番外編・特別独房②(※)
「今日の授業は国語から」
「げろげろ〜」
教壇に立った先生がそう言うと、ヌゥはだるんと机にうなだれた。
なるほど、この人がカンちゃんか。いや、結構普通そうだけどな。
「嫌いなの?」と俺が聞くと、「嫌いじゃないんだけど、苦手なんだよね〜」とヌゥは答えた。
いや、それよりも…
「このガラス板…何ですか?」
「特別製の防弾ガラスだ。声は聞こえるだろ。あ、プリントとか配るときは、そこの隙間から渡すから」
「な、何でこんなもの…」
「そりゃ、そこのイカれ殺人鬼に俺が暴行されるのを、防ぐために決まってんだろ」
(ええええ!!!)
アグは思いっきり顔をしかめた。
(ずるいよカンちゃん…だったら俺の横にもそのガラス板敷いてくれよ…)
「酷いよカンちゃん〜! 俺がカンちゃんにそんなことするわけないじゃ〜ん!」
ヌゥは口を尖らせてそう言っていた。
カンちゃんは俺という生徒が増えたというのに、何の自己紹介もなくいきなり授業を始め出した。
教科書とノートが、ガラス板の隙間から渡される。
終わったあとは独房に持ち帰っても、返却してもどちらでもよいらしい。
いや、復習するなら持ち帰らないと駄目だろ…と思ったが、ヌゥはいつも返却していた。なるほど、こいつやる気ないな。
俺はパラパラと教科書をめくった。
10歳向けの物語や詩、漢字の読み書きが載っている。
(さすがに簡単すぎるな……)
俺も返却しよ。
そして国語と算数、社会の授業が終わった。
どれもこれも内容は簡単すぎるけれど、カンちゃんの授業は小話なんかも多くて結構面白かった。
カンちゃんの質問に俺がペラペラ答えるので、ヌゥはあんぐりとした表情を俺を見ていた。
「アグってやっぱり頭がいいんだね!」
「そ、そうかな……」
そして、昼休憩がやってくる。
「やったー! 終わった!」
ヌゥは大きくバンザイした。
(子供だな。うん。大量殺人鬼だけど、中身はもろ子供だ)
昼食はそのまま教室で食べるそうだ。
教室の後ろにあったボックスから、朝食同様お盆にのってやってきた。
「すごい! ハンバーグだぁ!!」
ヌゥは目をキラキラと輝かせる。
ご飯にスープに、ハンバーグ。横にはにんじんとブロッコリーが添えられている。小鉢に入ったサラダもあった。朝飯よりは手が込んでいるな。飲み物代わりに牛乳パックも置かれている。
「ハンバーグなんてねぇ、滅多に出ないんだよ!」
「そうなんだ…」
2人は手を合わせていただきますを言って、昼ごはんを食べ始めた。
(はぁ…初めて授業なんて受けたからか、何かすごい腹減った…)
アグはぺろりと全部平らげてしまった。
(朝飯よりは美味いか…。相変わらず米はかぴってるし、スープの具はカスみたいだし、にんじんがやたら固いけど! まあでもハンバーグだけは美味いな!)
ヌゥは食べるのが遅い。なんというか、女子みたい。
そして、大好きだというハンバーグを、一口も触れずに最後まで残している。さっさと熱いうちに食えばいいのに。ほんとガキ!
ヌゥは嫌いだという野菜もなんとか食べて、待ちに待ったハンバーグをこれから食べるというところだった。
すると、アグのお腹がグーっと鳴った。
「うん?」
(げ……)
ヌゥにもその音はよく聞こえた。
「アグ、まだお腹減ってるの?」
「いや、その……」
ヌゥはにっこりと笑うと、自分のハンバーグの皿を持って、アグに差し出した。
「あげる!!」
「え…?」
アグは目の前のハンバーグを見て喉を鳴らす。
「い、いいよ…ヌゥのだろ…」
「いいよ! あげる! アグに全部あげる!!」
「いらないって…。だってヌゥはハンバーグ好きなんだろ…自分で食べなよ……」
「好きだけど、あげる!」
ヌゥは頑なに皿を差し出し続ける。
(もらうまで絶対引かねえって感じだな……これ……)
何で大好きなハンバーグなのに俺にくれるんだ…。
ていうかこれ食べないで、腹減らねえの?
