矛盾する正義
「はあ? この国に法を敷きたい?」
ヌゥは頷いた。ヒズミは怪訝そうな表情である。
3日目の夜、洞窟に戻ってきたヌゥは、ミジータと出会い、彼女と話をし、アリマを法治国家にしたいという思いが胸に膨らんだことを、ヒズミに話した。
「この国の奴らのことなんてほっとけや。わいらはジーマさんたちと合流して、商人捕まえたら仕事は終わりや。それ以上、口出しする必要はない」
ヒズミは断固反対している。
「でも俺はやりたい」
ヌゥの意志は固そうだ。どう説得しようかと、ヒズミは頭をひねらせた。
「ヌゥ、ここの奴らはわいらとは違う人種なんや。価値観が全く違う。殺し合いをただのゲームやと思ってる。微塵の罪悪感も持ってない奴らや。あんたとは違うんよ」
「でもミジータさんは、この殺し合いを終わらせたいと思ってる」
「その女がそう言うたんか?」
「言ってないけど…」
「頼まれてもないことをすな」
ヌゥが国を変えたいと言った時、ミジータの表情が変わったのをヌゥは見逃さなかった。彼女は冷たく振る舞っていたけれど、本当は違うはずだ。そうじゃなければ、あの場で自分を殺そうとしたはずだ。助けたのはただの気まぐれなんかじゃないと、ヌゥは信じたかった。
「でも、人が人を殺すのは駄目なことなんだ。法が無くたって、駄目なものは駄目だ」
ヌゥも確かに、アグにその話をするまで、そんな風に考えてはいなかった。悪いと思っていなかった。両親や村の奴らはヌゥを殺そうとした。だから殺される前に殺しただけのことだ。ただそれだけだ。
ヌゥはそう思いたかった。確かにその頃、ヌゥはまだ幼すぎたし、その罪から目を背けるのは容易かった。だけどアグと独房で共に暮らし、生まれて初めて大切にしたいと思える人に出会えた。そしてヌゥは知った。この世の誰もが、そんな風に、誰かの大切な人なのだと。
だから誰かの命を奪う権利なんて、誰にもないのだ。そんな当たり前のことに初めて気づいた時、同じようにして自分の罪にも気づいたのだ。
気づかない方が、もちろん楽だった。しかし気づいて良かったと、ヌゥは思うのだ。裁きは時に辛く酷い物だが、それはただ苦痛を与えるためのものではなく、罪悪を受け入れるための優しさだとヌゥは感じている。
「この国の奴らだって、皆同じ人間だよ。心があるなら、その罪の重さに気づけるはずだ。気づくことができれば、これから罪を償うことができる。彼らにもそうあってほしい。今からでも間に合うはずだ」
ヌゥの意志は頑なだ。ヒズミはハァとため息をついた。
「ヌゥ、法は人を人から守るためのものや。人殺しを裁くのは、殺された人やその遺族が報われんからや。あんたは殺した側の気持ちをわかってるつもりかも知れんけど、ここにいる奴はあんたとはちゃう。あんたみたいに、良心なんて持ってない奴らなんや。そんな奴らを裁いたって、意味がない。最初から悪いと思てへんのやから」
「そんなことないよ。俺だって最初は悪いと思っていなかった。でも気づくことが出来た。だからアリマの人たちだって……」
「無駄やて言うてるやろ。ここの奴らは…」
「ヒズミは人を殺したことがないから、わからないんだよ!」
ヌゥは声を荒げた。ヒズミは大きく目を見開いた。
「そ、そんなん…あるわけないやろ! 普通はないわ!」
「裁かれないと駄目なんだ。もう終わりにしてほしいんだよ! こんな殺し合いゲームは間違ってるんだから!」
「せやから、この国の奴らはそんなこと望んでないんやて」
「アグなら…アグならわかってくれる! 絶対!」
感情が高ぶってヌゥがそう言うと、ヒズミは何かの糸がプツンと切れたような感じがした。
「は?」
その時ヒズミは確かに怒っていた。どうしてそんなに自分が怒ったのか、ヒズミはその時、はっきりとわかってはいなかった。
「……」
その後ヒズミの喉には、ヌゥたち囚人を罵倒する様々な言葉がでかかったのだけれど、既のところでそれらを飲み込んだ。
(あかん…これ以上言うたら、この子を怒らすことになる)
ヌゥの呪いに単純に恐怖したのか、それともヌゥを傷つけることを彼の心が拒んだのか、どちらにせよヒズミはヌゥを睨みつけるだけで、それ以上は何も言わなかった。
「…したいんやったら勝手にし。わいは知らん」
ヒズミはそう言い残して、洞窟から立ち去った。ヌゥは夜の島に自ら出ていくヒズミの背中を呆然と見ていた。
(あ……)
ヒズミを怒らせた……。
ヌゥは確かに熱くなっていたけれど、決して怒ってはいなかった。
そしてヒズミが本気で怒るところを、ヌゥはその時初めて目にした。
(……)
ヒズミの言う通りだ……
俺にそんなことする資格なんてないんだ……
囚人の俺が正義のヒーローみたいなことを言うなんて、間違ってた…
ねぇアグ…。アグならどうする?
