3.ロイ君の悲壮な決意
扉を開けて、そこにはもはや悲壮な顔をしたロイ君が立っていて、私はびっくりした。
ロイ君の髪の毛からはまだ雫が滴っていて、お風呂の後、髪を拭く元気もなかったようだ。
「どうしたの?廊下は冷えるしとりあえず入って」
完全に青ざめているロイ君を見て、ただ事ではないぞと慌てて部屋に入れてあげる。
この部屋に入れる行為が、彼にトドメの追い打ちをかけたなんて全く知らずに。
とにかく、毛布でも被せて座らせてから、キッチンで何か温かい飲み物でも作って、、、、と私が考えていると、ロイ君が私の両肩をぎゅっと掴んだ。
「、、、、ロイ君?」
肩を掴まれた驚きで、ついつい心の中でだけ呼んでいた、ロイ君呼びが言葉にも出てしまう。
ロイ君は無言でぎゅっと肩を掴んだままだ。
「あの、、、、、」
「、、、夫の務めを果たしに参りました」
ロイ君が絞り出すような声でそう言い、悲壮感溢れるその顔を私の顔に近付けて来る。
「!」
ここまでされて、私は初めて全てを理解した。
1階の使用人の部屋を使うと言ったロイ君。
旦那様だから2階を使えと言うと青ざめたロイ君。
きっと、わざわざ私のお風呂上がりを見計らってやって来たロイ君。
悲壮感溢れるロイ君の決意、、、、。
うわお、マジか!!!
気分は完全に犯罪者だ。私が。
私は慌てて、ロイ君の顔に両手を当てて、押し止めた。
「ストップ、ストップ!ロイく、アンダーソン様!こんな事、しなくていいんですよ!」
ぐいぐいとロイ君の顔を遠ざける。
肩を掴んでいるロイ君の手の力が緩み、でもいきなり離して私がバランスを崩さないようにそっと支えてくれる。
「アンズ様?」
私の手越しに、安堵と戸惑いで揺れる抹茶色の瞳をうるうるさせながらロイ君がこっちを見てくる。
そういう顔、止めて欲しい。
なかなかに、よく分からない煩悩がくすぐられてしまう。何といってもワンコ系美青年なのだから。
鎮まれ、私の心臓。私の煩悩。
「アンダーソン様、すいません。こちらに不馴れな私のせいで、あなたに誤解させて、余計な圧と負担をかけてしまったようです。そういう行為は不要です」
「え?、、、しかし、、、」
「ですよね、そうですよね。知ってます。貴族にとって初夜って特別なんですよね。結婚初夜に夫の義務を果たさないなんて、妻にとても失礼なんですよね、大丈夫です、知ってます。マナーブックも読破しております。知ってて、あえて言います、そういう行為は不用です」
「、、、、本当に?」
ロイ君からみるみる力が抜けていく。
「本当です!、、、も、もちろん、あなたがそういう事に積極的なら、生理的に無理とかはないですし、背徳感はすごいですけど、頑張れば応じる事もいずれは出来るかと、、、、」
不用だと言い切ったのは、それはそれで失礼だったかもしれないと思って私はもごもごと付け足した。
「いえ、それは、ないです。あ、いや、あの、アンズ様はもちろん魅力的な方ですが」
ロイ君も、ないです、と言い切ってからもごもご付け足す。
私はふふふと笑う。
ロイ君もふふふと笑った。
やれやれ。
「察するに、アンダーソン様には、心に決めた方が居るんですよね?」
少しほっこりしてから、私が切り出すと、ロイ君は顔を赤くして照れた。
おおう、恥ずかしがるワンコ系美青年。
思わずニマニマしてしまう。
「、、、、どうしてそれを」
「察しただけです。というかむしろそうあって欲しいという希望ですね。昨日からあなたはずっと悲痛な面持ちで、この結婚に絶望していました。私とは死んでも結婚したくないか、もしくは他に好いた方がいるかだと思ったんです。初対面で死ぬほど嫌われたりはしてないだろうし、後者かな、と」
