クリスマスとプロレタリア
怒らんといて下さい
「クリスマスとプロレタリア」
「本作品のなかには、一般に差別用語もしくは差別用語ととられかねない箇所がありますが、作者の意図は、決して差別を助長するものではありません。編集部としては、本書のもつ文学性及び芸術性、また著者がすでに駄目人間であるという事情に鑑み、表現の削除、変更はあえて行わず、底本どおりの表記としました。読者各位のご賢察をお願い致します」
10時丁度、いつもより2時間も早く作業終了のベルが鳴った。だれもがサンタの衣装を縫う手をとめる。今日はクリスマスということで工場も早く閉めるのだろう。一様に疲れた顔をした作業服の一段が各々の宿舎に帰っていく。少し角を曲がれば街角の喧騒に出くわす、誰もの顔が楽しそうで家に向かっているのだろう、家族とあるいは恋人と過ごすために。だがここにはそんな人間は一人だっていやしない。俺たち職工にそんなものはないのだ。三人一部屋の六畳間に帰るともう猪沢のやつが壁に向かい横になっていた。俺が手持ちぶさたに呆けていると最後に木下が勇んで入ってきた。
「おい、なんてしけた顔してるんだ。今日はクリスマスなんだぜ」そうだ、今日は目出度い日なのである。
「それじゃあ、一つクリスマスソングでも歌ってみるかね」
うかれ気分に浸っていると猪沢の声が割込んだ。
「馬鹿なことやってんじゃねえ。今日の分、明日は早いんだ、黙って寝ろ」
猪沢はこの工場で一番の古株である、誰も意見などできようはずもない。猪沢は続けた
「お前たち新人というやつは何かときちゃあ幸せというやつが空からふってくるとでも思ってやがる。それも、分をわきまえずにだ。」
部屋を重苦しい空気が包んだ。なおも未練がましそうな木下に猪沢は己の手を差し出した。節くれだった丸太のような手。赤切れ血がにじんでいる。
「サンタの連中は俺らに一円だってくれやしない。俺たちがやつらの服を仕立ててやらなくちゃいけないのだ。あいつらの服は俺たちの血で赤いのだ」
何度も誤って針が刺さってきたのだろう、その指先はボロボロだ
「今日も浮かれて赤と白の柄を間違えた隣の班のやつが工場長にしこたま叩かれていた。あの分じゃ一生あいつは前の様には歩けんだろう」
工場長は作業員全員から嫌われている、だがいつもお零れにあずかろうという取り巻き勢に囲まれている為に誰一人として意見も出来ない
「なにも俺はお前らの祝賀気分に水をさしたい訳じゃない、ただな…」
「ただ?」
沈黙を嫌がるように木下が合いの手をいれる。
「…ただ俺のようにはなってもらいたくないのだ。俺は二十歳になる前からこの工場に住み込みでいる」
猪沢が過去を語るのは初めてのことだった。
「俺もお前ら位の頃はそうやってすぐハシャイだものだった。でもその内気が付いたんだ、外の連中と俺は違う世界にいるんだって」
部屋が音を立てて軋む。外は風がでてきたようだった。
「いつか金が貯まれば人並みの生活が送れると思っていた。ここを出ていけると思っていた。でも少したまるとたまの休日に外出しては安酒に変わっちまった。気が付けば年だけとってもうここしか居場所はなかった」
他人事ではなかった、本当は自分も恐れていたのだそうなる事を
「そして、ここもそう遠くないいつか働けなくなった俺は追い出されるだろう。俺はそれが怖い、怖いんだ…」猪沢の目には恐怖が浮かびあがっていた。
木下はうなだれた様子で手に抱えていた物を下ろした。なんとそれは日本酒と鶏の肉だった。猪沢の目の色が変わった。
「どうしたんだそれ」
質問に木下が答える
「工場長のやろう家で家族と過ごすって言うからちょいと台所から失敬してきたんだ、どうせ悪くなりかけで捨てる肉だ。酒は水でも足しとけば気付かねえよ」
それは二月ばかり見ることのなかった獣肉だった。
「食っていいのか?」
恐る恐る手を伸ばしながら猪沢が尋ねると木下は寂しそうに笑んで答えた。
「もちろんじゃないか」
その時食らった肉と酒のどれほど旨かったことか。俺が静かに銚子を傾けると猪沢は照れ臭そうに受けた。
嫌なことは皆忘れてしまえばいい、酒が持っていってくれるだろう。明日はきっといい日だ。
「メリークリスマス」
段々と俺の意識は酩酊の中に遠のいていった。
[完]
なんかもう許して下さい