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リセット  作者: y.a
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prologue

やられた。

そう思った時には、いつも手遅れだ。


小学校五年生の4月に、母親が居なくなった。父親の暴力に耐えられなくなったからだ。

本人から聞いたわけではないが、それしか考えられない。母はよく骨を折られていたし、太ると怒られるせいでまともに食事もできていなかったから、ガリガリに痩せていた。病院なんて行ったら父に何をされるか分からないから、折れた骨が変にくっついて、そのせいで足を引きずって歩いていた。そんな生活から抜け出したかったんだろう。俺を鬼畜の生贄にして、あいつはどこかに消えた。

テーブルの上に、一万円札だけがポツン、と置いてあった。せめてもの罪滅ぼしだったんだろう。これじゃあ、一か月も暮らせないってことは分かっていただろうに。

主のいなくなったそれは、寂し気に暗闇に浮かび上がっていた。何だか、俺みたいで笑えた。

一日百円のおにぎりで生活すれば、三か月はもつか、と考えていた。

しかしそれも一瞬で、鬼畜のパチンコ代に消えた。酒かパチンコか、親父の一日はそれだけで出来ていた。

仕事は何をしていたのかも分からない。母親が稼いだ僅かな金で、俺たちは暮らしていたのだ。それも絶たれたら、後には地獄しか待っていない。

俺は食べるものも無くなって、学校の給食が唯一の食事となった。だから、死に物狂いでお代わりした。何度も、ただ偉そうで、何も分かろうとしない先公にがっつくなと怒られたが、知ったこっちゃない。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だ。家に帰ったら温かい食事と冷たい水が待っている奴らとは違う。俺には、奴らに当たり前にあるものが、ない。

土日は水道の水をたらふく飲み、スーパーの試食コーナーとパン屋で貰えるパンの耳、客が捨てていったキャベツの外側なんかを拾って、空腹を紛らわせた。しかしそのうち、試食を作っているおばちゃんから警戒されて、作り置きをしなくなった。スーパーの店長から学校に連絡がいったらしく、また先公にこっぴどく怒られた。お前の家は、飯も食えないのか!と。

そうだ、とよっぽど言いたかったが、悔しくて情けなくて、あいつにだけは口が裂けても言えなかった。それを認めてしまったら、あいつに助けを乞うことになる。俺をバカにし続けているあいつにだけは、そんなこと知られたくなかった。

それから電気が付かなくなって、夏は物凄く暑かった。頭から水を被って外に出ると、風がひんやりと感じられて冷風機の風に触れているみたいだった。夜中に目が覚めると、そうやって暑さを凌いだものだ。

冷蔵庫の食材なんて元々無かったが、料理をする人間がいなくなって、冷凍庫に寂しく残っていた肉が、異臭を放ち始めた。人間も死んだらこんな風になるのだなと、ぼんやり思いながら捨てた記憶がある。

やがて、水道も出なくなった。公園の水道水をペットボトルに詰めて、何往復もした。もったいないから、あまり飲むのをやめた。夏休みに入って、俺の体はみるみるうちに痩せていった。そこらに集ってる虫を食べたり、食べられそうなゴミを漁って何度も腹をくだした。2学期が始まって、人間の食べ物がいかに美味しいかを思い出して、泣きそうになった記憶がある。

それに加えて、あの女が居なくなってから、暴力の標的は全て俺になった。栄養不足で骨が弱っているから、鬼畜の馬鹿力で簡単に折れてしまうが、もちろん病院になんて行けない。

そんな生活をして1年。足の骨を折っても病院に行かない俺を見て、ようやくおかしい、という大人がやってきて、小学校6年生で俺は施設に預けられた。しかし俺はがっかりした。骨が治ったら、ついに親父を殺してやろうと思っていたのだ。公園で太くて頑丈そうな木の枝を見つけたから、それを夜な夜な研いでいた。あいつの心臓に届くように。あいつの真っ黒な心臓に。

施設に連れていかれる時、鋭く睨んだ俺の目を見て、奴は最後に言い放った。

鬼の子だな、てめぇは。

俺は唖然とした。今なんて言ったんだ?誰が鬼だ?

