そのに
ローゼリア・シュテインは伯爵家の令嬢だった。
地方に位置した領土を治める伯爵家は中立で、古参貴族というわけでもなく、かといって新興貴族でもなく、特徴の少ない中庸の貴族の生まれである。
貴族の中では取り立てて美人ではなく、かといって醜悪であるはずもなく、栗色の髪とハシバミ色の瞳を持つ、印象的な特徴のない凡庸な容姿の娘だった。
性格は温和で真面目。我慢強く、口数は少なく、物静かな物腰のため、人前に出て目立つこともなかった。
平凡なローゼリアは華々しい社交に興味を示さなかったが、美点を探すならば慈善事業への取り組みだろう。
自然の多い領内で馬車は不自由だと、乗馬服をまとい自身で馬を駆けさせて、遠方の孤児院や病院にまで出向く行動力もあった。
病弱な兄に代わり、自身の目で見た領地を親である領主に伝え、街道や福祉の実態の改善に励んだ、善き娘でもある。
特記できるのはその程度で、後継の兄を支える気概に満ちた行動を取るものの、地方貴族の娘らしいありふれた行為の範疇を越えることなく、本来なら人々の記憶に残ることもなかっただろう。
本来なら分厚い貴族年鑑の片隅に出生と死没だけが記載されて終わる、平凡な地方貴族の令嬢のはずだった。
ローゼリアの転機は、婚約者の死だった。
弱冠十七歳の頃である。
ローゼリアの婚約者は、隣の領地を治める伯爵家の次男だった。
騎士の資格も持ち、自領の害獣や害魔の駆除にいそしむ武の人だった。
倒れたとの知らせを受けたローゼリアは即座に彼の元に駆け付け、死に立ち会うと同時に原因の解明に乗り出す。
あっけないほど簡単に、原因はすぐ特定できた。
礼儀正しく見目の良い騎士だった婚約者に、家同士で取引のある商家の娘が横恋慕したものの、相手にもされなかったため逆恨みしたのだ。
その娘はローゼリアの婚約者が率いる討伐隊に、金で動く人を雇ってティタリムの実を差し入れたのである。
ティタリムの実は、別名・悪魔の実と呼ばれる艶やかな紅色の果実である。
タチの悪いことに、アポルの実に色も形も大きさもそっくりだった。
アポルの実を知っている者でさえ、口にして初めて別の実だと気付くほど姿が似ているうえに、食用と判断してしまうほどティタリムの実は味が良い。
アポルとは春から秋の長期にわたって、大人のこぶし大の丸い果実が実る果樹だ。赤く艶やかな実は生で丸ごとかじることも、パイやジャムに加工することもできる、汎用性の高い良質の果物だった。
なによりハウシュヴェルン王国の特産であり、アポルの実は国民にとってなじみ深い。
しかし、ティタリムの実はアポルとはまるで違う。
甘い果肉に妖虫を潜ませた沼地の悪魔だ。
目に見えないほど小さな卵をその果肉に宿しており、生き物の体内に入ると孵化して宿主の肉や内臓をむさぼりながら、妖虫は育つのである。
一ヵ月ほどかけて成虫となれば宿主の柔らかい肉を食い破り、蛇のようにうごめきながら這い出して、新たな宿主を探す。
ティタリムの妖虫の恐ろしいところは、物言わぬ果実だけでなく生きた獣や人にも直接産卵することだ。
生きたまま体内をむさぼり喰われる宿主を媒介にして、別の宿主にも寄生しながら移動し、繁殖地を広げていく。
幸か不幸か、妖虫そのものには羽も足もなく、移動能力は少なく、成虫になって一週間ほどで死ぬ。
それ故にティタリムの実を発見したら、即座に焼き払うことが国法で決められていた。
現在では焼き払われてほぼ淘汰されているため、ティタリムが実るのは未開の不毛地のはずだった。
悪意を持って利用する者が存在するなど想定外のことだった。
ローゼリアの婚約者の不幸は、人里からティタリムの実を見かけない時代に生まれた事だろう。
そして彼の率いる討伐隊には若者が多く、知識のある古参の老騎士が遠征に同行していない不運も重なった。
それを口にしたのが、都市部から遠く離れた村であったことで、適切な治療を受けることもできなかった。
