心に忍ぶ
擦り抜けの術はヒズミにしか使えない。
よってヒズミとアグはアンジェリーナに乗り、その巨大な姿をも隠してウォールベルトの壁を超えた。
「よっと」
二人はアンジェリーナから飛び降りると、侵入に成功した。
ヒズミから離れたアンジェリーナはその姿が現れたが、すぐにそこから飛び立った。
「誰だ?!」
「おい、鳥だよ」
「なんだ…鳥か……」
門番たちは振り返ったが、既に遙か上空に飛び立っていたアンジェリーナを不審に思うことはなかった。
壁を超えると、巨大な建物が構えられていた。
「この建物は…なんですか」
「ここが研究所や……。中にはぎょーさん部屋がある。さすがに全部は把握してへんけど…とりあえず一つ一つ覗いてハルクと薬を探すしかないで。あと、声は外に聞こえるから、気ーつけや。中に入ったら基本的にはこれやで」
ヒズミは口に人差し指を当てて、喋るなと伝えた。
アグは頷いた。
「ただ、どんな小さい声で喋ってもわいはそれを聞ける能力がある」
「遠耳の術ですね」
アグは前もって、ヒズミの使える術について聞かされていた。
「せや。やからもしどうしても話したいことがあったら、ちっちゃい声で言ってや」
「わかりました」
ヒズミは一人擦り抜けの術で研究所の壁の向こうを覗く。
隠れ身の術と擦り抜けの術を同時に使うのは、かなり高度な技であった。ヒズミはそれをも楽々こなす。忍術に縁のないこの大陸の者からすれば、その凄さに気づくことすらないが、彼の能力は実を言うと天才的なのであった。
「誰もおらへんみたいやな……今のうちに中に入るで」
二人は姿を隠したまま、正面から中に入った。
だだっ広いエントランスがある。先には廊下があって、更に奥へと続いているようだ。
(広い……予想以上の広さだ……)
二人は研究所の中を捜索する。
1番近くの部屋は、広い手術室のような、実験室のような場所で、ベッドには誰もいないが、床には激しい血の跡がある。
また違う部屋では、液体の入ったガラス張りのケースに、たくさんの人間がそれぞれに入っていた。その数は100を超えるのではないだろうか。そこにも手術台のようなベッドがおかれ、その部屋では紫色の血が飛び交っていた。
(これは……死体…か……?)
その光景を目にして、アグは気分が悪くなった。
シャドウには死体から成るものがあるんだっけか…。この死体の山を材料にして、シャドウを作っているのか……。
長い廊下が続いて、途中途中に小部屋がいくつかあった。
一つ一つ中を覗いていくが、寝起きするためのベッドのみがおいてある個室という感じで、特に不審なものはない。
更に進むと、大きな広間になっている。
奥にはドアがたくさんあって、更に奥にも部屋があるらしい。
途中で上下に続く階段がそれぞれあり、完全に迷宮という感じだ。
1つ目のドアの中を覗くが、そこは広い部屋となっていて、どうやら誰もいないらしい。
(なんでだ…? さっきから誰一人いない……)
ヒズミがドアを開けて中に入ると、急にドアが閉められ、ガチャリと鍵がかかる音がした。
(な、なんだ?!)
すると、奥の壁だと思われていたところがドアのように開き、たくさんのシャドウたちが中に入ってきた。シャドウたちはきょろきょろと辺りを見回し、部屋に入ってきたはずの彼らを探していた。
(ドアが開いたから誰か来たのがバレたんか……でもわいらの姿はまだ見えてへんはずや)
(この状況……俺たちが来るのを待っていたかのようだ…)
「そこにいるのはわかっている!」
シャドウの1人が前に出て、炎を吐いた。
(見えてへんのに当てれるかいな…!)
ヒズミとアグはそれを避けたが、シャドウはニヤリと笑っていた。
「見つけたぞ……侵入者め」
シャドウたちの視線は揃って俺に向いていた。
色が…濃い……! バレてる! 見えてる!
アグはリストバンドの先を見た。
糸が、きれてる……。
そうか…クモの糸は可燃性……直接火が当たらなくても、その熱で糸は燃えて切れたんだ…。
これは身内しか知り得ない情報……完全に奴らに漏れている…!
