60.知らせたかったなあ
応接室の扉を開けて、中へと入る。
一組の夫婦がこちらを向いて、立っていて……
私は、男性の方を見て息を飲んだ。
ピッッシャァーーーン!
雷に打たれたような衝撃で固まる私。
私はまずこう思う。
ヘラルドさんの、大嘘つき、と。
男性、つまり前侯爵はヘラルドさんにはちっとも似ていなかった。
グレイにそっくりだ。
瞳の色こそ青灰色だが、その他の造形はそっくりで、でも、目元にはいい感じの皺が寄り、目付きもグレイより冷たい、薄い唇も疑り深そうに固く閉じられている。
グレイと同じく長身で、前侯爵も騎士だったのだろうか、体つきはしっかりしている。
前侯爵は、グレイを少しくたびれさせて、渋く冷たくした感じで、すごく………そう、すごく、カッコいい。
っくぅーーーーー。
私、こういう、昔ギラギラしてたんだろうな、という年上、大好きなのだ。
どうしよう、めちゃくちゃ、カッコいい、ヘラルドさん、似てないわよ。全っっっ然、似てないわよー。
「アンズ?」
グレイが、明らかに何かを察して、私の腰を抱き寄せた。その手にはいつもより力が入っている。
はっ、いかん、いかん。義理の父に見惚れてどうする。しっかりしなくては。
「お初にお目に掛かります、アンズと言います」
グレイにがっちり腰を掴まれているので、ぎこちなく礼する私。
前侯爵であるお義父様は、ふんっと冷たく笑う。
「前の娼婦よりは、ずっとマシだな」
おおう、感じ悪い。聞いてた通りだわ。でも、カッコいいし、いいや。
「父上!」
「何だ?話してないのか?」
「あなた」
お義父様の感じの悪い一言を、ピリリ、とお義父様の横の女性、つまりお義母様が窘める。
「止めてください。お目出度いお話なんですからね。ごめんなさいね、アンズさん」
私に向かって柔らかく微笑むお義母様。
お義母様も、私が想像していた男顔の美人なんかではなかった。全然違った。
落ち着いた茶髪に、あっさりした目元、お鼻も低く、すごく親しみが湧いてしまうお顔立ちだ。
背は低めで、体型は、ころんとしている。
体の前で揃えらた手は小さくむっちりしていて、何だか可愛らしい。
えー、思ってたのと違う。
お義母様の雰囲気は、お義父様とは対照的に、とても穏やかで、温かそうだ。
「母はとても良い人だ」、グレイの言っていた言葉が頭で響く。
疑ってごめん。
息子の語る母親像は、信用出来ないって言ってごめん。
お義母様は、親愛のこもった眼差しを私に向けてくれていて、貴族に特有の裏がある感じも全くない。これは、絶対に、いい人だ。何の心配も要らない、いい人だ。
お義母様、ことチェルシーさん(心の中ではもうこう呼ぶ事にする。だって、ヘラルドさんがそう呼んでいたもの)は、ゆっくり私に近付くと、そっと私の手を取った。
チェルシーさんの手は、しっかりと中年女性の手で、私は否応なく母を思い出してしまう。
「初めまして、グレイの母のチェルシーと言います。あちらは夫のアルフレッドです」
むっちりした、温かい手。
温かいのも、母と同じだ。
「うちは、子供はグレイだけで、ずっと娘に憧れていたの、こんな素敵な娘が出来るなんて本当に喜んでいるのよ。カサンディオの家に来てくれてありがとう、アンズさん」
チェルシーさんの、穏やかな声での“娘”という言葉は、私の琴線に触れた。
あ、ヤバい。
そう思った時には、もう遅かった。
私の目から、つー、と涙が落ちる。
「えっ?アンズさん?」
「アン?」
私が泣いてしまって、グレイとチェルシーさんは大慌てだ。
「どうしたんだ!?大丈夫か?」
「ごめんなさい、私、何か変な事を言ったかしら?………!、あなた!あなたが、あんな事言うから、」
