ただ普通に
「はぁ……やっと落ち着いたわ…。この洞窟には誰もおらんみたいやな」
「うん。じゃあこの手、もう離してもいい?」
「え? ああっ! す、すまん…」
ヒズミはずっと握りしめていたヌゥの手を離した。かなり長い間、2人は手を繋いだままだった。気温と緊張も相まって、手の平は大変汗ばんでいた。
「もう! どこまで逃げるのヒズミ〜」
「すまん……無我夢中で…」
(えっと…怒ってない? 怒ってないやんな……?)
ヒズミはヌゥの様子を伺いながら、衣服で手汗を拭おうとしたが、その衣服もまたびしょ濡れなのであった。
(はぁ……何でこんなことになんねん…ほんま最悪や……)
その後森を駆け抜け岩山に出た2人は、無数の洞窟の1つに身を潜めた。洞窟内は無人のようだ。ヒズミも一旦安心して隠れ身の術を解いた。
「ほんまに物騒なところや…。異国人が的にされるっちゅーのは噂通りやな」
「俺たちを殺して、どうするの?」
「さあな…。意味なんてないんちゃう? 頭おかしい奴らの集まりやからな。あ……別にヌゥ君のことが頭おかしいとか言うてへんよ? え? 怒った? 怒ってへんよな?」
ヌゥは平然とした態度で服を脱ぎだすと、それを絞り始めた。多量の海水が染み込んでおり、何度絞っても水が溢れる。
「大丈夫だよ。ヒズミに何を言われても怒る気がしないし。それに、俺のことはヌゥでいいよ。最初はそう呼んでくれてたじゃん」
「そ、それは殺人鬼やとは知らんかったからで……いや、ううん、なんでもない。ヌゥやな。うん! 仲よーやろう。わいらは仲間やからな!」
ヌゥはシャツを岩にかけて乾かした。彼の身体は非常に色白く、華奢で、弱々しいように思う。
ヒズミもまた、同じように服を脱いで絞り始めた。
「これからどうするか考えないとね」
「せやな…とりあえずジーマさんとシエナの2人と合流せなな…」
「そうだね。そういえば、俺達の船はどうなったのかな?」
「ちゃんと確認してへんけど、あの後も何発か砲弾いれられとったからな、粉々になってんちゃうか?」
「そっか…。食料の調達も必要だね」
「せやな…」
(って、船なくなったら帰られへんやんけ! わいらこれから、この国でサバイバル生活せなあかんってこと?! しかもヌゥと2人やで?! いやいやいや! やばすぎやって! とりあえずジーマさんたちと、はよ合流したい!)
「まあ、服が乾くまでしばらく休もっか!」
ヌゥはぐーんと伸びをすると、人ひとりが座れるちょうどいい岩を見つけ、腰掛けた。
(こいつ、何でこんな呑気なん? 状況わかってないんか?)
ヌゥはヒズミをじっと見つめた。ヒズミは目が合うとぎょっとしたが、目をそらしたくてもそらせなかった。それは威圧感というよりは、不思議と彼の青い瞳に惹き込まれていくかのような感じなのであった。
(ほんまに何なんこの子…)
「ねえねえ、ヒズミがどんな忍術使えるのか教えてよ!」
「え? ああ…えっと…ぎょーさんあるけど…」
ヌゥはわくわくした様子でヒズミを見た。ヒズミは自身の忍術についての話を始めた。
重力を無視して歩く壁行の術、壁をすり抜けるすり抜けの術、遠くの音が拾える遠耳の術、そして姿を消す隠れ身の術など、他にも色々だ。
隠れ身の術はヒズミが触れたもの全てに発動する能力だが、その他の術はヒズミ自身しか対象とならない。術の併用も可能だ。だが呪術と同様、忍術を使うと体内エネルギーが削られ、使いすぎると気絶してしまうので注意が必要だ。
「すごいね! それからそれから?」
「あとは火遁の術もあるで。口から火が出せんねん」
「ええ?! すごい! やってみせて!!」
「ええけど…」
ヒズミは顔の前で人差し指と中指を立てた。そのまま口からふーっと息を出すと、その息が瞬く間に炎に変わった。
「すっご〜い! ヒズミがいればいつでも火をおこせるじゃん!」
「まあ、そやな〜……」
(何や、子供みたいな奴やな……)
ヌゥの反応は非常に良い。その事はヒズミにとっても気分の悪いものではなかった。
とはいえ、気は抜けない。相手は最悪最強の殺人鬼、ヌゥ・アルバートなのだから。
(とにかく、はよジーマさんたちと合流! それに限るわ!)