俺は頭が悪いから、どうしたらいいのかわからないよ
アグ……教えて……
ヒズミはその島で1人きりになるのは、この時が初めてだった。もちろん隠れ身の術で身を隠してはいるが、怖いものはやはり怖い。鼓動で敵に気づかれてしまうのではと思うくらい、心臓が高鳴っている。
(やばい。あの子のこと怒らせたんちゃうか…)
ヌゥは追ってはこない。まあ姿が見えないのだから、追いようもないのかもしれない。
「どないしょ……」
周りに誰もいないのを確認すると、小さな声で呟いた。
気づけば海岸沿いまでやってきていた。がらくたの転がる汚れた砂浜に、ヒズミは足を踏み入れた。
(だってあの子がわけわからんこと言うから…)
アリマに法を敷くなんて、そんなん無理に決まってるやんか。そんなことが出来るなら、誰かがとっくにしとう。出来ひんから、こうなってるんちゃうんか。
アリマに入国しただけで殺されるんや。外から来た奴が今更とやかく言うことなんて、はなから出来ひん場所なんや。
(それには敵を屈させるほどの、絶対的な力があらな…)
海は静かに波打っていたが、ほどなく空に暗雲がたちこめ始めた。だんだんと雲影が大きくなる空に、ヒズミは顔をしかめた。一雨きそうである。
「まじか……」
(腹も減ったし…ほんま終わるわ)
今更帰られへんやんけ。帰ったらキレて、わいのこと殺そうとするかも。服従の術はあるから死なんやろけどな…。
(いや、そういう問題ちゃうし…)
あの子が人を傷つけるのは呪いのせいや。
あの子は可哀想な子なんや。昨日あの子が、涙しながら話してくれた。
せやからわいは、あの子を信じたいと思った。
あの子はええ子や。
やからあんなことが言える。
人殺しやからやない。優しいから言えるんや。
相手はどうしようもない、人殺しを遊びにするような奴らや。それでもあの子は、ほっとかれへんのや。
あの子の気持ちも組んだらなあかんかったのに…。
『アグなら…アグならわかってくれる! 絶対!』
(はぁ……)
ヒズミは大きなため息をついた。あの時ヒズミは、何となくそう、悔しいような気持ちになったのだ。
(アグやったらあの子の気持ちを組んだれるんやろな。まだ会ったこともないけど…)
まもなく、雨が降り出した。雨音はすぐに激しさを増し、ヒズミを襲った。
「げっ!」
夜のアリマはその日も同様に冷え込んでいる。ここで雨に打たれては、身の危険すら感じる。
(やばいやばい! このままやと野垂れ死ぬわ!)
ヒズミは洞窟に向かって駆け出した。両手で頭を覆うが、無意味である。隠れ身の術は気配を極限に消すだけで、雨を防ぐことは出来ない。
(謝ろ! あの子に! 怒っとうかもしれんけど、それでもええわ!)
森の中を通ってびしょ濡れになりながら、何とか洞窟の中に戻ったヒズミだったが、そこにはヌゥの姿はなかった。
「え……」
ちっと舌打ちをした後、ヒズミは遠耳の術を発動する。
(どこ行ったんや…!)
数キロ先のところで、ヒズミはヌゥの声を拾った。
『ヒズミー! ヒズミ何処ー?!』
(!)
ヒズミはヌゥの元へと走り出した。身体は完全に冷え切っていたが、そんなことはまるで気にしていなかった。
(あのアホ! 敵に気づかれるやろ!)
どうして迷わず駆け出したのかはわからない。前の自分だったら、そんなことをするわけがないのに。
『うるせえぞ!』
先住民たちがヌゥに襲ってくる声が聞こえた。ヒズミは雨に視界を遮られながらも、覚えた道と音を頼りに、真っ直ぐヌゥの元へと走っていく。
ヌゥはその時、先住民たちに取り囲まれていた。
いかつい身体の男たちが、様々な武器を片手に、ヌゥを殺そうとたかっていく。ヌゥはその先住民たちを、哀れみを含んだ冷めた瞳で睨み返した。
「どいてよ」
「俺たちの国で、何偉そうに言ってんだ!」
「ここに来た事を後悔させてやるぜ」
「ぶっ殺せ!」
ヒズミはやっとのことでヌゥと先住民たちの姿を目にする。
(やっぱり気づかれてる!!)
この雨の中、あいつらもアホちゃうか!!
先住民たちは、四方から一斉にヌゥに襲いかかった。
(!)
