孤児の二人
アグ、君を守るためなら、
俺は闇に落ちる。
あの時みたいに、誰かの声は、聞こえなかった。
今度は俺が望んで、力を開放した。
俺は、途方もない怒りにくれて、誰かを殺したいと願っている。
アグ、君以外の人間も、シャドウも、全部、殺したっていい。
君さえ、生きてくれるなら。
俺はなんだって出来るよ。
覚醒したヌゥは、メリの両手を斬り落とした。
アグは、床に落ちたメリの左手を見ていた。
薬指に、指輪がついている。
「え……?」
見覚えがあった。
銀色の、歪な、シルバーリング。
アグの中の記憶が、うっすらと蘇る。
(俺が……あげたんだ……)
俺の記憶の中の、誰かの声たちが、乱雑にこだまする。
『ねぇアグ、私のこと、好き?』
『メリ、君を助けられるなら、俺は…俺は…』
『条件は、君からメリの記憶を消すこと』
『思い出すことを君の身体が拒否する。やがて君は、彼女のことを思い出すことさえしなくなる』
『外の大陸からきたんだよ』
『あなたのことを、忘れるなんて…』
『作るから…俺…』
『無理よ、そんなの…』
『あいつの術を解く方法を見つけるから』
アグを激しい頭痛が襲う。
(そうか……俺は……)
アグは、禁術解呪の薬を飲んだ。
頭痛がすっと消えていく。
そして俺は、全部思い出した。
メリとの出会いを
メリと過ごした日々を
メリと最後に、会った日のことを
俺は、孤児だった。
そのことは元々、覚えていた。
目が覚めたら、その街にいた。
平民達が、貴族たちからひどい扱いを受けながら生きている、貧困の街。
いつの日か、この国がガルサイアという名前だということ、俺はこの街から出られないことがわかった。
街から出るには、高額な通行料を払わなければならなかったのだ。
母親が持たせたのか、俺の首には、お金が入った袋がかかっていた。最初はそれの使い方も知らなかった。母親は教えてくれなかったし、まだ幼かったから。
お金を渡して捨てるなら、殺せばいいのに。
そんなことを、考えることもあった。
それほど、この街での生活は悲惨なものだからだ。
ある日、俺は初めて、貴族の街に食料を求めて行ってみたが、全てのお金と引き換えにパン1つしか貰えなかった。買い物なんてした事のなかった俺は、そのことを疑問にも思わなかった。
後々考えれば、1週間は何とか凌げるくらいのお金が入っていたと思う。
俺には家がない。
他にも家がない奴らはたくさんいたから、特に目立つことはなかった。
俺は路地裏のある一角を家として過ごしていた。
家のない奴らも、大体自分の家代わりの場所を見つけて住んでいて、俺は屋根のあるなかなかいいポジションを運良く見つけて、そこに住んでいた。どうやら、ここに住んでいたやつが、最近餓死したらしい。そんなことも、この街ではよくある話だった。
街の人たちは、意外にも温厚で、誰かの場所をとったりとか、そういうことはしなかった。だから俺も、なんとか寝るところだけは確保できた。
俺の隣の場所には、歳が同じくらいか、あるいは少し上の女の子が、1人で住んでいるのを知っていた。あの子のほうが、前から住んでいたようだ。
あの子も孤児なんだろうと思う。
彼女は桃色の長い髪で、大きな瞳をしていて、可愛らしい顔の女の子だった。しかし、骨がでてきそうなくらい、やせ細っていた。
俺が全財産で手に入れたパンを食べようとすると、その子がじっとこっちを見ているのに気がついた。
俺と目が合うと、彼女はハっとして、目をそらした。
「……食べる?」
「ご、ごめんなさい…。いらない……それは…あなたの…だから」
「いいよ。半分、あげる」
アグはパンを半分ちぎって彼女に差し出した。
「い、いらないって…」
その時、彼女のお腹がぐぅ〜となった。
彼女は赤面して、顔を隠した。
俺はそんな彼女を見て、ぷっと笑った。
「いいから、食べなよ」
俺はその子に近づいて、パンを渡した。
彼女はそれを受け取ると、無我夢中で食べた。
「…あ、ありがとう……」
「うん。どういたしまして」
「………」
メリはそれ以上何も言わずにいたので、俺は自分の場所に戻った。
メリと初めて話したのは、それだけだった。
それからしばらく、彼女と話をすることはなかった。
ある日、突然大雨が降ってきた。
凄い寒さに震えたが、屋根があってまだましだった。
隣を見ると、あの子がびしょびしょに濡れている。
見かねた俺は、声をかけた。
「おい。こっち、来なって」
「いい。そこはあなたの場所だから…」
「いいから。風邪ひいちゃう」
アグは長ば無理矢理、彼女の腕を引っ張って、自分の場所に座らせた。
なんて細い腕だろう…。
何にも食べてないんじゃないかと思うくらい、彼女はやせ細っていた。
「ありがとう…」
「どういたしまして」
「またあなたに、助けてもらっちゃった…」
「別にいいよ…気にしないで」