「ちが、違います、」
ポタポタと涙を落としながら、私は答える。
「実家の母を、思い出してしまって、」
こんな事を言ったら、絶対に雰囲気が暗くなるのに、言わずには居られなかった。
「結婚、知らせたかったなあ、って」
「「………」」
もちろん、部屋には重たい雰囲気が漂った。
***
「落ち着いたか?」
私は今、カサンディオ邸の応接室のソファにて、グレイに横抱きにされて、優しく頭を撫で撫でされている。
お義父様とチェルシーさんは、席を外された。
「はい」
やっとこさ涙が止まり、鼻をすする私。
母を思い出して、こんな風に泣いてしまうとは、自分でもびっくりしている。
高校生くらいから衝突する事が増え、大学で逃げるように家を出てからは、まともに話はしておらず、だから、“会いたい”とか、“寂しい“という気持ちは、少しはあったけれど大きくなかった筈なのだ。
でも、チェルシーさんに手を握られて、子供の頃に手を繋いでくれた母を思い出してしまった。
結婚は知らせたかったなあ、と思う。喜んだと思う。
はあ、知らせたかったなあ。
ふう、と気持ちに一区切りつけるように、私は息を吐く。
「落ち着きました。もう大丈夫です、すみません」
「謝ることではない。気付いてやれずにすまない。セバスチャンから、アンが時々元気がない、とは聞いていたんだが、結婚前の花嫁の悩みなら、俺ではなく、母が適任だろうと、深入りしなかった」
「でも聞かれても、言わなかったと思います」
言わなかっただろう、私を召喚した側である、こちらの世界のグレイを責めるみたいになるし、もう誰にもどうしようもない事なのだから。
「そうかもしれないが」
ぎゅうっと、グレイの腕に力が籠る。
「慰めになるかは分からないが、俺はずっとアンの側に居ると約束する。こちらの世界での、アンの拠り所になれるよう努力する」
「もう、なってます」
私の言葉に、グレイがほっとしたのが分かった。
そして、ほっとしたグレイは次のよう続けてしまう。
「もし、俺に何かあった際には、セバスチャンと叔父にアンを何とかするように頼んであるし、既に遺産はかなりの額がアンの名義になるように、」
「こんなタイミングで、何かある、とか遺産なんて、言わないでくださいぃぃ」
グレイがほっとしたのも束の間、ぶり返す私の涙だ。
今のは、完全にグレイが悪いと思う。なぜ、せっかく泣き止んだ恋人の前で、自分がいなくなった時の話をするのかしらね?今する話かしら、それ。絶対に違うよね。
ついさっきまで泣いていたので、私の涙腺はすっかり弛くなっていて、だばだばと新たな涙が溢れる。
私のせいじゃない。
「ううっ、うっ、ひっ」
「っ、すまん、失言だった。とにかく、心配しなくていいと言いたかっただけだ。俺の方が、3つも年下だ、年だけで言うと俺がアンより先に逝く事はない、だから、な」
焦るグレイによって、私の涙が優しく拭われる。
頭が抱え込まれて、背中をとんとんされる。
「大丈夫だ、アン、長生きするから、な」
「うぅ、ぐすっ」
長生きするからって、それは神のみぞ知る、なのでは。
大体、3つも年下、って、3つしか変わらないんだから、寿命はあんまり変わらないと思う。
年下の事、気にしてるんだろうか。
気にしてるんだろうな。
可笑しくて、ふふ、と笑うと、グレイがまたほっとする。
「長生きしてくださいね」
「ああ、必ずしよう」
だからそれは、神のみぞ知るだぞ。
また、ふふふ、と笑う私を抱き締める腕に、ぎゅっと力が込められた。
そうして、私はチェルシーさんのお力添えもあり、無事に結婚準備を終えて、私とグレイは結婚式当日を迎えた。