やっと会えた
ヌゥが初めて独房に入った日のこと。しばらくすると、自分を牢に入れた看守とは別の男が、ヌゥの独房の前にやってきた。
「お前か。最年少殺人鬼のヌゥ・アルバートは」
独房の中で座り込んでいたヌゥは、その声を聞いて顔を上げた。
「誰?」
見上げると、黒髪の30代くらいの男が、檻の前でヌゥを見下ろしていた。
「今日からお前専任の看守になった。説明は既にきいたと思うが、明日から9時から15時まで、授業を受けてもらう」
「ああ、あなたが俺の先生なんだね。名前は何?」
「お前ら囚人に名乗る必要はない」
男は非常に無愛想だ。それに、狂気殺人鬼と噂されるヌゥの前でも、平然とした態度である。
「じゃあ、看守だから、カンちゃんって呼んでもいい?」
「好きにしろ」
「カンちゃんは、俺と友達になってくれる?」
カンちゃんはヌゥを初めて見た時、何だか気弱そうな少年だな、という印象を抱いた。しかしこの子が、両親も村人も全ての住民の首をはねたという。そんなことが出来るようには見えなかった。
だけど何となく、瞳の奥には狂気が宿っている気がする。この子が殺人鬼だと知っているから、そう思うのだろうか。
「ならないよ。先生と生徒だからな」
「そっか…。残念だな」
「じゃ、また明日な」
カンちゃんはヌゥの顔を見て、名乗りもしない挨拶を済ますと、すぐに帰っていった。ヌゥはぼーっとカンちゃんが立ち去るのを見て、彼の足音が聞こえなくなるまでじっと耳をすましていた。
「ふぅ……」
何の物音もなくなると、ヌゥは息をついた。この特別独房は、他の独房からかなり離れた、長い長い廊下の先にある。だからいつだって、ここは静寂としている。
俺はこれから、ここで1人で生きて、死ぬんだね。
でもその方がいい。ここにいれば、誰も傷つけずに、誰も殺さずに、生きていける。
もう終わったんだ。俺の中の悪魔は、斬りつける獲物を失ったんだ。俺に罵声を浴びせる村の人たちももういない。
ヌゥの口元が緩んだ。誰もいない牢獄の中で、彼はいつも、笑っていた。
ヌゥはその特別独房で、4年の歳月をたった1人で過ごした。
ヌゥが言葉を交わすことができるのはカンちゃんだけ。授業と関係ない無駄話はあんまり付き合ってくれない。
髪は伸びた。ボサボサして、手ぐしが絡まるけど、そんなのどうでもいい。背は…成長期にしては、なかなか伸びないなあ。多少は伸びた気はするけど。
ヌゥはふと自分の手のひらを見つめた。この手が剣を握り、人の首をはねた。不思議だった。
随分昔の出来事のようにも思う。だけど感触はまだはっきりと覚えている。
反省するために牢屋に入れられた。なのにヌゥは、全く反省できない自分に驚く。どうして殺してはいけなかったのか。どうして殺してしまったのか。ヌゥはどちらもわからなくなって、頭が混乱して、ついに、考えることをやめた。
ずっと1人で過ごすうちに、ヌゥの心の中で何かが消えていった。
それが一体何だったのか、あるいは元々持っていたものなのか、それすらわからない。
わからないけどとにかく、辛くなることも、悲しむことも、痛みも、なんにもなくなって、何も感じなくなった。
人を殺したことも、なんてことないことだったんじゃないかと、思うようになった。
ヌゥは幼すぎた。村にいた時だって、独房にきてからだって、彼は人とまともに関わることができなかった。人との関わり方が、いつまでたってもわからない。
もちろんカンちゃんの授業は週に5回受けていた。でもカンちゃんは淡々と授業するだけだ。あくまで看守と囚人、よくても先生と生徒だ。ヌゥがどれだけ慕おうと、それ以上の仲にはなれない。
しかしある日、彼にとって願ってもない好機が訪れる。
ヌゥの独房に、新しい囚人がやってくることがわかったのだ。
「本当?! それ本当なの?! カンちゃん!!」
