56.侯爵の最愛
そして、南央部の瘴気の遠征に向けての激励会の夜会の日当日。
私は、カサンディオ侯爵家の侍女達によって、昼からピカピカに磨かれ、髪の毛を結い上げられ、オーダーメイドのこっくりとしたオレンジ色の生地のドレスを身に纏った。
ホルターネックのそれは、ウエストできゅっと閉まり、裾にかけて控えめに広がるデザインで、フリルや装飾は一切ない。
執事のセバスチャンが言うには、ホルターネックにより私の華奢な肩がより強調され、控えめな胸は上手に隠され(失礼じゃない?)、装飾が無いのは落ち着いていて大人っぽく、素晴らしい選択だ、との事。
ドレスを選んだのはグレイだ。装飾なしを注文したのは私。
こっくりとしたオレンジ色、と言ったが、オレンジというよりは、黄金と茶色の間で、細かく入ったラメがキラキラと光り…うーん、まあ、つまり、誰が見ても、琥珀だ。
グレイの瞳の色だ。
本日は、私、イヤリングはイエローダイヤ(すごく高い)でして、髪飾りは、琥珀が使用されており、何なら、見えないけれど、ドレスの下の靴もドレスと同じ生地の靴でして……ええ、はい。
そうですよ!
どこからどう見ても、グレイ・カサンディオ侯爵の最愛、ですよ!
大丈夫かしら?
こちらの世界の夜会、というか前の世界も含めて夜会なんて初めてなんだけど、これは、普通なのかしらね?
フローラちゃんが、独占欲が強い方は自分の瞳の色のドレスを贈る、って前に言ってたような…。
変に目立ったら嫌だなあ、と思いながら、玄関ホールへと階段を降りる。
階段の下には、ばっちり正装したグレイが待っていた。
ロイ君とフローラちゃんの結婚式の時の最低限の正装ではなく、侯爵家当主の、ばっちり本気の正装だ。
灰色の艶やかな燕尾服には銀糸の刺繍が入り、カフスボタンは家紋入りの正式なもの。首もとには華やかなリボンタイが巻かれていてオニキスのブローチで留められている。
髪の毛もきっちりセットされていて……
ごくり…
私は階段を降りながら、思わず生唾を飲み込む。
これは……いかんな。
いや、いけないわ。
これは、すごい色気だわ。
どうしよう、めちゃくちゃカッコいい。
ヤバイわね、その大きな手で今すぐ、私の頬に触れて、髪をほどいて、キスして欲しい、と思ってしまうくらいだわ。
くっ、心臓がキュンキュンしている。完全にヤられてしまっているわね。
婚約者の色気にクラクラしながら、どうにか階段を降りていくと、最後の段差でグレイがすっと手を差し出す。
「アン、とても綺麗だ」
そう言って、グレイは自分の手に重ねた私の手の甲に口付けた。
ぼふんっと私の顔が真っ赤になって、グレイは愛しそうに微笑む。
「アンはこういうのに弱いな」
「こういう習慣は、前の世界ではなかったので」
ええ、ええ、愛情表現があっさりした国民性だったので。
「それは是非、攻めよう」
グレイはわざとらしくリップ音をたてて、チュッ、チュッと手の甲に続け様に口付けを落とす。
ひえぇ、腰が砕けるんじゃないかしらね。
私は何とか、腰が砕けるのを阻止して、そっと手を抜き取った。
グレイは優しく笑って、手を返してくれる。
「では、参りましょうか、聖女殿」
私達は馬車に乗り、王宮へと向かった。
***
馬車が王宮に着き、グレイのエスコートで私は会場へと向かう。
「カサンディオ侯爵様!紫黒の聖女アンズ様!」
名前が告げられ、夜会の会場の扉が開く。
私は人生初の夜会へと、足を踏み入れた。
ぴかぴかの大理石の床に目映いシャンデリア、美しく着飾ったご婦人達と凛々しい紳士達。
これだけで、ドキドキしてくる。
この、ぴかぴかの床で滑らないかしらね、滑る気がしちゃうわね。ダメよ、アンズ、考えたら滑るわよ。
考えない、考えない。
そして、私は滑らないように一歩踏み出す。
会場に入ると、参加者からの視線が凄い。
ほとんどは、きっと侯爵であるグレイを見ているのだろうけど、それでも緊張してしまう。
ひやっ、そんなに見ないで欲しいわ。
あんまり美しくは歩けていないと思うのよ。
グレイがしっかり支えてくれるから、何とか様にはなっているけど、私の所作なんて急ごしらえで、褒められたものではないのだ。
きゃー、だから、ジロジロ見ないで。
やっぱり、来るんじゃなかった……。
会場を横切るだけで、ヘロヘロになりながら私は、何とか壁際の立ったまま肘を付ける高さの卓の1つに落ち着いた。
グレイはすぐに給仕係に飲み物を頼んでくれる。
「アンズ、大丈夫か?」
「大丈夫ではないですー、もう来ません」
「君が望むならそうしよう。俺もあまりアンを人目に曝したくない」
チュッとおでこにキスされる。
隣のレディ達が、小さくきゃあっと盛り上がるが、これには何だか落ち着く私。屋敷で散々されてるからかしら。慣れって怖いわね。
いいタイミングで、飲み物が運ばれてきて、くいっと口に含む。
あら、美味しいわね。シャンパン?
私は辛口のきりっと冷えたシャンパンにより、ぐっと落ち着いてくる。
くいくいとシャンパンを飲みながら、会場を見回す。こうして見回すと、遠征への激励が目的だけあって、招待客の多くは騎士団の者や、騎士を多く輩出している家門のようだ。
グレイが団長をしている第一騎士団の人達もちらほら居る。見知った顔を見て、私はほっとする。
周囲の話し声も聞こえてくるようになった。
隣のレディ達は、「見ました?レバンド伯爵家の令嬢も来られてるんですのよ」「まあ、よくお顔を出せましたわねえ、本日はよりによって聖女様もいらっしゃるのに」「本当よね、ますますご自分の醜さが引き立つのにねえ」
ねえ、ほほほー、なんて話している。
レバンド伯爵家?聞いた事がある気もする。何となくゴシップ紙が思い浮かぶという事は、少し前に噂になった方なのだろう。
聖女様はリサちゃんの事よね、リサちゃんと喧嘩したとかかしら?なら、ばっちり覚えてそうだけどなー、なんて考えていると、少し離れた所にマダム達に囲まれたフローラちゃんを見つけて、レバンド伯爵家の事はどうでも良くなる。
フローラちゃんは、私と目が合うと、「あ・と・で」と口パクしてきた。
ドキドキするな、このやろう。
そうして、私がすっかり落ち着き、グレイと談笑出来るまでに回復した頃、
「イオンカルド第三王子殿下!黎明の聖女リサ様!」
イオさんと、リサちゃんの名前が告げられた。




