最後の夜
ヌゥが寝静まったあと、タシルがようやく仕事から帰ってきた。外はもう真っ暗だ。
ベリーはタシルに、今日の出来事を打ち開けた。
「…ついにやったか、ヌゥのやつ」
「ごめんなさい…私のせいなの。私が目を離したから」
「お前のせいじゃない。あの子は悪魔に取り憑かれてしまってるんだ。このままじゃあの子も可哀想だろ。このまま生きていれば、たくさんの人を傷つける。下手すりゃ誰かを殺してしまうよ」
「悪魔だなんて…そんなこと…」
「ベリー、お前はよく頑張った。頑張ってここまであの子を育てたよ。でもな、もういいじゃないか。俺は、お前がこれ以上大怪我させられるのも、あの子が誰かを傷つけるのも、見たくないんだよ」
タシルは涙ぐむベリーを強く抱きしめた。
「殺そう、あの子を」
ベリーは何度も首を横に振った。
「大丈夫だ。俺がやる。俺たちがこの村で暮らしていくには、もうそれしかない」
ベリーは泣いた。泣き崩れた。でも本当はあの子がいなければと、心のどこかで望んでいた。そう思っている自分が本当に酷い母親であることにも、どうしようもない辛さを感じた。
「わかったわ……あの子を殺す…」
そしてベリーも、ヌゥを殺すことを了承した。
タシルは立ち上がると、家の包丁を取り出し、握りしめた。
ヌゥの部屋のドアに手をかけたその時、家の外が何やら騒がしいことに気づいた。
「な、なんだ? こんな夜中に」
タシルが家の扉を開けると、村人たちが集まり、皆くわや包丁などの武器になるものを持って、立っていた。
「な、なんなんですか?!」
「悪魔の家族を、殺しにきたんだ」
「なんだって?!」
「悪魔はいずれこの村を滅ぼす。その前に、殺さなければならない」
そう言うと、村人は部屋に押しかけ、くわを振り上げてタシルに襲いかかった。
「あ、あなた!!!」
ベリーの目の前で、タシルはくわで頭を思いっきり殴られた。鈍い音が家の中に響いた。タシルは頭から多くの血を吹き流し、倒れた。
「やめて! お願い!」
村人たちは聞く耳も持たず、ベリーに向かってくわを振りかぶった。
ベリーは死を悟って目をつぶったが、何も起きない。
目を開くと、ヌゥがくわを押さえていた。サファイアのように美しい水色の瞳で、その村人をじっと見あげた。
「ヌゥ…」
ヌゥはその握力でくわを粉々に折った。ヌゥは平然とした面持ちだ。しかし怒っている。かつてないくらいに、怒っている。
「この悪魔! 許さない!」
子供をケガさせられた母親の1人が、包丁を持ってヌゥに突進してきた。しかしヌゥにあっさりと避けられ、腕を掴まれるとその包丁を奪われた。
「は、早く皆、この悪魔をっ!! ぐはぁあ!」
女は一瞬で、その包丁で首をはねられた。女の生首が床に落ち、村人たちは息を呑みこんだが、ここで食い下がれないと全員で襲いかかってきた。
「死ね悪魔!!!」
「殺せぇええ!!!」
何人でかかってこようと、ヌゥの敵ではなかった。
そこにいた大人たちが全員首をはねられて倒れたのは、一瞬の出来事だった。
ベリーはその残劇を目の当たりにし、その場にへたりと座り込んだ。
「そんな…こんなこと……」
ヌゥは振り返った。顔と服には村人たちの返り血がべったりだ。ヌゥはニコっと笑うと、言った。
「ごめんね」
ヌゥは家を出た。ヌゥは無我夢中で、村中の全ての人間の首をはねてまわった。それが老人でも、同じくらいの子供たちでも、産まれてまもない赤ん坊でも。
数々の悲鳴がこだまする。静寂だった夜の村が、一瞬で地獄に変わった。
村から逃げ出そうとする奴も、絶対逃さない。ヌゥは誰よりも速い。彼からはもう、誰も逃れられない。彼ももう、全員殺すまで止められない。
ヌゥは人間を殺したのは初めてだった。
そして意外にも、それがあっけないことに驚いた。
あぁ、もう誰もいなくなる。
村を全てまわると、ヌゥは家に戻ってきた。
「ヌゥ…何処に行っていたの……」
ヌゥは出ていった時よりもはるかに多くの血を浴びていた。ベリーはヌゥが何をしてきたのかはもうわかっていた。
「母さん、ごめんね」
「ど、どうして…謝るの……」
「今まで、たくさんケガをさせてしまったこと。母さんの言うことが聞けなかったこと。俺を産ませてしまったこと」
ヌゥは血まみれの包丁を持ったまま、1歩ずつベリーに近づいた。ベリーは冷や汗をだらだら垂らして後ずさった。恐怖でもう、立ち上がることはできない。身動きすら取れない。
あぁ、やっぱり駄目だ。もう止まらない。あなたを殺すまで、俺の身体はもう止まらないよ。
「謝らないで…私はね、今夜、あなたを殺そうと、タシルと決めていたのよ」
「うん、聞いていたよ」
「そう。私のことが、憎いでしょう」
「うん…」
「なら、出来るわね、私のことも。皆と同じように」
「うん…」
ヌゥはたくさん涙を流していた。ベリーのことが大好きだった。それは間違いない。例え死んでほしいと思われていたって。
だけどもう、止められないんだよ。
「さよなら、ヌゥ」
ヌゥは最後に、ベリーの首をはねた。