婚約者が倒れた場所がシュテイン領に近かったので、ローゼリアは息を引き取るその瞬間に間に合った。
ただ、救うには遅すぎた。
ティタリムの実を食べてから、卵が体内で孵化するまでは十日ほどかかる。
口にしてから羽化する前の一週間で、適切な処置をしなければ、必ず死ぬ。
あと一年もすれば幸福な花嫁となったはずのローゼリアは、婚約者の死を前にしても悲しみに打ちひしがれたりしなかった。
むしろ頑迷なまでの強い感情を胸に宿し、とりつかれたように動き出す。
あっけなく亡くなった婚約者の葬儀を待つこともしなかった。
もとよりティタリムの犠牲者の遺体は即座に焼き払われ、葬儀など形ばかりだ。
なにより討伐隊に差し入れられた赤い実は大きな木箱いっぱいにあり、隊員だけでなく手伝いに参加した領民たちにも配られたという。
配られてからすでに五日は過ぎていると報告されていた。
食した者も土産に持ち帰った者も、身の内に妖虫を宿したまま帰宅し、すでに他の村や町へと移動した者もいる。
一刻の猶予もなかった。
自領の騎士の半分と婚約者の領土の騎士を半分借り受けて、ティタリムの妖虫の根絶へとのりだした。
ローゼリアは騎士たちの指揮を執りティタリムの実を追跡させたうえで、領地から医師や薬師を集めて治癒団も結成した。
分散したルートを割り出すと同時に、辿り着いた村々を封鎖して、ティタリムの実に触れた可能性のある人々を隔離する。
直接触れた者・口にした者だけでなく、同居家族や会話を交わした隣人も例外なく隔離され、教会や廃屋で経過を観察された。
電光石火の早業で隔離された人々は、医師団がたどり着いたのちに事の重大さを知らされ、死の恐怖に恐れおののきながら指示に従ったという。
何事もなく解放される者もいれば、妖虫に犯された者もいた。
被害者は例外なく命を落とし、建物ごと炎で焼かれることとなった。
五つの村で被害が確認されたが、幸いにも人から人への寄生は起こっておらず、対処の速さが功を奏していた。
ティタリムの悲劇と呼ばれたこの事件は、半年ほどで終息した。
陣頭指揮を執っていたローゼリアの快進撃は、そこで止まらなかった。
ティタリムの実を手に入れた商家の娘や関係者から得た情報で自生地を割り出し、徹底的に王国から駆除していった。
他にも同等の被害があると聞けば、どれほど遠方であろうと、即座に駆け付けた。
それは自領を離れても追い求め、国王に許可をいただいて国内すべてを巡り、人が足を踏み入れたことのない湿地帯にまで及んだという。
はじまりの五つの村を皮切りに、国内にある沼地や湿地に自生するティタリムを根まで焼き尽くし、とうとう絶滅に追い込んだのである。
全てが終わるまでに、実に五年の時が流れていた。
ティタリムの妖虫を駆逐するには、炎で焼くしかない。
終息までに焼いた、果樹も被害者の遺体も建物も、膨大な数にのぼる。
ローゼリアの軌跡は、炎の葬送の記録に他ならなかった。
最後の地で積み上げられたティタリムの樹を飲み込んだ激しい炎を前にして、「やっと終わりましたね」と従者は声をかけたが、ローゼリアは「終わりなど幻想よ」と言い放ったとされる。
その時、白いかんばせに表情はなく、ただ炎の赤で染まっていたという。
流石に異国まで足を運ぶことは叶わなかったが、ティタリムの実の特徴や対処法を事細かに記載した書籍を、近隣諸国にも知識として送り届けている。
その知識はティタリムに限らず薬草や毒草の扱い方にも及び、医薬品の発展にも貢献していくことになるのだ。
死の直前まで、その活動は止まることがなかった。
積み重ねた功績の数々に、国王より勲章を賜った。
その勲章には、炎と天使の姿が刻まれていたという。
これにより「紅蓮の天使」という二つ名を得ることとなった。
こうしてローゼリア・シュテインは、後世に名を残したのである。