお家では、機能性重視のわりと地味な格好で、あんな可愛いドレスなんて滅多に着ないんじゃないかしら。
髪の毛も、ハンク副長官が「下ろしていた方が可愛いよ、インガ」とか言っても、邪魔だから、とずっときつく纏めてるんじゃないかと思うのよ。勝手な想像だけど。
そうなると、普段は見れない可憐な様子の妻が、外で少し緊張しつつ、自分の腕に縋ってくるんだもの、浮かれたでしょうね。ええ、浮かれたでしょうね!
外れのガゼボでとはいえ、おでこチュー、に、あーん、でしたものね。
でも、もちろん、私は冷やかしたりなんかしないわ、大人ですもの。さらりと仕事モードで挨拶するわよ。
「本日は、招待のお礼でわざわざ来てくれたのですか?」
「もちろん、それも目的の1つではあった」
「それも?」
何だか、仕事の匂いがする。
新たな翻訳の依頼かな?
私はにまにま、を引っ込める。
「もう1つ、こちらもお礼だ。マナンカナ族が説得に応じて、治癒魔法を受けてくれる事になったんだ、アンズ殿が翻訳してくれた手紙のお陰だ、ありがとう」
ハンク副長官がにこにこする。
「あー、例のやつですね、良かったですね」
マナンカナ族とは、激励会の夜会で大神官とやり合った時に出てきた、国の西部の部族の名前だ。
西部で流行っている疫病の中心に居る部族なのに、宗教的な理由で治癒魔法の治療を拒否していた部族。
疫病が流行りだして数ヶ月。神殿から治癒魔法の使える神官達を派遣したいのだが、流行の中心地のマナンカナ族が派遣を拒んでいるので、ずっと待機中となっている。
かなりの数の死者も出ているし、流行は治まる気配がなくて、他の地域へも感染が広がるのでは、と懸念されていたのだ。
それが、この度解決したらしい。
「本当に助かったよ、ありがとう」
「いえ、私は訳しただけです。元々の文章を書いた方のお陰です」
元々が、かなり熱意あるお手紙だったのよ。
説得に応じてくれたのは、そのお陰だと思う。
「もちろん、それもあるだろうが文章と合わせて、アンズ殿がマナンカナ族からの手紙を真似て書いた、出だしと結びの言葉が良かったようなんだ」
「出だしと結び?…………あー、あれですか、ピクピク、と、シャーベット」
「それだ、ピクピク、と、シャーベット」
「あれが良かったんですか?ピクピク、シャーベットが?」
「非常に重要だった」
「へえぇ、あれが……」
ピクピク、と、シャーベット、何かしら、と思うわよね。私も思う。
書いておいて何だけど、何かは分かっていない。シャーベットは、あのシャーベットかしら?氷菓の?それも分からない。
でも、マナンカナ族からの手紙は、冒頭は絶対に「ピクピク」で始まり、最後は「シャーベット」で締められていて、よく分からないけど「前略」「草々」的なものかしら?と思って、こちらからの手紙もせっせと「ピクピク」で始まらせて、「シャーベット」で終わらせていた。
それが、良かったみたい。
「彼らの神を讃える言葉だったようなんだ、その二言があるお陰で、こちらが彼らの神を冒涜するつもりはない事を納得してくれた」
「まあ」
ピクピク、と、シャーベットが?
ほんとに?
ピクピク、に、シャーベット、よ?
「だから、そこはアンズ殿のお手柄だ」
「何にせよ、お役に立てて良かったです」
全くの偶然なんだけど、お役に立ったなら良かった。
「やはり、アンズ殿を外交部に欲しいなあ」
ハンク副長官が、妖しい笑みを浮かべて言う。
「行きませんよ、図書室、気に入ってるんです」
「まあ、第三王子も離してくれないだろうしね。しかし、うちが先に見つけていればなあ」
「ダメですよ、そもそも出張のある外交部なんて、グレイが許さないですよ」
「ははは、だろうなあ」
「ところで、治癒魔法を受けてくれる事になったマナンカナ族の所へは、ハンク副長官も行くんですか?」
「私?私は行かないよ。疫病の治療となると外交部はもうお呼びではないからね、うちは交渉までだ。現地には第9騎士団と神官達が行く、来週にも出発するだろう」
「騎士団も行くんですね」
「患者の搬送に、救護所の設置、遺体の埋葬なんかがあるからね」
「感染したりしないんですか?」
「したとしても、治癒魔法の使える神官がいるから心配要らない。今回は大神官自ら来てくださるようだ」
私は、激励会で私への敵意を剥き出しだったワム大神官を思い出す。何となく、嫌な奴、と思っていたのに、そんな人が疫病の蔓延する現地に行くなんて意外な気がする。
「大神官なのに、現地へ?」
「今回は、疫病が既に蔓延してしまっているから、治癒魔法の使い手は1人でも多い方がいいし、出来るだけ手練れの者がいい。ワム大神官は、自ら名乗り出てくださったんだ」
「へえ」
「現場主義の方で、ご自分の治癒魔法に誇りを持ってらっしゃるから、大きな現場には直接足を運ばれる事が多いんだよ」
「へえぇ、立派な方なんですね」
「その分、神殿の利益になる事には、かなり貪欲でもあるがね。今回の件も後できっちり恩は売られるとは思う。そういうのを嫌っている貴族も多いな。
まあ、しかし、大神官はリサ殿を除けば、唯一の浄化も使える方だし、一緒に行く騎士達はかなり心強いだろう」
「浄化も使えるんですか?」
「少しだが。リサ殿が来るまでは、大神官が気休め程度の瘴気を払っていたし、リサ殿に浄化を教えたのは、大神官だ」
「知らなかったです」
ワム大神官は、“大”神官なだけあるみたいだ。
それで、リサちゃんも、夜会で喧嘩はしなかったんだなあ、と私は納得する。
私への態度がとにかく悪かったのは、治癒魔法が使えもしない私に、自分の治癒魔法を貶されたように(勝手に)感じて、腹が立ったのだろう。
イオさんの事も苛めてないかも…………。
喧嘩、しなくて良かった。
治癒魔法も何も使えない私が神殿に行く事はないし、ワム大神官とはもう関わる事もない。思ってたより立派な方のようだし、認識を改めようかな。
ほんと、喧嘩しなくて良かった。
私はハンク副長官を笑顔で見送り、ほっと胸を撫で下ろしたのだけど、この日の午後、もう関わる事もない筈だったワム大神官が、図書室まで私を訪ねてきたのだった。