黒龍と出会った少女
ねえ、あなたは、誰かを好きになった事、ある?
誰かを好きになって、絶対に結ばれたいって、そんなに強く、思ったこと、ある?
誰かを好きになるって、素敵なことじゃない?
その気持ちって、かけがえのないくらい美しいよね?
誰かに否定されることなんて出来ないよね?
ねえ、もしもその相手が人間じゃなかったとしたら、あなたは、どうする?
「また失敗ですか…」
「そう簡単にできるわけないでしょう。何年前から研究し続けてると思ってるの」
「おい! シャロット! そろそろ実験体が底を尽きるぞ」
「は、はい!」
橙色の髪の少女は、その大人だらけの研究室で、同じように白衣を着ていた。
解剖台にのぼっているのは、この世界の小動物たち。
あんまり大きな動物は難しいので、実験してもシマウマくらいまでだ。実験体として使用されるのはネズミやウサギ、犬や鳥なんかが多い。
「捕獲! 捕獲!」
シャロットは小動物を見つけると、小型の檻を生み出し、彼らを捕獲した。
シャロットは、呪術師だった。
しかし両親が病死し、生活に困った彼女は、研究所に拾われ、動物獣人化実験の手伝いをやらされていた。
「ガルルルル」
彼女が振り返ると、大きな虎が彼女の前に現れた。
「嘘…なんでこんなところに…」
シャロットは恐怖で足がすくんだ。
虎は空腹なのだろう、よだれをだらだら口から垂らして、襲いかかってきた。
「きゃあああああ!!!!」
すると、虎とは違うもっとおぞましい咆哮が聞こえ、黒い光線が虎に向かって放たれた。虎は跡形もなく消え去ってしまった。
「ひっ、なっ、何?!」
シャロットが後ろを振り向くと、巨大な黒いドラゴンが、その輝くような鋭い黄色の瞳で、彼女を見ていた。
「あっ、ああ…」
シャロットは怯えて声も出なかった。
腰が抜けて、地面に尻もちをついた。そのままドラゴンを見たまま、もうこの世の終わりくらいの絶望に襲われて、震えながら後ずさることしかできなかった。
「私を恐れることはない。君を殺したりなどしない」
「あっ、えっ、え…あっ、」
「どうか逃げないでほしい。人間の少女よ」
「は…話せるの…?」
黒いドラゴンは、その見た目こそ恐ろしいが、どうやら彼女に危害を加えるつもりはないらしい。
「呪術師の少女よ…頼みがあるのだ…」
「わ、私のこと、知ってるの…?」
「よく知っている。いつも見ていたからな」
ドラゴンの名前はロア・リベルトと言った。
シャロットはロアに連れられ、ドラゴンの谷と呼ばれる秘境の地へ案内された。幼いシャロットは小動物の捕獲を頼まれていたことも忘れ、ロアの言われるがままに空の旅を楽しんだ。
どうやら、ドラゴンの谷に氷河が訪れており、ドラゴンの多くが凍り漬けになってしまったのだという。
「さ、寒い……」
長い空の旅を終え、辺りは一面真っ白の銀世界になっていた。
「雪を、溶かしてほしいだなんて言っていたけど…こんなに広大な氷河…私には…」
「少女よ…私の力を、君に貸す…。どうかそれで、この谷を、救ってほしいのだ……」
ドラゴンは元より、その力を譲渡する能力を持っているのだという。しかし、誰よりも絶対的強者であると自負している彼らドラゴンは、その力を他の生き物に貸すことを嫌がった。
今回の氷河が訪れた際も、自分たちの力で災害に立ち向かおうとはしたが、敵わなかった。しかし、谷を愛するドラゴンたちは、他の場所に逃げようとはしなかった。
けれど、ロアは違った。ロアは人間の世界に助けを求め、一人谷を出た。
「もう何年もこの人間の世界をさまよっているよ。知っているか?ドラゴンは姿を小さくすることもできるのだ。力は弱くなってしまうがな…。長い間旅をするうちに人間の言葉も覚えたよ」
「すごく…流暢だもんね…」
「私はね、人間が好きなんだ。人間は素晴らしいよ…身体も小さく力こそ弱いが、それを覆す圧倒的な知力がある……どんな動物よりも情緒が豊かで、それを表現する姿も数多く、どれも美しい」
そんな風に人間を見ている動物がいるなんて……。
シャロットは驚いた。
確かにドラゴンの谷があるという噂は聞いたことがあるが、実際にあるとは知らなかったし、どんな人間も彼らの縄張りに近づくようなバカなことはしなかった。
人間とドラゴン、同じ世界に住む生き物同士、しかし、別世界の生き物同士として、一線を引いていた。
「呪術師は、天候を操ることができると聞いて、その力を持つ呪術師を探していた。どうかこの地に、太陽の光をもたらし、この谷に今一度、春を蘇らせてくれないか」
「…や、やってみます…」
「では、私の身体に手を当てて…力を送ろう……」
シャロットはドラゴンの黒い身体に手を当てる。
手の平が光り輝いて、力がみなぎってくるのがわかる。
「こ、これは……」
すごい……。私なんて…そんな優れた呪術師なんかじゃないのに…
彼の力があれば…
できる…私にも……
この谷に、太陽を……
燃えるような、激しく強い、天照……!!