アグはヌゥの圧に押されて仕方なくその皿を受け取った。
ヌゥは非常に満足そうに、満面の笑みでこちらを見ている。
「じゃあ……半分もらうよ…。ね? 全部は食べ切れないからさ…」
「そう? 遠慮しないでいいのに! まあそれじゃ、半分こ!」
そう言ってヌゥは自分の箸でハンバーグを2等分に切ると、その1つを一口で頬張った。
「う〜ん!」
もぐもぐと口を動かしてはご満悦だ。
アグもお腹が空いて仕方ないので、ありがたくハンバーグを頂戴した。
(美味い……冷めても美味い……)
「ヌゥ…ありがとう……」
俺がそう言うと、ヌゥはパアっと顔を輝かせていた。
「どういたしまして!!」
そうして昼休憩が終わると、午後の授業が始まった。
理科と道徳の授業だった。
道徳は何というか、無駄に心が傷む……うん、辛い。
カンちゃんに頼んで、読書用に本を何冊か見繕ってもらうことにした。今日探してきて明日渡すというので、今夜のところは暇つぶしは出来なそうだ。
教科書とノートは返却でいいか。授業は簡単だし、復習も予習も必要なさそうだからな…。
今日は疲れた。なんとなく。
初めてのことって慣れないもんだよな。
晩飯だけ食ってさっさと寝よ。
俺たちが独房に帰ってくると、ヌゥは言った。
「2人で受けると授業もすっごく楽しい! アグは頭もいいし、本当にすごい!」
「そ、そんなことは…」
「謙遜するねえ! 俺もアグみたいに頭がよかったら、もっと勉強も楽しいんだろうなあ!」
(まあこいつも、授業を見る限り特にアホというわけではなさそうだったけどな…。まあ、普通…? 勉強すれば伸びるタイプだと思うけどね。こいつも教科書返却してたしな。やる気はあんまりないタイプなんだろう。復習しないから身につかねえだけだよ。まあどうでもいいけど)
ヌゥは再び、例の本を読み始めた。
(またあの本読んでるよ…。何読んでんだ…)
やけに集中して読んでいる。
背表紙を裏返されていて、何の本かはわからない。
(まさか、『殺人の方法』とかじゃねえだろうな…)
アグがヌゥをちらっと見ると、目線に気づいたのかヌゥもアグの方を見て目を合わせた。するとヌゥはニヤっと笑った。そしてまた、その本を読み出すのだった。
(な、何だよ…怖い怖い怖い!! サイコすぎ!! 見るんじゃなかった!!)
「ヌゥ・アルバート、入浴の時間だ」
そんな放送が入った。
「そうだ! お風呂今日だった! 行ってくるね! アグ!」
ヌゥは本を置くと、ルンルンとした様子で風呂場に行ってしまった。
「……いってらっしゃい」
アグはここぞとばかりにヌゥの本に手をかけた。
(いいだろ別に……日記じゃねえんだし…!!)
パラっと表紙をめくると、その本のタイトルが目に入る。
『友達と仲良くなる12の法則』
「………」
アグは顔を引きつらせた。
『その①仲良くなりたい相手に積極的に話しかけよう!』
「………」
まるでコミュ障のためとも言わんばかりの、人と仲良くなる秘訣が、大変わかりやすい文字づらで書かれている。
『その②相手の趣味を知ろう!』
『アグの趣味って何?!』
こいつ……俺と友達になりたいのか……?
『その③相手が困っていたら助けてあげよう!』
『アグ、まだお腹減ってるの?』
『いや、その……』
『いいよ! あげる! アグに全部あげる!!』
そのあとも俺はパラパラとその本をめくって中身を確認すると、元あったところに戻した。
「はぁ……」
俺は大きなため息をついた。
どうやら殺す気はなさそうだが……油断は出来ない!!
風呂からあがったヌゥが顔を火照らせては、上機嫌で戻ってくる。
「あ〜、さっぱりした〜!」
ヌゥは床に腰掛けた。
俺は何も知らないという表情で、彼から少し離れて座る。
「あ!」
ヌゥは声を上げると、突然アグの方に近づいきては、バシン!!っとアグの右足のすねをひっぱたいた。
「痛ったあアアア!!!」
アグは恐怖と痛みで気絶しそうだった。いや、そこまで痛くはなかったんだけどさ…。
「な、何するんだよ…!」
「倒したよ! 見て!!」
ヌゥは手のひらについた無惨な虫の死骸を、アグの目の前に持ってきて見せつけた。
「ひっ!」
ヌゥはニヤニヤと笑っている。
俺はブルブル震えていた。
「ふふ〜!! 一撃〜!!」
ヌゥはそんなことも知らずに超機嫌がいい。
無理。こいつと友達? は?
なるわけないじゃん!
命がいくつあっても足んない!!
はぁ……ていうかずっと椅子に座ってたし、寝るときも床で固いから、無性に肩凝った…。
アグは無意識に肩に手を当ててそれを揉んだ。
「ん! アグ肩凝ってるでしょ! 俺が揉んであげる!!」
「えっ!! いい! 凝ってない!!」
アグは激しく首を横に振った。
「絶対凝ってるよ! 俺も慣れるまで身体痛かったもん! ここの床固いから!」
ヌゥはニヤニヤしながら両手を動かして肩を揉む素振りをしてくる。
「いい! 全く微塵も凝ってない!! すんごい寝心地いい!!」
「えー? 嘘でしょそれは! 遠慮しないでよ〜! ほら、俺に任せてって!」
ヌゥは俺の話など聞いていなかった。
「いやいやいや!! 無理無理!! 触るな! 俺に触るなァァあああ!!!」
ヌゥは俺の後ろに回り込むと、俺の肩を強く握りしめた。
「痛い痛い痛い痛い痛い!!!」
「え? ごめーん!!」
手加減も知らないし経験もないヌゥのマッサージは、痛いだけで全く効きやしない!
そのうち肩が握り潰されるんじゃないかと怯えながら、アグは涙半分に悲痛な声で叫び続けるのだった。




