52.執事セバスチャン
「奥様!、、おっと!申し訳ございません。また、先走ってしまいました」
カサンディオ侯爵家のダイニングで、休日の午後、1人でお茶をしていた私にそのように話しかけてきたのは、カサンディオ家執事、片眼鏡、銀髪(白髪のやつね)、初老、のセバスチャンだ。
名前までばっちり執事の、この執事は、隙あらば私の事を、“奥様”と呼ぶ。
ロイ君とフローラちゃんの結婚式の夜、私が初めてカサンディオ邸にお邪魔した時に、風呂上がりの私を、しれっとグレイの私室へと案内するよう指示したのもこの人だ。
「申し訳ございません、毎度毎度、私の夢が先走ってしまっておりますね、奥様」
「セバスチャン、まだグレイと私は結婚していませんよー」
「おっと!」
わざとらしく、口元を押さえるセバスチャン。
カサンディオ邸に居を移して1ヶ月半、このやり取りにも大分慣れてきた。
「お寛ぎの所、申し訳ないのですが、こちらの書類に、アンズ様のサインをいただきたいのです」
ぴらり、とセバスチャンは1枚の上を差し出す。
「サイン?」
何かしら?
「こちらです、この一番下のここですよ」
ニコニコと、サインする箇所だけを指し示すセバスチャン。
「ちょっと待って、セバスチャン。これは何、、、、契約書?」
28才、大人女子を舐めないでもらいたい。言われるままに、ほいほいサインなんかしないぞ。
これ、契約書じゃないの。
「ええ、契約書です。大丈夫です、アンズ様の損になるような物ではありませんよ」
「いやいや、契約書はちゃんと読もう?うん?なにこれ、“聖女印のハンゴウ”の独占販売権に係る契約書?」
ハンゴウ?
あ!飯ごうね。飯ごう炊飯のね。
聖女印って何だ?
えーと、ざっと読み進めた感じ、どうやら“聖女印のハンゴウ”なる商品を販売するにあたって、ライズ商会がその販売を一手にする事を、私が承諾する、という内容のようだ。
その代わり、売り上げの利益の1割が私のものになる。
「騎士団の中で、飯ごうが話題でして、鋳物屋に個別に注文する者も居るようです。
アンダーソン様にアンズ様が描いて差し上げた、飯ごうのデザイン画を貸してくれ、という者も多く、アンダーソン様より、我がご主人様へご相談がありました」
私が契約書に目を通し終えたタイミングで、セバスチャンはすらすらと説明しだす。
「飯ごう、そんなに人気なんですか?」
そんな人気がでる物かな?
まあ、確かに前の世界では、誰もが一度はやってる飯ごう炊飯、ではあったけれど、、、
一家に1台とかではなかったよね。
むしろ、無い家の方が多くなかったかしら?
「野営が多い騎士達にとって、現場で調理出来る主食は嬉しいもののようです。加えて、“黎明の聖女”リサ様に献上され、その飯ごうで炊いたインを、リサ様が感動のあまり泣いて召し上がった、という事で、同じ物が欲しいという希望が殺到しております」
黎明の聖女、とは、聖女が私とリサちゃんの2人になった事で、区別するために付けられた通り名だ。
カッコいいわよね。
私?
ええ、もちろん、私にもありましてよ。
私は、“紫黒の聖女”と呼ばれております。
へへへ、こちらもカッコいいわよね。ちょっと悪役っぽいのもカッコいいポイントよね。
「これは、イケる、という事でライズ商会からもデザイン画の買い取りの打診があり、ご主人様と、ライズ商会のモス様とで話し合いの結果、アンズ様のお墨付きを付ける代わりに利益をいただく事になりました」
「ちょっと、ちょっと、私は何も相談されてないわよー」
「アンダーソン様が遠征より帰られた際に相談されています」
「え?」
そんな話、記憶に無いぞ?お墨付きの話なんて初耳だ。
「アンズ様は、“それくらい何枚でも描いてあげるから、欲しい人にあげていいわよ”と仰ったそうで、、」
「、、、、、あ!」
それなら覚えている。
確かに言った。
ロイ君が、「飯ごうのデザイン画を貸してくれという人が多いんですけど、どうします?」って聞いてきて、確かにそう言った。
「あまりに無頓着なそのお答えに、アンダーソン様はデザイン画貸し出しについて、一旦保留にされていました所、うちの旦那様とアンズ様のご婚約と成りましたので、旦那様に相談されたのです」
勝ち誇るセバスチャン。
どや!非の打ち所ないやろ!
みたいなセバスチャン。
むう、何だか、私が、簡単に騙されるチョロい女、みたいだけどさ、でも、飯ごうなんだよ。
デザイン画っていうか、ただの飯ごうの絵なんだけどな。
私がチョロいんじゃなくて、世界間の認識の違いなんだよ。
「という訳でございます。もちろん、旦那様は収益はアンズ様個人の資産となるように取り計らっておられます。ささ、こちらにサインを」
セバスチャンが恭しく万年筆を差し出す。
「はいはい、しますよ」
何だか、私の知らない所で話が進んでいるのは面白くないが、サインはしてあげる事にする。
今夜、グレイが帰ってきたら、相談が無かった事については物申そう。
私はもう一度、きちんと契約書に目を通すとサインをした。
「では、私はこれで」
セバスチャンが、私のサイン入りの契約書と、トレーに乗せた幾つかの手紙を持って下がろうとする。
下がろうとする時に、ちらりと手紙の宛名が見えた。
「セバスチャン?その手紙は私宛では?」
「さすが、目敏くていらっしゃいますね、奥様」
「まだ奥様じゃないわよー。わざと見せたわよね」
「やはり目敏くていらっしゃる。こちらのお手紙は、奥様、おっと!アンズ様宛ではございますが、差出人の名前のない者や、聞いたことのない家名からのものでございます。
旦那様からは私が確認の上、問題のあるものは処分するように申し使っておりますが、私としては、念のためにアンズ様のご意向もお聞きしようかと」
「私、見た方がいいのかしら?」
「お勧めはいたしません。昨日、来たものには虫の死骸が入っておりました」
「ひぇっ」
私は、ざざざっと手紙から距離を取った。
「気になさる事はございませんよ。妬みそねみというものは、どこからか湧いて出てくるものです」
「そうなの?」
そうなのかしら。
でも、虫の死骸を入れるって結構手間じゃない?
そもそも、虫の死骸を探して、そ、そ、それを、触って、手紙に入れないとダメなのよ?
しっかりした怨みがないと出来ないような、、、、。
それだけ、有名になったという事かしらね。
「はい、なので私が確認して、害のないものであれば、アンズ様にお回ししようと思っております。もちろん、差出人がきちんとしているものは、開封せずにお回しします」
「分かりました、ではそれで。ありがとう、セバスチャン」
「とんでもない事でございます、奥様、おっと!」
セバスチャンは、またわざとらしく口元を押さえた。
お読みいただきありがとうございます。
ちょこちょこ更新しようかと思っています。