彼女は、勇気を出して、話しかけた。
「あなた…あなた、名前はなんて言うの?」
「俺? 俺はアグ。アグ・テリー。君は?」
「私は…メリ・ラグネ…ぇっくしゅん!!!」
メリはくしゃみと共に名を名乗った。
「ラグネル…です…」
「ぷっ……」
俺は笑ってしまった。
メリは赤面してまた顔を隠した。
「ごめんごめん! 風邪引いちゃうよ。これ、着て」
アグは自分の羽織っていた上着をメリにかけた。
それを脱いだアグは半袖のシャツ一枚で、寒かったけれど、びしょ濡れの女の子を前に何も貸さないわけにはいかない。
子供ながらに、そう思った。
「中の服、脱いだほうがいいよ。俺の後ろに隠れて。見えないように、隠してあげるから」
「いい。それじゃああなたが寒いもの……」
「あのね、君はバカなの? そのままでいたら風邪引いちゃうよ。それに…ちょっと……透けてるし…」
メリはアグをバシっと叩いて、しぶしぶ彼の後ろで着替えた。
「そんなに怒んなくても…」
「最低! ずっと見てたのね!」
「見てないよ……。まだ子供なんだから、そんなに恥ずかしがることないじゃん」
「何言ってんの! この変態! えっち!」
どうやら彼女を怒らせてしまったようだが、この日から俺たちはよく話すようになった。
メリは、母親と一緒にこの貧困の街に住んでいた。しかし、ある日母親は病気で死んでしまったのだという。
今思えば、治療費があれば治る病気だったのかもしれない。
母親が死んだメリには身寄りもなく、お金もなく、家を売って路上で生活していたが、もちろんお金も底をつき、メリは貴族の元で働くことになった。
平民たちを奴隷のように扱うことが当たり前の貴族の街で、奇跡的にもメリの仕事場の主人は彼女によくしてくれるのだという。
しかし、貴族の街で平民が暮らすことはできない。主人はメリを働かせることが精一杯で、彼女に良くしてあげていることが見つかったりしようものなら他の貴族たちに何をされるかわからない。彼女を一緒に住まわせることなど到底できなかった。
メリはそのこともよくわかっていたし、働かせてもらえるだけで充分だといつもお礼を言っていた。
お金は、持っている。
ただ、メリはそれをほとんど食べ物に使わなかったため、やせ細っていた。
何に使っているのかときいたら、内緒と言って教えてくれなかった。
世間のことを何も知らないアグに、メリは色々教えてくれた。
お金のない俺は仕方なく、貴族の元で奴隷のごとく働いて何とか生活をしていた。
仕事から帰ると、メリと話をした。
メリはおそらく、俺よりいくつか年上だ。
メリの仕事場の主人はダンネという男で、仕事の合間にメリに勉強を教えてくれた。時には家にあった本を貸してくれたりもした。
メリは彼に教わったように、俺に勉強を教えてくれた。
俺があまりに物覚えがいいので、メリは驚いた。
「アグは頭がいいのね」
「そうかなぁ…」
俺には自覚がなかったが、メリが言うんだからそうなのだろう。
メリは仕事場から難しそうな本なんかをどんどん持ってきてくれては、俺に貸してくれた。そのレベルはどんどん上がっていき、子供が見る様なものではなく、学者や研究者が読むようなものになっていた。
ある日、メリは、俺のことをダンネに紹介したいと言い出した。
俺はメリに連れられ、ダンネの家にやって来た。
ダンネは、優しそうな顔立ちで、もう50歳くらいの男だった。
アグを目にすると、ニッコリと微笑みかけた。
ゆつくりとした口調で、彼は俺に声をかける。
「君がアグ君かい」
「は、はじめまして…」
「私はダンネといいます」
「えっと…ダンネさんとメリは、どういった仕事を?」
ダンネはニッコリと笑うと、仕事場である隣の部屋に彼を案内した。
ダンネは、鍛冶屋だった。
「すっごい……」
初めて鍛冶屋の仕事場を目にしたアグは、圧倒された。
炉、鞴、金床などの設備が整っていて、溶接、切断のための器具も備わっていた。鉄を燃やすための木炭が積まれており、鉄鉱石などの金属鉱石が大量に保管されている。完成された武器が、木でできた専用の棚に並んでいた。
「ねえ見て! これ!」
メリは長剣を手に取ると、アグに見せた。
「すごい! これ本物だ?」
「これ、私が打ったの」
「え? メリが? すごいね!」
アグに褒められて、メリは嬉しそうだ。
ダンネも二人に近づいた。
「メリはね、鍛冶屋の才能がある。この年齢で、しかも女の子が、これを打てるとは驚くよ。まあでも、まだまだ甘いがな」
「もう! 厳しいなぁダンネさんは」
ダンネは微笑んだ。
アグは部屋中を見て回った。
本物の武器を手にとったりして、アグは興奮していた。
「ねえ、こっちの部屋にも来て」
メリはアグを手招きすると、隣の部屋に案内した。
その部屋は研究室のようになっていて、様々な実験用具が揃っている。
「すっごい! ここは何なの?」