俺たちが今日ここに来ることも……
このリストバンドのことも……
計画的に、待ち伏せられていた……
「ヒズミさん…今どこに……」
アグは聞き取れないほど小さな声で話しかけたが、反応はない。
ヒズミの姿もない。
くそ……どうなってんだ……
シャドウたちはアグに向かって、襲いかかってきた。
アグは無線の緊急ボタンを押した。
「くそ! 来るな!」
アグは手榴弾を投げて牽制する。爆発と共に黒い煙が広がった。
すぐに投げられるように、小型化して服の裏側に大量に仕込んである。
「ぐあっっ」
「なんだ!!」
煙を吸ったシャドウたちは次々に倒れていく。
手榴弾には毒ガスを仕込んだものがある。アグとヒズミは前もって効果を無効化する解毒剤を飲んでいたので平気だった。
しかしシャドウたちの数は明らかに多く、一発でしとめるのは不可能だった。
風を操るシャドウに煙を吹き飛ばされた。
「はぁ……本当この仕事、命がけすぎ……」
アグは冷や汗を垂らしながら、シャドウの大群を見てもはや笑うしかなかった。
外では無線が赤く光ったのをジーマが確認した。
入って1時間もたたずにボタンが押されたので、皆は焦った。
「まさか…もう?!」
「皆! 早く!!」
ヌゥは一目散にアンジェリーナに飛び乗る。みんなもそれに続いた。
「おい! あの鳥!」
門番たちはアンジェリーナを見つけ、声を上げた。
「誰か乗ってるぞ!」
「侵入者だ!侵入者だ!!」
門番たちは何かの機械で中にそのことを知らせた。
ベーラは呪術で縄を出し、彼らをぐるぐるに縛り付け、手足と口を封じた。
「おい、バレバレだぞ」
「正面突破するんだ! 関係ない!」
全員は壁の向こうに飛び降りた。
アグ……無事でいてっ!!!
入り口からはいると、エントランスが広がっていた。
「侵入者……殺す……」
待ち構えていたのは、たった一人のシャドウだった。
短い金髪に、アシードのような大柄な体型だ。背中には剣を何本か背負っている。
その男、異様な空気を放っていて、只者じゃないことがひと目でわかった。
「レアか……」
ジーマは呟いた。
「我が名はダハム。侵入者はこの私が全て殺す!」
すると、ダハムは両手に大きな円上の白い光を集め、だんだんそれを大きくした。その光は、凄まじい威力を秘めていることがわかる。
「な、なんだあれっ」
ヌゥは思わず叫んだ。
あれを食らったら死ぬと、全員が察した。
ダハムはその光の球をこちらに向かって放ってきた。
すると、光の球は真っ二つに斬られ、彼らの後ろに飛んでいき、研究所の壁にぶつかって大きな風穴を2つ開けた。
「ジーマさんっっ!!」
(嘘でしょ…あれを……斬ったの……?)
「ほう……」
ダハムは感心したように、その栗色の髪の男を見ていた。
「行って…こいつは僕が殺る……」
ジーマは言った。
ヌゥとベーラとベルは、先へ進んだ。
「させるか…!」
ダハムはヌゥたちに向かってまた光を放ったが、ジーマにそれをまた斬られてしまった。
(この男……剣先が見えない……こいつがメリが言っていた奴か……部隊最強の剣士、ジーマ・クリータス)
「相手にとって、不足はなし…。すぐにお前を片付け、あいつらも皆殺す」
「はは……出来るといいけど」
ダハムは背中の剣を抜き、ジーマに向かっていった。
アグは手榴弾を投げ続け、シャドウの数がかなり減った。
(こいつらは格下のシャドウだ……)
しかし、中には炎を吐く者と風を操る者がいる。
あいつらが厄介だ……。
アグは必死で戦っていたが、ヒズミは姿を隠したまま、その様子を、安全なところで、冷たい目で見ているだけだった。
(ふうん……わいがおらんでも、戦えるんや……)
はぁ……いつからやろ…
いつからわいは、ヌゥのことが気になってたん……?
アリマに着くまでは確かにヌゥのことを恐れとった。
あの子が怖かった。
でも、アリマに漂流して、ずっとあの子と一緒に過ごして、あの子のこと、だんだん怖くなくなっとった。
わいの忍術の話を楽しそうに聞いてくれたり、最後の食料の缶詰をくれたりした。
あの子が戦う姿を見て、勇気が湧いた。
ビビリのわいが、あんな戦場に乗り込むなんて、今考えても信じられんへん。
向こう見ずに敵に立ち向かっていけるあの子が、かっこよくて、羨ましくて、わいもああなれたらって、そう思った。
わいを襲った矢を、あの子は自分の手のひらで受けて、わいを守った。
初めてやった、人に命がけで守ってもらったのは。
その後、ずっと落ち込んどったあの子が、やっと笑って……その顔を見たら、なんでか知らんけどすごい嬉しい気持ちになった。
あの子と、仲のいい友達になれたんやと思っとった。
でも時折見せるあの子の笑顔はいつも素敵で、正直ドキッとした。
あの子とおるのが楽しい。
話をするのが楽しい。
友達でよかったのに。
だってあの子は男なんやもん。
でもあの子に抱きつかれて、気づいてもうた。
友達やない。
あの子をそういう目で、見てもうた…。
誰にも、言えるわけない。
男を好きになるなんて、自分でも信じられんへんもん。
でも一度、たった一度でも、そう思ってしまったら
気づいてしまったら、もう……気持ち、変わらへんやん…。
「アグのこと、守ってね」
今朝ヌゥにそう言われた時、すごい嫌悪感に襲われた。
あの子の中では、アグが1番なんや。
いつだって、あの子が助けたいのも、守りたいのも、彼。
例えそれが恋愛感情やないとしても、あの子の中で彼は、特別なんや。
仮にもわいが入る、隙なんてない。
そんな彼が……今の目の前でシャドウに襲われてる……。
(この子がおらんなったら、ヌゥをわいのものにできるんやろか…。)
ヒズミはその場から動けなかった。
シャドウは残り2体になった。炎を吐くシャドウ、風を操るシャドウ。こいつらは強い…。手榴弾を当てているのにびくともしない…。他の奴らに比べてガードがかたい……。
「行け!!」
アグは水爆弾を投げ入れた。
二人のシャドウは水に濡れたが、ダメージはなさそうだ。
「その程度の爆弾で、私達を倒せるものか!」
「どうかな!」
アグは切り札の爆弾を投げ入れた。
激しい爆風と共に二人のシャドウを高圧電流が襲う。
二人のシャドウは感電し、その場に倒れた。
「やった…!!」
アグはガッツポーズをした。
(嘘やろ…? あの数を倒したんか……?)