お前が鬼だ。あの女も。周りの偉そうにしてる大人も。

噛んだ唇から血が滴り落ちた。止めなさい、という両脇の大人の言葉も聞かずに、こんな穢れた血は残らず流れてしまえと、余計に噛み続けた。


人間の性格は三歳までに決まるというが、本当なんだろう。そこから、俺がいい人間、真っ当な人間になることはなかった。

そしてその頃には、何もかもがどうでも良くなっていた。

他人なんて信用できないし、信じられるのは自分だけだ。

奪わなきゃ奪われるし、生きていけない。誰も信用できないから、誰も助けてくれない。

施設にいる間も、大人たちを困らせていたと思う。

何とか分かり合おうとすり寄ってくる大人たちも、殺してやりたいほど鬱陶しかった。早く自分で仕事をして、一人で生活したかった。

俺の気持ちなんて、誰にも分かるはずがない。

中学校を卒業して、高校受験をしないと決めていた俺に、建設会社の仕事を見つけてきたのは、施設長だった。今考えると、あの人も昔悪さをしていた部類かもしれない。

昔の知り合いが会社をやっているからと、プレハブ建ての事務所に俺を連れて行った、タバコの匂いが充満していて、頭がクラクラした記憶がある。

目つきの悪い社長が、体は健康か、と聞いた。健康です、と答えて、就職が決まった。手足が不自由なくあって、健康である。それだけが、その会社に入るための関門だった。

この建設会社がひどいものだった。俺みたいな育ちの人間ばっかりだったから、世間の常識なんてそこにはない。財布から金が無くなるなんて日常茶飯事、夜寝ている間に悪さをされるから、ゆっくり眠れない。殴る蹴るの暴行は当たり前。社長も知ってはいるのだろうが、決して介入してこなかった。面倒に巻き込まれたくなかったんだろうし、どうでも良かったんだろう。あの人からは、俺と同じ空気を感じていた。人生なんて諦めてる、という。

三年耐え凌ぎ、唯一俺を可愛がってくれた先輩が、キャバクラでヤクザと知り合いになった。その先輩がそちらの世界に行くというので、俺も一緒に、会社を辞めた。

俺たちはヤクザ稼業の下請けのようなものだった。実際、組に入る度胸はなく、組の小さくて汚い仕事を回してもらって、生活していた。

建設会社とは違って、筋を通していれば嫌なことは何一つない。快適な生活だった。しかし金を払わなかったり、売り上げをピンハネなんかしたら、殴る蹴るどころではない。そこは勿論、建設会社なんかよりシビアだった。

一年ほど経った時、先輩は女に溺れて、売り上げをくすねた。結果、電話を掛けても繋がらなくなった。俺のところにも組の連中が嗅ぎまわりに来たが、何も知らなかった。ひどい拷問を受けたが、知らないものは答えようがない。しかし、先輩が溺れていた女の情報は流した。

それからしばらくして、たった一分ほどの夕方のニュース番組に、先輩の顔が出てきた。近くの河川敷で、水死体で発見されたというニュースだった。増水した川に誤って転落した事故だろうということで、ニュースが終わり、エンタメの情報になった。先輩を見たのは、それが最後だ。先輩が溺れていた女も、それ以来店で見なくなった。

そんな世界で、なんとなく生きてきた。夢も希望もない。だから喜びも悲しみもない。ただ生きていた。


そう、ただ生きていたのだ。

それなのに、と苦しくなる胸を抑えながら、呻く。

テーブルの上には、ウイスキーが横たわっている。あれに何か入っていたのか。あいつが入れたのか。言われてみれば、態度がおかしかったかもしれない。

くそ、と座卓の脚を蹴とばす。ウイスキーは大きく揺れて、床にこぼれた。あ、と思った。唯一の証拠だったのに。あいつが逮捕されなきゃ、俺は無駄死にじゃねぇか。

あいつは、俺のことをそんなに憎んでいたのだろうか。

いや…そりゃそうか、と何故か冷静に、一人納得する。頭と体が分断されたような感覚。これが死ぬってことなんだろうか。

俺は結局、親父の呪縛から抜け出せなかった。すぐに手が出るし、酒癖女癖、ギャンブル癖全てが悪い。あれだけ憎んでいた鬼畜と、まるっきり同じ人生。

しかし…くそ、このままで終わるのか。

呼吸は、すきま風みたいにヒューヒューと弱々しくなる。今まで人間の死に際は何度か見てきているが、それと同じだ。もうすぐ俺は、虫けらみたいに死ぬ。

このままで終わるか…何かないか。あいつだと分かるなにか――。

眼球を回すと、テーブルの下に、一枚のCDを捉える。あいつが話していた話を思い出す――こんな時によく思い出せるものだ。別に、好きでもなかったくせに。

俺は、精一杯の力で這いつくばり、テーブルの下に潜り込んだ。

もう、目が見えない。

目が見えないはずなのに、目の前に誰かいる。

あいつなのか。

何故俺を殺すんだ。俺が憎いだけなら、ただ出ていけば良かっただろう。お前だって大変な思いをするぞ、人を殺したら。こっちに来たら、もう抜け出せないんだ。分かってやってんのか。こっちになんか来るんじゃない。お前が来るとこじゃない。俺とお前では種類が違うんだ。そうだろう。お前はまだこっちに来るべきじゃないだろう。どうしてなんだ。

見えている人影は、ぼんやりと黒い塊のまま、こちらの様子を伺っている。こちらの声が聞こえているのか分からない。微動だにしないそれは、ただ俺を迎えに来ているようにも見える。


あぁ…何で俺がこんな目に遭うんだ、昔から。

周りは幸せそうなのに、腹いっぱい飯が食えるのに、家族一緒で幸せそうなのに、普通の洋服を着ているのに、なんで俺だけ。

目の前の女が振り返った。

それは、俺を捨てたときのまんまの、あの女だった。


くそ、最期にあんたかよ。

あんたがいてくれたら、こんなことにはならなかったかもな。

俺の地獄行きは確定だ、あんたも道連れにな。

クソ女は笑った気がした。


笑ってんじゃねぇ、クソが。

なんで俺を捨てたんだ、畜生。

なんで傍にいてくれなかったんだ、母さん。

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