シャロットが力を発動させると、谷に光が降り注いだ。
暑い……いや……暖かい……
太陽の光の、恵み……
こんなに……あたたかくて、素敵なものだったの……
氷が……溶けていく……
(やはりこの少女……力を秘めていた……)
ロアも、氷が溶けて、地面が見えてくるのを、じっと見つめている。
「ありがとう…少女よ…」
「シャロットよ…私の名前…」
凍り漬けになっていたドラゴンは生気を取り戻した。
死んでしまったドラゴンも多いが、あっという間に数匹のドラゴンが谷を飛び回り始めた。
「人間がいることが見つかるとまずい……すまないが、この場からは一旦立ち去る…」
「わかったわ……」
ロアは谷をあとにした。
「あ…小動物の捕獲を頼まれていたの…忘れていたわ! どうしよう…サボっていたのがバレたら…また怒られちゃう……」
「よし…私に任せなさい」
ロアはシャロットを下ろすと、ここで待っていてと言い残し、どこかへ飛び立った。
しばらくすると、大量の気絶した小動物たちをその背中に乗せ、戻ってきた。
「こ、これ…」
「お礼だよ。谷を救ってくれた」
「ありがとう……」
「…もしよかったら、研究所を見せてくれないか…」
「い、いいけど…」
ロアは小さくなると、シャロットの胸ポケットにすっぽり入った。
「こんなに小さくなれるの…?」
「ああ、これ以上小さくはなれないが」
シャロットは手押し車をつくりだし、小動物たちをのせると研究所に帰った。
「おいシャロット! どこまで行ってたんだ?!」
「す、すみません…」
シャロットは手押し車に乗せた大量の小動物を研究員に渡した。
「こりゃ…なかなか大量じゃないか…」
「あ、その……」
「まあいいだろ。これだけあれば、当面の実験体には困らん。今日はもう部屋に戻りなさい」
「は、はい……」
特にお咎めもなく、シャロットは部屋に戻ることができた。
部屋の鍵をしめると、ロアはポケットから飛びだして、机の上に座った。
部屋の中にドラゴンがいる…。不思議な光景だ。
シャロットは改めてその黒いドラゴンをまじまじと見る。
小さいと……なんだか可愛い……。
「シャロットたちは、何の実験をしているのだ?」
「獣人化実験です…その…動物を人間の姿に出来ないかっていう…お、恐ろしいですよね…」
「ははははは!!!」
ロアは突然笑いだした。
シャロットは唖然とした。
「いや、人間はとても面白い。よくそんなことを思いつく」
「えっと……面白い…?」
「ああ、面白い。実にね…。で、その実験は成功しそうなのか?」
「…わかりません。ただ、少しずつ進展しているみたいです…。この前、ネズミの前足が人間のように五本指になったんです。ウサギの耳が、短くなったり…色々…」
「ははは…いや、人間は本当に恐ろしいことを思いつく。それが面白い。残酷で、愚かで、傲慢で、それでも、どんな動物よりも、頭がいい。だからこの世界は人間に支配されているのだな」
「支配…なんてそんな……」
「シャロット…もしよかったら、私もしばらくここにいさせてもらえないだろうか。今日のお礼に、君の仕事の手伝いもさせてくれ」
「え? お礼なんて全然…。もともとは貴方の力があったからだし…。いたいだけ、いてもらっていいけど…見つからないように…気をつけてね…。ドラゴンがいるなんてバレたら、実験体にされちゃうかも……」
「ははは…その時は人間共を焼き払うしかない」
「ええ?!」
「冗談だよ」
私がロアと初めて出会ったのは、私がまだ10歳の頃だった。
それから私たちは一緒に過ごして、いつの間にか10年ほどの歳月が経っていた。
ドラゴンの寿命は、人間の何百倍もあるらしい。だからまあ、ロアにとっては私との時間なんてほんの数ヶ月くらいの出来事なのかもしれない。
それでも私にとっては、長い歳月だった。
雑用ばっかりだった私も、研究員になって、実験もたくさんするようになった。ロアの助言で、呪術を実験に取り入れると、予想以上にいい反応が見られ、研究にも大きく成果が出始めた。
実験を進めるうちに、小動物よりも大型の動物の方が、実験がはかどることがわかった。その大きさが人間に近いほうが、より人間らしく、姿を変えられることがわかったのだ。
中には獣人化に成功した動物も、何匹か見られた。
動物たちがみんな、人間になる……。
そんな景色が、見え始めた。
研究員たちはシャロットを評価し、一目置くほどまでになった。
ロアもその様子を見て、嬉しそうにしていた。
私は、ロアといる時間が幸せだった。
ずっとこのまま、一緒にいたいだなんて、そう思った時、私はロアのことが好きなんだって気づいた。
初めは信じられなかった。
だって、ロアは人間じゃないから。