ヌゥは荒くれ者たちの攻撃など物ともせず、一瞬にして敵を蹴散らしていく。武器は要らない。素手で充分である。それは型に忠実なシエナの格闘技とは真逆の、スピードだけで物を言わす打撃である。そしてその威力もまた、凄まじいのだ。
(強い。ほんまに強い……)
あの子やったら、ほんまにこの国を……
ヌゥの戦う姿にヒズミは感動すら覚えた。仲間であることを、素直に誇りに思う。そんな、尊敬の気持ちである。
ヌゥはあっという間に敵を一掃すると、ヒズミの名を呼ぼうとした。ヒズミは慌ててヌゥに駆け寄って、彼の口を塞いだ。
「ん!」
その瞬間、隠れ身の術が発動した。ヌゥは瞬く間にその姿を消した。
「ヒズ…」
「静かに」
まもなく別の先住民たちが駆けつけた。仲間は全て気を失っている。
「異国の奴がいないぞ!!」
「逃げやがった!」
「探せ!!」
先住民たちが騒いでいるうちに、ヌゥとヒズミもその場を離れた。びしょ濡れになっていた2人は、急いで洞窟へと帰還した。
服を脱ぎ捨て急いで着替えると、火を焚いて暖を取った。ヌゥは炎に手の平をかざした。冷えて感覚がなかった指先が、次第に温まっていく。
「ごめんヒズミ」
ヌゥは俯いたまま、酷く落胆した様子だ。
「何であんたが謝るん」
「俺にはあんなこと…言う資格なんてなかった。俺は人殺しだ。ヒズミに言われた通り、黙って自分の仕事をするよ。それが俺の刑罰だ。俺が生かされている意味でもあるし」
「ヌゥ、すまん」
ヒズミに謝られ、ヌゥは顔を上げた。
「あんたの事件だって、呪いのせいなわけで…最初からあんたのせいちゃうのに。辛いのはヌゥやったのに、傷つけるようなことを言うた。ほんまにすまんかった」
ヌゥは慌てて首を横に振った。
「ヒズミは何も悪くないよ。大丈夫。そんなことじゃ、俺は傷つかないから!」
「……」
ヌゥはにっこりと笑った。ヒズミはその笑顔を見て、安堵したように息をついた。
「あ、でもアグのことは絶対悪く言わないでね。その時は俺、怒るから」
冗談のようにヌゥは言ったが、彼は本気だろう。彼の中で、アグが特別な存在であることは、間違いないのだ。
「アグな……。なあ、その子、どんな子なん? あんたに似て明るい子?」
「ううん! 全然!」
アグの名前が出た途端、ヌゥの表情がこれまで以上にパアっと明るくなるのがわかった。
「あんまり笑わないし、独房じゃ話しかけても無視ばっかりされてた」
「え…? それ、嫌われてへんか?」
「そんなことないよ! 最近は無視もしなくなったしね! アグはね、俺の初めての友達なの。すっごく頭が良くてね、テストなんて満点しかとらないよ。受ける必要もないくらい」
「まあ、あんたはアホそうやもんな〜」
「ひっどい! 俺だって理数の点数はそこそこ良かったからね!」
「いやいや、嘘やろそれは」
「嘘じゃないってば! でもアグは本当にすごいよ。禁術を解く薬だって作ったんだからね」
「そうみたいやな。ハルクさんが数年かかっても無理やったのに、どんな頭してんねん」
「まあでも、ハルクさんが基盤を作ってくれていたからだって、アグは言ってたけど」
「へぇ〜。あんたと違って、先輩もたてれるしっかりした奴やんけ」
「もう! 俺と比べないでよ」
「へへっ」
ヌゥの話は止まらなかった。ヌゥはお喋りが好きだったけれど、アグの話ほど楽しい話題はなかった。ヒズミは嬉しそうにするヌゥの様子を見ながら、今度ばかりは聞き手に回った。
「ヒズミも頭いいからさ、アグと話が合うかもね」
「そうかぁ〜? わいは難しい話とかされても興味ないけどな」
「ふ〜ん。そうなの〜?」
それよりも、ヌゥと馬鹿みたいな話をしている方が楽しいと、ヒズミはそんな風に思った。口には出さなかったけれど、これまで恐怖していたのが嘘のように、馬が合うなと思うのだ。
「でもほんと、アグはすごいんだから! すっごく優しいしね」
「そうなん? 話聞いた限りそんな感じせんけど」
「ふふ! ヒズミも会えばわかるよ」
「へぇ〜…」
アグ・テリー。
この子と同じ、終身刑。
この子の事件は呪いのせいやけど、アグって奴はそうやない。ほんまもんの犯罪者……。
ヌゥがここまで慕ってる奴なら、根が腐ってるわけじゃなさそうやけど…。
どんな奴なんやろ……。
その夜、ヌゥの話は限りなく続いた。ヒズミもその話に相当付き合ったが、眠気が限界に達し、リタイアした。ヒズミの寝顔を見た後、ヌゥも横になって目を閉じた。
(アグ……今何してるかなぁ〜…)
その日は久しぶりに楽しい夢を見た。ヌゥは幸せそうな顔をして眠っていた。