それまでこの殺人鬼を怒らせへんようにする!
しかないやんな!
ヒズミはうんうんと頷きながら、なるべくヌゥを見ないようにした。見ると自分がヌゥにビビっているのが全面に出てしまうと、わかっているからだ。普通に話していれば問題はないはずだ。
ただ普通に。
ヌゥもまた、飄々とした態度でいるのは表立っているだけのことで、内心は酷く緊張していた。
『殺人鬼のお前と一緒にアリマ?! 勘弁してや!』
大広間で、ヒズミにそう言われたことを思い出す。
『ヒズミさんはお前のことが怖いんだ』
アグがそう教えてくれた。自分は極悪犯罪者。普通の人間なら、怖がらないはずがないのだと。
『どうすれば仲良くなれるかな…』
『すぐには難しいかもな。でもお前は根は良い奴だ。事件だって呪いのせいなんだ。大丈夫。ヒズミさんだっていつかわかってくれる』
『それまで…俺はどうしたらいい?』
『うーん…。まあ普通にするしかないんじゃないの』
『そっか』
(これはいい機会だ。ヒズミと仲良くなるチャンス…!)
アグは普通にしていればいいと言っていた。アグの言うことは絶対的に正しいと、ヌゥは思っていた。
普通にしていれば問題はないはずだ。
ただ普通に。
(大丈夫……俺今のところ普通にできてるはず…)
ヌゥはちらちらとヒズミを見つめた。自分と目を合わさないようにしているのが何となくわかる。
(う〜ん……)
(何でこっち見んねん……ほんま怖いっちゅーの!)
しばらく沈黙していると、ヒズミのお腹がグ〜と鳴る音が洞窟内に響いた。自身の腹の音でヒズミは「ひっ!」と驚いたような声を出した。
「ヒズミ! お腹空いたの?!」
「ひっ!」
ヌゥはにんまりとした顔でヒズミを見つめた。ヒズミは昔のアグと同様、その笑顔に狂気を感じるばかりだった。
「俺、食料探してくる!」
「えっ?!」
ヌゥはすくっと立ち上がった。服は大体乾いている。ヌゥが黒シャツを着始めると、ヒズミは言った。
「ひ、1人で?!」
「え? うん。ヒズミはここで休んでていいよ」
「いや…えっと……」
(それはそれで嫌や! 先住民の奴らがこの洞窟に来たらやばいやん!)
「敵が来るかもしれんし…」
「そしたら隠れ身の術したら?」
「いや、そうやけど、でも…」
(1人は嫌や! この島で!!)
ヒズミは葛藤の末、自分も一緒に行くと答えた。ヌゥが了承すると、ヒズミも速やかに服を着て、右手をヌゥに差し出した。
「!」
ヌゥは目を輝かせてその手を見つめた。
(あ、握手だ……!!)
握手はヌゥにとって友達成立の合図だった。ヌゥはにっこりと笑いながらその手を握りしめた。
「ほな、行くで」
「え?」
ヒズミは早速隠れ身の術を使うと、ヌゥの手を引いて誰もいない洞窟を進み始めた。
(あ、握手じゃなかった……)
ヌゥはがっくりとした様子で、がっしり掴まれたその手を見ていた。
(何で機嫌悪なってんねん!! 一緒に行くの嫌やったんか…?! そんなこというたかて……アリマで1人にされるの嫌やし! しゃあないやんけ!!)
(ヒズミ何か怒ってる…? お腹空いてるからかな…。早く食べ物見つけてあげなきゃ…)
2人は姿を隠しながら、森を抜けた。しばらく歩くと、海岸沿いに漂着した自分たちの船の残骸を見つけた。