ヒズミが様子を見ていると、一人のシャドウが壁の向こうから現れ、光の剣を生み出し、アグを後ろから襲った。
アグはすんでのところで飛んで避けたが、身体を浅く斬られた。
(アグっ……!)
わいは……何をやってるん……?!
何でこの子を死なせようなんて……!
「痛ってえ……」
(くっそ……まだいんのかよ……切り札使っちまったし……斬られたし……クソ痛えし……)
アグは倒れたまま、起き上がれずにいた。
すると、新たに現れたシャドウは、両手を掲げると、何本もの光の剣を生み出した。そしてそれはアグの方を向き、一斉に放たれた。
(今度こそ、死ぬっ………!!!)
アグが目をつぶると、巨大な炎が燃えさかり、光の剣を燃やし尽くした。
そこには、姿を現したヒズミが立っていた。
「ヒズミさんっ!!!」
アグは安堵の声を上げた。
ヒズミは横目で彼を見た。
手足が震えている…。当たり前やな…。相当怖い思いをさせた……。
「やっと姿を現したか。もう一人いるのはわかっていたぞ」
「隠れるのが十八番やからな……」
ヒズミは炎を吐いた。
シャドウはそれを避けると、光の剣を放ってくる。
(動きが速いな……明らかにさっきまでのシャドウとは別物や……。でもな、お前よりもっと速い奴相手に特訓したんやで!)
ヒズミは姿を隠して攻撃を始めた。
「くそ! こそこそ隠れやがって!!」
シャドウは無作為に光の剣を放つが、どこにいるか見えない彼には当たらない。
ヒズミはシャドウの真上から炎を吐いた。
「上だと?!」
シャドウはかなりのダメージを受けたようだ。
「あかんな〜ヌゥはこれも避けよったで」
「貴…様っ……!」
その後もヒズミはシャドウを追い詰めた。
シャドウは酷い火傷をおって、その場に倒れた。
「やったんか…?!」
すると、シャドウはニヤリと笑った。
「せめて一人だけでも、仕留めるぜ…」
シャドウは最後の力を振り絞り、彼の身体は全て光の剣となった。
ヒズミは炎を吐くが、そのシャドウ全力の技なのだろう、命をかけた自滅の刃はびくともしない。
「なんやて…?!」
光の剣は空に浮かび、円を書くように舞ったあと、アグに狙いを定めた。
全方向から剣はアグに襲いかかった。
「アグのこと、守ってね」
初めてあの子に会った日、ヌゥはアグのことを殺そうとした。
なんや、あの子にはそんなことをしてしまう、呪いがかかっているらしい。
次の日、あの子の目は腫れて真っ赤になっとった。
ずっと泣いとったに違いない。
気づけばあの子は、いっつもアグの話ばっかりしとった。
アグのことが、ほんまに好きなんやなって、その時はそうとしか思わんかったけど……。
暴走したあの子を止めたのも、アグやった…。
アグは……あの子の……大切な人。
「アグのこと、守ってね」
ヒズミはアグを守るように覆いかぶさって、光の剣を全身で受け止めた。
ヒズミの血が、雨のようにアグに降りかかった。
「ヒ……ズミさん………」
アグは青ざめた顔で、彼を見た。
「すまんかった……アグ……」
ヒズミは泣いていた。
「ヌゥに……頼まれたのに……うう……わいは……あんたのこと……」
「ヒズミさん……?」
「ヌゥに、合わせる顔がない……」
ヒズミの口から血が吹き出した。
アグの胸元に、それがかかった。
ああ……このまま死ぬんやろか……
せっかくキズ治ったのに、また完全にえぐられたなぁ…
ヌゥ……ちゃんと守ったで……
あんたの大事な人……
やから、幸せになってよ……
ヒズミはアグの横に倒れこんだ。
「ヒズミさん!!!!」
アグは叫んだ。
あぁ……
わいが死んだら、ヌゥ、泣いてくれるやろか……
でもな……わいはあんたの…
笑った顔が……好きやねん………
やから……
また笑ってえよ………。
ヒズミはそのまま、目を閉じた。