ドラゴンだから。
だからか、私はその気持ちを、伝えられずにいた。
ドラゴンを好きになるなんて、そんなのおかしい。
そう思ったから。
そしてある日、シャロットたち研究員は、実験体の捕獲のために、サバンナに来ていた。
シャロットの作った武器を用いて、研究員たちも次々と動物を捉えていった。
「シャロット! あっちにシマウマが逃げていったぞ!」
「わかった! 任せて!」
シャロットは熱帯雨林の中を果敢に進んでいく。研究員たちの姿が見えなくなると、大きくなったロアに飛び乗って、シマウマを追った。
「捕獲…!!」
見事な呪術でシマウマを捉え、安堵していると、空から何かの大群が迫って来るのが見えた。
「あ、あれは……」
それは様々な色をしていた。そしてそいつらは、何十匹もいた。
羽ばたかせる翼は鳥のようだが、違う…。あれは…
「ドラゴン……」
すると、ドラゴンの一匹が、シャロットたちに向かって炎を吐いた。
「きゃああ!!」
ロアはシャロットを乗せて熱帯雨林を抜け出した。
あっという間に熱帯雨林は火事になり、他の動物たちもみんな急いで逃げ回った。
「な、なんだ?!」
「火事だ! 退却しろ!! 急げ!」
研究員たちも必死で逃げ回り、サバンナからの脱出を試みた。
広い草原に出たロアとシャロットの前には、ドラゴンの軍勢が立ちはだかった。
ドラゴンの長であろう、大きい赤いドラゴンが、ロアに話しかける。
《ロア、お前、一体何をしている…私達を裏切り、人間なんぞの言いなりになるなど…お前は、ドラゴンの恥さらしだ》
な、なんて言ってるの…?
ドラゴンの言葉は、シャロットにはわからなかった。
《私はこの子の言いなりになどなっていない。私が好んで、この子と一緒にいるだけだ》
《何をバカな……人間と共に生きるなど、崇高な私達ドラゴンのすることではない》
《それで、私を殺しに来たのか……》
《お前が私達の元に帰らぬと言うなら、仕方あるまい……》
すると、赤いドラゴンはロアに向かって炎を吐いた。
「きゃああ!!!」
シャロットは叫んだ。ロアは空を飛び、攻撃を避けた。
あのドラゴンたち、私達を殺そうとしているの?!
《お前たちを氷河から救ったのはこの子だ…恩を仇で返すとは、それこそドラゴンの風上にもおけない…》
《何を言う…人間なんぞにそんな力があるわけがない! 私達を裏切るというなら、ここでお前は死ね!!》
ドラゴンたちは一斉にロアを狙って攻撃してきた。
たくさんの光線が、ロアに向かってきた。
ロアも避けながら反撃し、その黒い光線で何匹ものドラゴンを撃ち落とした。
駄目…数が……多すぎる……!!
その時、ロアに敵からの攻撃が当たり、ロアの翼から血が吹き出た。
「ロアっ!!」
「シャロット…すまない……君を危険な目に…合わせるなんて…。でも絶対に…君を守る……」
ロアはふらつきながらも大きな咆哮をあげ、体制を立て直すと他の人ドラゴンたちを攻撃した。
たくさんのドラゴンが、草原に落ちて、横たわる。
《さすがは暗黒のドラゴン……凄まじい力だ…何故お前ほどのドラゴンが…人間なんぞに……》
《お前たちもわかるさ……人間たちと……一緒に暮らしさえすれば……》
《バカな……ドラゴンと人間はもはや別世界の生き物……共生など、あり得ぬ…!!》
赤いドラゴンの炎が、ロアにあたった。
ロアは苦しそうな声を上げて、それでも果敢に立ち向かう。
やめて……。
ロアを……傷つけないで……。
同じドラゴンじゃないの……?
仲間じゃないの……?
やめて…。
ロアを傷つけるなら…私は……貴方達を許さない……!!
シャロットはロアに手を触れた。
「ロア……力を貸して……」
「シャロット……」
「貴方を……守りたいの……」
シャロットに、力がみなぎった。
ドラゴン…? 人間…?
そんなの、もう、関係ない……。
私は、私はただ…
私の大好きな貴方を……守りたいだけ!
シャロットはサバンナ一帯に雷を落とした。
飛んでいるドラゴンは皆、雷をくらい、草原に倒れた。
サバンナの他の動物たちや、逃げていく研究員たちにもそれは落ちた。
シャロットは呪術を使って、自分たちを雷から守った。
「あ………」
その凄まじい雷を撃ったあと、シャロットは全ての力を使い果たしたのか、気絶してしまった。
ロアはぼろぼろの翼で、なんとか着陸すると、その場に倒れ込んだ
あっという間に、サバンナで大量のドラゴンが死んだと世間に広まった。
獣人化研究をしていた研究員たちの生き残りは、動物虐待の罪で国家精鋭部隊に捕まった。
ドラゴンは絶滅危惧種とされたが、ドラゴンの谷を訪れる者もおらず、ドラゴンの生き残りがいるかどうかに関しても、不明である。




