そのさん
「ローゼリア様は紅蓮の天使の名のとおり、恐ろしいほどに美しい人でしたよ」
ただ、それだけを教壇で告げる。
興味本位な者は想像を膨らませ。勤勉な者なら真実に辿り着く。
残された事実は、あまりにも多い。
それに真実、ローゼリアほど美しい人間を見たことがなかった。
容姿こそありふれていたが、身の内からほとばしる真情が彼女を美しく彩っていた。
どんなときにも顔を上げ、背を伸ばし、強いまなざしで前を見据えていたその横顔は、彼女の生き様そのものの強さでできていた。
目を閉じればすぐに、彼女の姿も行動も思い起こせるほどに、壮絶な生き様だった。
今では還暦をすぎた老人も、当時は右も左もわからない見習いの騎士だった。
目の前で学ぶ少年たちとさほど年齢は変わらなかったはずだ。
瞳を輝かせる少年たちと同じように、あの頃は自分自身の夢や希望もあった。
誰かのために。誰かを救うために。
弱き者を助けるために、剣を掲げ命をかける。
その夢の、なんと脆弱だったことか。
ティタリムの悲劇は愚かな娘の行いから始まった惨状だが、その影で起こったすべては正義の名を盾にした狂気に他ならなかった。
一途で真面目な人間が、強い信念を持って動く誠実な行動が招く、強い正義の恐ろしさを目の当たりにする数年間だった。
大人も子供も関係ない。
善人か悪人かもどうでもいい。
泣いてもわめいても、何も変わらない。
すがる手を振り払い、救うために炎を放つ。
見知らぬ誰かを生かすために、目の前で苦しむ人を見捨てる勇気が必要だった。
あの時。ティタリムの悲劇を、悲劇と認識する前。
突如、村に現れた物々しい医療団に人々は震えたが、指示に従うよう告げたローゼリアに一切の迷いはなかった。
何も知らずティタリムの実を口にした者たちは即座に家族と引き離して監禁し、治療を施して経過を観察した。
妖虫に犯された者は即座に毒を与え、遺体は廃屋に積み重ねられた。
生き延びた者は診察と偽り、検体として体の隅々まで調べ尽くした。
外部への流出を防ぐため、すべてが終わるまで民衆に一切の情報を与えず、赤い実を食べた監禁者にだけ詳細を伝えた。
哀れなのは、遠征に無関係だが、赤い実を口にした者だろう。
それが特産のアポルの実だったのか、ティタリムの実だったのか、わからない。
妖虫に体内を食い荒らされる、その時までわからない。
妖虫におびえ、体内に潜む害悪に嘆き、叫びわめき続ける人々を前にして、医師や騎士たちは動揺したが、ローゼリアは穏やかに微笑んで告げる。
「たとえ命を奪ってでも、あなたを救いたいのです」
それは、慈悲の言葉だったのか。
それが、救済の言葉になりえたのか、今でもわからない。
わかるのは、妖虫の国内蔓延を食い止めるには、冷徹な意志の力が必要だということ。
「焼き払え」
静かな声とともに、白い手が振り下ろされる。
犠牲者の死骸が詰め込まれた家屋に向かって、火が放たれる。
燃え盛る炎の渦は、その村や町での終息の宣言と等しい。
そして即座に、次の地へと移動が始まる。
生き延びた者も、命を失ったものも、等しく数字で記録に残された。
数字だけが「語れる程度」の事実だ。
何度も、何度も、それが繰り返されたのだ。
当然ながら記録にない事実もある。
老人も従事者たちと同様、深く掘り下げた詳細は固く口をつぐんでいた。
ローゼリア・シュテインの行いは、決して慈悲深い天使などではないのだから。
婚約者を死に至らしめた娘に対する罰は苛烈だった。
娘の犯罪に加担した者たちは同じ部屋に閉じ込め、食事も水も与えず、毎日、一人に対してひとつだけ、赤い実を投げ込んだ。
アポルかもしれない、ティタリムかもしれない、赤い実を前にして狂乱しない者はいなかった。
何も知らない、娘の家族たちも同様の扱いだった。
幼い子供もいたというのに。
鎖で壁につないだ娘にだけは、隣室で普通の食事を与えた。
のぞき窓から、自分の大切な者たちが妖虫にむさぼり喰われる様を、見せつけるためだけに生かしていた。
こののちも情報収集に、このやり方は役立った。
国内に散見したティタリムの情報を集めるのに、その土地その土地で非協力的な人物が現れる。
どれほど屈強な精神の持ち主でも、赤い実を前にすると口が軽くなった。
閉じ込め、生かして情報を搾り取り、逆らえば殺して、無慈悲に焼き払う。
ただし協力者には、どこまでも丁寧で誠実に対応した。
「貴女の正義は間違っている」
面と向かって非難する者にも、ローゼリアは微笑んだ。
「わたくしのコレはただの私怨よ。正義など、無意味でしょう?」
記録に残せる者たちも炎に焼かれて消えていく。
記録に残せない者たちが炎に焼かれて消えていく。
幾度も幾度も「焼き払え」と命じる手は振り下ろされる。
「正義という名の盾は便利だわ。悪心に基づいた行動すら、正しく見せる」
ただの私怨で、自身の行動を悪だと認識している者を、止めることなどできない。
ローゼリアの狂気を前にして、かけるべき言葉を誰も持たなかった。
無力さを胸に、ただ打ちひしがれることしかできない。
正義も悪も、語り手しだいで表裏が変わる。
正しさも間違いも、その場では判じれない。
なによりも前例のない凶事を前に、心などいらない。
通り過ぎた惨劇に対し、永遠に口をつぐむ誓いを立てた老人は、うっそりと笑う。
今、生きる人々だけでなく、未来に生きる人々も、彼女の私怨によって救われているのは確かだ。
歴史の真実や当事者である人々の真情など、未来ある若者にとっての毒にしかならないのに、表面ばかり綺麗で光り輝いて見える。
今は希望に満ちた若者たちも、いつか学び舎を離れた先で、その毒に辿り着くだろう。