カンちゃんに報告を受けたヌゥは、教室の特別製ガラスにはりつくようにして、カンちゃんに言い寄る。
「そんなにはしゃぐな」
「いやぁ、牢屋に1人って本当に退屈でさ。嬉しいな〜。ねえカンちゃん、どうやったら仲良くなれるかな」
カンちゃんに無視されるかと思ったが、意外にも彼はヌゥの話にのってくれた。
「まぁ、まずは第一印象をよくすることだな。それには笑顔で明るく話しかけることだ」
「うーん、なるほど!」
「しかし、相手もそれなりの犯罪者だがな、お前のことはよく知っているだろう。村を壊滅させた凶悪な奴だと」
「そっかぁ…俺、怖がられちゃうかなぁ。でも同じ犯罪者同士、話が合うってことはないかなあ!」
「俺もまだ会ってないからどんな奴か知らねえけど。そいつの事件で出た死人の数は、お前以上だって聞いたぞ」
「えっ! すごいね! 俺より凶悪ってこと?」
「知るかよ…。まあでも、同い年だってきいたぞ。せいぜい仲良くやってくれ」
「もちろんだよ! あぁ! 楽しみだなあ! 一体どんな子なんだろう!!」
ヌゥは新しい囚人に会うのを心待ちにしていた。今夜ヌゥの部屋にやってくるらしい。こんなに心が踊る夜はない。
ヌゥは内心わくわくしながら、でも怖がらせないようにと思って、牢屋の隅で静かに座って待っていた。
そしてついに、アグが俺のところにやってきた。
ヌゥは彼に会えたことが嬉しすぎて、キラキラと目を輝かせていたのだが、長い前髪のせいで、アグには多分見えていなかった。
アグはヌゥを見ると、必死で牢屋を抜け出そうとした。
こいつと一緒の部屋は無理だと、何度も必死で叫んでいた。
アグは茶髪の少年で、俺なんかよりずっと男の子らしい顔立ちで、ちょっとだけ目つきが鋭かった。同い年だと聞いていたけど、自分より年上のようにも見えるのは、自分が童顔なせいだと思う。
身長も少しアグの方が高いが、まあそこまでの差はない。アグは大変やせ細っている。俺も人のことは言えないけど、アグはあんまりいいものを食べていなかったんだろうか。服はボロ布の囚人服。俺とお揃い。裕福な家の子って感じはしないな。囚人服だからってわけじゃなくてね。
アグは閉められた檻のドアをガンガン叩いて、もう見えなくなった看守に向かって、こいつと2人にするなと叫び続けた。
(やっぱり、怖がられちゃったか……。君の方が凶悪だって聞いたのになあ)
ヌゥはアグの手錠のカギを拾うと、ゆっくりと彼に近づいた。
アグが振り返ると、彼とばっちり目が合った。
(あれ…? この子…? あれ…? 誰だっけ?)
ヌゥは前髪の間から大きな瞳を覗かせて、アグの顔をまじまじと見た。
どうしてだろう。彼と初めて会った気がしない。
でもそれだけ。
なんだか不思議な感じだ。まるで彼に会うために、ずっとここで待っていたような、そんな気持ちだった。
そんなに俺、友達が欲しかったのかな。
空っぽだった心が、不思議と暖かさで満たされていくような、そんな安らかな心地だ。
アグは何度もヌゥを拒絶したが、そのたびにヌゥは「殺さないよ」と何度も彼を諭した。
アグは恐怖で震えていたが、ヌゥはそんなことはおかまいなしで、アグを抱きしめた。理由はわからないけど、そうしたくって、仕方がなかった。
「やっと会えた」
ヌゥは無意識にそう呟いた。そして何故だか、涙が出た。
アグが恐怖で震えているのがわかって、ヌゥはアグから離れた。
君は俺が怖いんだ。そうだよね。
殺人鬼と同じ部屋は嫌だよね。
でも、どうしてだろう。
君に何を言われても、手が出る気がしないな。もしかして、俺の心に住んでた悪魔は、もうどっかに消えちゃったのかな。だったらいいのに。
「はじめまして。俺はヌゥ・アルバートだよ。今日から一緒に暮らすんだね。よろしくね」
あぁ、どうしたら君と、友達になれるかな。