「、、、、、婚約者が居たんです」
ぽつり、とロイ君は言った。その顔は婚約者を思い出してか一瞬幸せそうに輝き、でもすぐに淋しそうになった。
「過去形なんですね」
「アンズ様との結婚で、別れを告げました」
「あ、」
そらそうだ、もちろんそうなるだろう。
「大丈夫です。庶子とはいえ、貴族ですし、家の為に結婚とか、よくある事です。婚約者は平民でしたが、大きな商家の子だったので、その辺りは納得して別れてくれました」
うぅ、過去形が辛い。
私の肩にどっしりと罪悪感という名の重荷が乗ってくる。
「それでいいんですか?まだ好きなんですよね?」
「、、、、いえ、もう心の整理は」
「昨日からあんなに絶望していて、何を言ってるんですか。さっきも、物凄く嫌そうに迫ってきてましたよ?」
「あ、いや、あれはその、、、、、すみません、1週間前に別れたばかりでまだ辛くて」
「まだ好きなんですね」
「はは、女々しいでしょう。あなたと結婚していながら本当にごめんなさい。頭では分かってるんです、少し時間はかかるかもしれませんがアンズ様とはきちんと向き合っていこうと思ってます。あなたは優しい方のようですし」
そこでワンコは、ではなくてロイ君は私に向かって寂しげに笑いかけた。
心臓がぎゅーんとなって、一瞬絆されかけてしまう。
恐ろしいなワンコ系美青年。
そして可愛いな。何とかその恋、応援してあげたい。
「アンダーソン様」
私は決意をしてロイ君に呼び掛ける。
「私にも、想いを寄せる方は居ました」
恋人が居たのはもう4年も前の事で、完全に吹っ切れているのだけれど私はそう言った。
過去形だし、嘘ではない。4年前には想いを寄せていたのだし。
ロイ君が、あ、という顔をして赤くなる。
きっと、自分だけ悲劇のどん底に居たかのように振る舞っていた事を恥じているのだろう、苦い顔だ。
「その方はもちろんこの世界の方ではありません、もう二度と会えないんです」
ロイ君の顔が辛そうに歪む。
うう、ごめんねロイ君、こんな手のひらで転がすような事をして。
でも、私との結婚で婚約までしていた恋を諦めて欲しくないんだよ。
心がチクチク痛むけれど、私は突き進む。
「アンダーソン様は、婚約者だった方と同じ世界にいます。私の恋はもうどうしようもありませんが、アンダーソン様の恋は、諦めるには早いと思います。私達の結婚は特殊ですし」
「いや、でも」
「とりあえず、今日の所はお互いもう寝ましょう、ちょっとくたくたです。まずは諦めるな、と伝えておきたかったんです。明日、ロイく、アンダーソン様の恋路も含めて話し合いましょう」
私がにっこりすると、ロイ君もおずおずとにっこりした。
「はい」
「では、お休みなさい、アンダーソン様」
そこでロイ君は私の手を取ると、少しかがんで実際に唇は付けずにリップ音だけさせる。
うわわ、、、、
お姫様と騎士みたいなシチュエーションに、私はかあっと顔が熱くなるのが分かった。
ロイ君はさすが伯爵家の三男だけあって、手慣れた様子だ。私が赤くなってるのを見て、くすり、と余裕の笑みを浮かべる。
「お休みなさいませ、アンズ様。僕の事は、ロイ君、でいいですよ」
ロイ君はそう言うとそっと私の手を離して部屋を出ていった。
ぱたん、と扉が閉まる。
取り残された私は、ふらふらとベッドに座った。
顔がまだ熱い。両手をあてて火照りを冷ます。
ええぇ、何今の、、、、。
ロイ君の余裕の笑みがちらつく。
ええぇ、18才であんな表情出来るの?恐ろしいな、異世界。
大丈夫かな、私、このままだと綺麗に10コ下に手を出しちゃうんじゃないかな、マジかぁ、どうしよ、、、、、。
うーん、、、、、
とりあえず、、、
寝よ。
私は今度こそ、ぐっすり寝た。