「ここは、実験室です。私たちは剣だけでなく、他にも様々な武器を開発しているのです」
アグは、机の上に置かれていた小さな爆弾を手にとった。
「何これ」
「ちょっとアグ! 危ないわよ!」
「爆弾ですよ。中に爆薬が入っていて、爆発を起こして敵を攻撃する武器です」
「へえ〜すごいなあ…」
「でもね、それ失敗してて…うまく爆発しないの」
メリはダンネの方を見た。
ダンネは頷きながら爆弾の作り方がかかれたレポートを持ってきた。
「メリがね、アグ君はとても頭がいいから、どこが悪いのかわかるんじゃないかと言ってね」
「…見せてもらってもいいですか?」
アグはそれに目を通した。
メリとダンネはそんなアグを、じっと見ていた。
「やっぱり、いきなりこんなものを見せても、わかりませんよね」
「…なるほど。発火装置に問題があるんじゃないかな」
「え? なんだって?」
「これ、借りてもいいですか?」
アグは改造に使う機材を持ってきた。
「い、いいけれど…君…」
「わぁ。こんな風になってるんだ!」
アグは装置をいじり始めた。
ダンネとメリは目を点にして、彼を見ていた。
「アグ、爆弾触るの初めてでしょ?!」
「そうだけど…まあなんとなくで。作り方に仕組みも載ってて、それも読んだし」
「…!!」
アグは、確かに頭がいいと思っていた。
でもそれは、私の予想を遥かに超えていることに気づいた。
そしてそれと同じくらい、手先が器用だ。
しばらくすると、アグは爆弾の中身をダンネに見せた。
「出来たよ!」
「なんだって? ふむ……なるほど、そうか。こうすれば良かったのか…」
ダンネは目を輝かせて驚いた。
「すごい! アグ! すごい!」
「…そうかな?」
「もう! なんでわからないの? アグは天才だよ! ねえ!ダンネさん!」
「ああ! 素晴らしい才能だ! ぜひここで、働いてもらえないかね」
「だって! アグ! いいよね?」
「だ、ダンネさんがいいなら……お願いします」
メリはアグの手を握って喜んだ。
すると、ドンドンとドアを激しく叩く音が聞こえた。
「おい! ダンネ! いるんだろ?! 開けろ!」
荒々しい男の声が聞こえた。
「二人共、机の下に隠れなさい!」
ダンネに言われて、メリとアグは机の下に隠れた。
2人が入るにはなかなか狭い場所で、メリはアグに覆われるように身体を密着させてなんとか隠れられた。
メリはその状況に、ドキドキしていた。
ダンネがドアを開けると、男がずかずかとアグたちのいる実験室まで入ってきた。
「な、なんの用だね突然」
「お前の仕事が遅えから見にきたんだよ。頼んであった爆弾…これか? なんだよ、もう完成してるじゃねえか。だったら早く納品しろよ」
「きょ、今日中に届けようと思っていたんだ……」
「はぁ! いいわけがましい奴め! それより、例の実験は数年後らしいぜ。わかってんだろうな」
「……わかっておる」
「ならいいけどよ! さっさと残りの爆弾も完成させとけよ」
アグはダンネたちの話に利き耳を立てていた。
メリはアグの胸に顔をうずめて、それどころではなかった。
男はそう言い残すと、部屋を出ていった。
「……行ったみたいだな」
アグがメリを見ると、顔を真っ赤にしていた。
「うわ! ごめん!」
(やっべ! めちゃめちゃ抱きしめてた!)
「……ううん…バレなくてよかった…」
メリはそっと彼から離れると、机から顔を出した。
「すまなかったね。突然」
「いえ…誰ですか、あの人は」
「ガルサイア王の使者でな、武器を買ってくれるのはありがたいんだが、あのように気性が荒くて無茶な注文も多くてな。アグ君が爆弾を完成させてくれたおかげで助かったよ」
「それは…よかったです。あと…例のやつってなんなんですか…?」
「え? あ、あぁ、城にも研究室があってね、新しい兵器を作る実験を行うらしいんだよ。それの手伝いも頼まれていてね…。それよりアグ君、君は爆弾を作る才能があるね」
「えっと…機械とかをいじるのは、結構楽しいです。実験とかも…」
「そうかそうか。どれ、こっちに来てみなさい」
アグはダンネから、色々なことを教わった。ダンネは研究員だったこともあって、爆弾以外にも、様々な実験の話を聞かせてくれた。
メリもまた、その様子を笑ってみていた。
それから俺は、メリとダンネさんと働く毎日が続いた。
俺は研究の面白さにハマってしまって、その日から仕事の時以外でも毎日実験をしたり、爆弾やらなんやらを作り始めた。
そのための素材は働いたお金で買ったり、ダンネさんに借りたりもした。
実はメリも、俺と同じように貯めたお金で、武器作りのための道具や素材を集めていたらしい。
俺たちはずっと一緒に暮らして、家族みたいになった。
一緒にご飯を食べて、一緒に眠って、毎日メリの作った武器や、俺の実験のことを話したりした。
気づいたら俺の中で、メリは誰よりも大切な人になっていた。




